第34話:銀の鏡と、託された使命
ギルドへの帰り道。四人の少女たちの足取りは、来た時よりも、ずっと軽やかだった。
サラとリリィは、自らの指先に灯った、鮮やかな色彩を、何度も、何度も、角度を変えては眺めている。
「見て、リリィ。太陽の光に透かすと、なんだか、宝石みたい……」
「うん、綺麗……。まさか、ただの薬草が、こんな風になるなんてね」
リヴィアは、その二人の様子を、満足げに腕を組んで見守っていた。
「でしょー! だから言ったじゃん! これぞ、『指先革命』! 明日から、ニューログレインの女の子は、みんな、これの虜になること間違いなしだよ!」
ノエルは、そんな三人の、華やいだ会話を、ただ黙って聞いていた。
彼女の頭の中では、先ほどの戦闘の光景が、何度もリフレインしていた。
(……プラセボ効果? 心理的な高揚が、一時的に身体能力を引き上げた? でも、あの時の、リリィさんの集中力は、尋常ではなかった。サラさんの踏み込みも、いつもより鋭かった、気がする。……偶然? それとも、この彩色に、私の知らない、何か別の要因が…? 情報が、足りない。これでは、結論は、出せない……)
その、軍師としての冷静な分析は、しかし、彼女たちの、あまりにも楽しそうな笑顔の前に、かき消された。
まあ、いいか。みんなが、喜んでいるのなら。
ノエルは、初めて、自分の知識が、誰かを『笑顔』にできたという、不思議な充足感を、心の片隅に感じていた。
**
ギルドに帰還し、採取した月光草を査定に出すと、ボルツ親方は、その希少性と状態の良さに、一瞬だけ、その眼帯のない方の目を、驚きに見開いた。
「……ほう。これは、見事なもんだ。どこで採った?」
「ひ・み・つ!」
リヴィアの答えに、ボルツは、ちっ、と一つ舌打ちをしたが、その口元は、どこか楽しそうに歪んでいる。提示された買い取り価格は、予想を少し上回るものだった。
「「「やったー!」」」
三人の少女たちの、歓声が上がる。
ノエルは、その特別報酬の銀貨を、まじまじと見つめた。これで、何日分のスープが食べられるだろうか。
四人は、その報酬をきっちり四等分すると、食堂のテーブルで、ささやかな祝勝会を始めた。
「いやー、今日の報酬で、新しいブーツ、買っちゃおっかなー!」
リヴィアが、機嫌よく、エールを煽る。
「リヴィア先輩、飲みすぎですよ。それより、この爪、どうします? このままにしておいたら、ハンナ先輩に、またネチネチ言われちゃいますよ」
サラが、心配そうに自分の指先を見る。
「へーき、へーき! 『ギルドの風紀を乱さない』って規約だけだから、お洒落はダメなんて、どこにも書いてないでしょ! それより、もうすぐ新年祭じゃん? この爪で、街中の男たちの視線、独り占めだよね!」
「そういえば、来年は、聖歴998年ですね」
リリィが、ふと思い出したように言った。
「私、一度でいいから、領都アウロラの新年祭に行ってみたいです。あの、『明星の街』の」
「あ、私も!」サラが、ぱあっと顔を輝かせた。「領主様が持ってる、国宝級の『銀の鏡』がお披露目されるっていう……」
アウロラ―――明星の街。銀の鏡。
ノエルは、その会話を、ただ黙って聞いていた。
母が、遠い昔に語ってくれたおとぎ話。その、朧げな記憶。
具体的な内容は思い出せない。でも、その二つの言葉が、なぜか、心の奥底の、何か、すごく大切で、懐かしい琴線に、強く、強く、触れるのを感じていた。
彼女は、その、胸の奥の、小さな疼きの正体が何なのか、まだ、知る由もなかった。
**
その日の夕方。
職員寮に戻っていたノエルに、ギルドマスターから、執務室へ来るようにと伝言が届いた。
彼の大きな机の上には、先のスタンピードで鹵獲された、あの『荷車の装置』に関する、分厚い報告書の束が置かれていた。
「ノエル」
マードックの、地の底から響くような声が、部屋の静寂を破った。
彼は、最近のノエルの報告書を眺めながら、頭を抱えていた。情報分析能力は、Bランクのカイ以上。しかし、受付業務は、Fランクの新人以下。この、あまりにも極端なアンバランスさ。
(このままでは、いつか、とんでもないトラブルを起こすか……)
そして手元の書類に目を落とす。『鹵獲装置』の領都アウロラへの移送任務に関する、最終確認の書類だった。護衛は、ギルド最強の『鉄の街道』。そして、その受け渡しには、王国軍が関わる。
(……仕方ない。この任務に、こいつも同行させよう。『鉄の街道』の連中と一緒なら、命の心配はない。貴族や軍人とも顔を合わせるだろう。少しは、社会勉強になるはずだ)
マードックは、苦肉の策として、ノエルに命じることを決めた。
(それに、あのクソ面倒な道中の報告書作成や、経費精算……。こいつの、あの異常なまでの几帳面さなら、ギデオンの小言も減るかもしれん……)
「ノエル。お前に、一つ、重要な『研修』を命じる」
「……研修、ですか?」
「そうだ。『鉄の街道』の護衛任務に、補佐として同行し、領都アウロラまで行ってこい。これは、お前が一人前の受付嬢になるための、社会勉強だ。断ることは、許さん」
アウロラ。
その、今日、奇しくも耳にしたばかりの街の名前。
ノエルは、それが、ただの偶然ではない、何か、大きな運命の始まりであることを、予感していた。
マードックが口にしたのは『研修』という名の、社会勉強の機会。しかし、ノエルの頭脳は、その言葉の裏にある、もっと現実的な意味を正確に分析していた。
(領都アウロラへの道中。ギルドに集まる様々な情報。そして、『鉄の街道』の護衛任務の、補佐……。これは、姉さんを探すための、絶好の機会…!)
マードックは、ノエルに『研修』という名の『雑用』を命じた。
ノエルは、その『雑用』を、自らの目的を達成するための、絶好の『作戦』と捉えていた。
二人の思惑は、全く別の場所にありながら、奇しくも、一つの結論へと収束していく。
ノエルは、マードックの、その鋭い、しかしどこか父親のような温かみのある視線を、まっすぐに見つめ返した。
そして、このギルドの一員として、初めて与えられた、責任ある『任務』を、その小さな両手で、しかし、力強く、受け止めた。
「……はい。謹んで、お受けいたします」
その声の響きと、瞳の力強さ。
(こいつの目と言葉だけは、妙な凄みがあるんだよな……)
マードックは内心で、本日何度目か分からない、ため息をつくのだった。
ノエルの、新しい旅が始まる。
その行き先は、明星の街、アウロラ。
彼女自身の運命と、この世界の運命が、そこから、大きく、そして静かに動き出すことを、窓の外で、夕焼けの中に輝く月だけが、静かに見守っていた。
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