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【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第ニ部 第二章 護衛

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第37話:見えざる視線と、王都の駒

 カイの先導で、一行は、ノエルが示した『植生境界』の道を進み始めた。


 右は冬枯れの林、左は背の低い低木。その間に、夏場は鬱蒼とした下草が生えていたであろう道が、今は落ち葉が絨毯となって、下の硬い地面を覆っている。


 植生が変わる自然の境界であり、大きな木の根などが道を遮ることもない。時折道を塞ぐ倒木は、バルガスたちが、丁寧に脇へ移動させながら、やや起伏のある道を進む。


 商隊の馬車も、その信じがたい光景に驚きつつも、『鉄の街道』の後を慎重に進んだ。


 その中で、三人の心は、晴れなかった。


 先頭を進むカイは、内心で首を傾げた。


(……おかしい。さっき通った時より、明らかに通りやすくなっている。あの、邪魔だった木の根は、どこへ消えた? 俺の記憶違いか……?)


 最後尾から一行を見守るナルもまた、眉をひそめていた。


(……妙だ。この辺り一帯に、魔力の残滓が漂っている……。人の手によるものか? 風か? いや、違う。もっと意図的な何かだ……。)


 ナルは、前を歩くノエルを凝視する。

(あの嬢ちゃんの仕業か? だとしたら、一体、どれほどの使い手だ……?)


 そして、レオンの後ろを歩くノエルは、地面に残された、ごく微かな足跡に気づいていた。


 それは、カイのものでも、動物のものでもない。驚くほど軽やかで、洗練された、第三者の足跡。


(……誰か、いた? 盗賊……? でも、なぜ……? まるで、私たちを、安全な場所へ、導いているみたい……)


 カイ、ナル、そしてノエル。三人は、互いに何も語らない。しかし、それぞれが感じた『違和感』の正体を、自身の知識と経験に照らし、必死に理解しようとしていた。


 見えざる誰かが、この場に介在している。その事実だけは、確かだった。しかし、その目的も、正体も、誰にも分からない。


 しばらく進むと、目の前が開けた広場となり、奥の街道へ繋がっていた。一行は、無事に迂回路を抜け、再び元の街道の、崖崩れの先へと戻ることが出来た。


「おおっ! 本当に抜けられた! バルガスの旦那、あんたたちの言う通りにして、本当によかった! これで、なんとか年内に、アウロラへ商品を運べそうだ!」


 商隊頭は、心からの安堵の表情で、バルガスに何度も頭を下げた。

 彼の言葉と視線は、あくまで『鉄の街道』という、揺るぎないBランクパーティに向けられている。その傍らに立つ、小さな少女の本当の価値に、彼が気づくことはない。

 しかし、この一件で、商隊の男たちの、『鉄の街道』への信頼は、もはや絶対的なものとなっていた。


 安堵の空気がキャラバン全体を包む。だが、その中で、カイ、ナル、そしてノエルの三人の心だけは、晴れなかった。


 彼らの間には、旅の始まりの時とは質の違う、より深く、そして正体不明の脅威に満ちた、静かな緊張感が漂っていた。


 一行が宿場町への道を急ぐ中、かなり先を偵察しているはずのカイが、不意に道端から馬車の速度を緩めるよう、手で合図を送った。


「バルガス、ちょっといいか?」


 レオンとエルラに目配せで後を任せ、バルガスが馬車の列から離れる。最後尾を歩くナルもまた、それに気づき、静かに後を追った。


 カイが指し示したのは、街道から少し外れた、窪地だった。

 そこには、10人ほどが、ついさっきまで待機していたかのような、生々しい痕跡が残されていた。


 消されたばかりの焚き火の跡、食料のゴミ、そして、何者かが慌ててその場を離れたような、複数の乱れた足跡。


「……待ち伏せか。荷が荷だからな、狙われていることも承知はしているが……」

 バルガスが、苦々しく呟く。


「だが、妙だ」と、カイが続ける。


「配置につく前に、何かがあって、慌てて逃げ出したような痕跡だ。練度も、バラバラ。帝国の手の者にしては、お粗末すぎる……」


 その二人の疑問に、いつの間にか後ろに立っていたナルが、静かに声をかける。


「軍人の痕跡ではないな。帝国軍なら、今は南の交易都市への侵攻準備で、こんな辺境に部隊を割く余裕はないはずだ。……それとも、あんたたちの荷は、それほどまでに価値があるのか? ……いや、余計な詮索だったな。忘れよう」


 三人は、数瞬、目を合わせるが、誰も言葉は発しない。


 ――帝国軍ではない。練度の低い、雑多な盗賊団。それは、痕跡を見れば明らかだ。だが、問題は、なぜ、彼らが目的を達せずに、この場を移動したのか。その理由が、分からない。


 謎は、さらに深まるばかりだった。彼らは、何事もなかったかのように、速度を落として進む馬車の列へと、静かに合流していった。


 **


 その、少し前。ちょうど鉄の街道が植生境界への迂回を始めた頃。


 少し先の街道脇の窪地では、作戦とも言えないような、大雑把な指示が飛び交っていた。


 その中で頭領と呼ばれた男が、烏合の衆を一喝で黙らせる。


「いいか? 次にここを通る馬車の荷物を奪え。護衛はいるだろうが、大した数じゃねえ。荷物さえ奪っちまえば、後は好きにしていい。分かったな?」


 男たちは、それぞれの得物を持ち、立ち上がる。彼らの革鎧は、持ち主の体に合わせて歪み、無数の修繕の跡と、決して名誉ではない戦いの歴史を刻んでいる。多くの死線を越えてきた者だけが持つ、老獪な空気が漂っていた。


「いや、それは勘弁してもらえないだろうか……」


 その声は、冬の枯れ木の間を渡る風のように、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで、その場に満ちた。


 頭領が振り返ると、そこに、一人の青年が立っていた。


 いつから、そこにいたのか。誰一人気づかなかった。


 すべての光を吸い込むような漆黒の髪と、同じ色のローブを纏い、ただ、自然体でそこに立っているだけ。殺気も、敵意も、何も感じられない。


 しかし、男たちは、その存在そのものから放たれる、言い知れぬ気配に完全に射すくめられ、指先一つ動かせない。


(……なんだ、こいつは。殺気も、敵意も、何も感じねえ。なのに、なんで、俺は、こいつから目が離せねえんだ……? これは、本物のバケモノだ。関わっちゃいけねえ……)


 頭領は、本能的にそう感じていた。


「……なんだ、あんた。要件があるなら聞くぜ」


 虚勢を張り、彼はそう答えるのが精一杯だった。


「そうか、それは助かる。誰に頼まれたのかは知らないが、あんたたちが狙っているものは、我々が護衛している。手を引いてもらえないだろうか」


 漆黒の青年は、ローブから左手を出すと、革の小袋を投げる。


 ジャリ、と金属の触れ合う重い音を立てて、それは目の前の地面に落ちた。


 頭領は、中身を確認することすらせず、その革袋を拾い上げると、立ち上がる。

「……分かった。てめえら、行くぞ!」


 男たちは、そそくさと冬の枯れた林の中に消えていった。


 一人残された青年は、フードで黒髪を隠すと、静かに呟いた。


「……これで、無用な騒ぎが起きずに済むなら、安いものだ……。しかし、隊長の言う通り、敵は帝国だけではないのだな……」


 **


 同時刻、王都。


 冷たい雨が、石畳を黒く濡らしていた。


 王国軍本部の一室。豪華な装飾が施されたその部屋は、しかし、暖炉の火が燃えているにも関わらず、どこか寒々しい空気が漂っていた。


 ダリウス・アイゼンは、老獪な貴族の前に、直立不動の姿勢で立っていた。


「アイゼン大隊長。君に任せた例の『鹵獲品』の移送の件だが、滞りはないだろうな?」


 背の大きな椅子に深く体を預けたまま、貴族は、ダリウスに視線も合わせずに言った。

「あれは、国王陛下も、ことのほかご注視されている、我が国の未来を左右しかねん、最重要任務だ。断じて、失敗は許されんぞ」


「はい。万全を期しております」

 ダリウスは、表情一つ変えずに答える。


「ほう。万全、か。君自身が、護衛の任についているわけでもないのにな」

 貴族の言葉には、粘つくような皮肉が込められていた。


「辺境の地理に最も明るく、かつ、最も目立たぬ形で、荷を運べる者たちを派遣いたしました。騎士団を動かせば、帝国の密偵に、こちらの意図を悟られかねません」


 ダリウスの、あまりにも理路整然とした答えに、貴族は、ちっ、と小さく舌打ちをした。


 ダリウスは、この男が、なぜ自分をここに呼びつけ、執拗に詰問するのか、その真意を、とうに理解していた。


(……面倒くさい連中だ。俺をここに縛り付け、その間に、息のかかった盗賊でも使って、移送を『失敗』させるつもりか。そして、その責任を、全て俺に押しつけるために……)


 王都の腐敗は、ダリウスが思うよりも、ずっと深く、根を張っている。

 だが、彼の表情には、一切の焦りの色はない。


「……よろしい。下がってよし。よいか、忘れるなよ。この任務、失敗は許されんぞ」

「御意」


 ダリウスは、完璧な敬礼をすると、静かに部屋を退出した。


 貴族は、退室するダリウスなど見向きもせず、窓の外の冷たい雨を見つめながら、ほくそ笑む。

(……せいぜい、足掻くがいい、成り上がりの小童め。貴様の失態を、陛下がどう判断なさるか、見ものだな……)


 執務室に戻ったダリウスは、椅子に深く腰を下ろし、一度だけ、長いため息をついた。


 彼の頭の中には、これから始まるであろう、街道での妨害工作の、幾通りものパターンが、既にシミュレートされている。


 しかし、彼の心は、不思議なほど穏やかだった。


(…まあ、好きにすればいい。現場には、俺の『目』と『頭脳』を置いてきた)


 彼は、机の上に置かれた、一枚の報告書に、そっと指を滑らせる。


 そこには、軍学校のどんな教本よりも、正確で、冷徹で、そして美しい戦術分析が、流麗な筆跡で記されていた。


(…あいつらと、リナがいる限り、貴様らの駒が、このゲームで勝つことはない)


 彼の絶対的な信頼を背負う、天才参謀リナ―――その、失われた過去を、彼はまだ知らない。


 そして今、明星の街『アウロラ』で、運命の歯車は、誰にも知られることなく、しかし、確実に、回り始めていることも。


 彼の戦いは、まだ、始まったばかりなのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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