表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第ニ部 第一章 初陣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/81

第30話:社会人一年生と、専用の壁地図

いつも応援ありがとうございます。


【第二部開始記念】

本日は、【一日二話投稿】です。

これは、二回更新の【二話目】です。先に朝7時の投稿からお読みください。


【新章開始】です。

ここから、物語は大きく動き出しますので、ぜひお見逃しなく!

 スタンピードの激戦から二日が経ち、ノエルが受付嬢として初めてカウンターに立ったのは、年の瀬も控えた寒い朝のことだった。


 ニューログレインの職能ギルドは、いつもと変わらぬ、湿った土と、パンの焼ける暖かい匂いに包まれていた。


 新人寮の、硬いベッドの上で目を覚ましたノエルは、今日もまた、自らが置かれた、このあまりにも不可解な世界のルールについて、静かに思考を巡らせていた。


 戦場の朝は、もっと単純だった。敵はどこにいるか。食料はあと何日分か。仲間は、生きているか。答えは常に、生存か、死か、その二つに収束する、極めて合理的な世界。


 しかし、この『社会』という名の新しい作戦地域は、理不尽と、非効率と、理解不能な感情で満ちていた。


 ノエルは、生まれて初めて、自らの魂に宿る『記憶の意思』が、全く役に立たない戦場に、たった一人で立たされていることを、痛感していた。


「――おはよう、ノエル。また、難しい顔して」

 カウンターに立てば、先輩受付嬢であるハンナの、呆れたような、しかし、どこか心配そうな声が飛んでくる。

「あの、ハンナさん。一つ、質問が」

「なんだい、朝から」


 ノエルは、懐から、先日マードックに手渡された金貨を一枚、そっと取り出した。

 それは、スタンピードでの功績に対する特別報酬だったが、彼女の常識では完全に理解出来ていなかった。ただ、なぜか、ギルドで一番偉い人から、手渡されたお金というだけだった。


 村では、銅貨を数枚やり取りするのが関の山。銀貨ですら、行商人が持っているのを、遠巻きに眺めるのがやっとだった。こんな、月のように輝く、重い硬貨など、見たこともない。


「ハンナさん…。この金貨というものは、一体、どのように、扱えばよろしいのでしょうか。銀貨、よりも価値があるの…ですよね…?」


 その、あまりにも初歩的な問いに、ハンナは、一瞬、言葉を失った。そして、こめかみを強く押さえながら、深いため息をつく。


「…金貨一枚で、銀貨百枚。銅貨なら、千枚分だよ。あんたが毎日食べてる、トーマスのスープなら、それこそ、一年分は優に食べられるだろうね」

「い、一年分…!?」


 ノエルは、その、想像を絶する価値に、目を見開いて絶句した。そして、その金貨を、まるで燃え盛る炭火でも触るかのように、慌てて懐へとしまい込む。


「……なくさないように、気をつけな。それだけだよ」

「は、はい…! わかりました…!」


 ノエルは、よく分からないまま、しかし、真面目に頷いた。


 ノエルが、金貨の価値に一人、戦慄していると、その背後に、いつの間にか、事務長のギデオンが立っていた。


「…新人。昨日の帳場だが」

「は、はいっ!」


 びくりと肩を揺らすノエルに、ギデオンは、銀縁の眼鏡の奥から、値踏みするような視線を向ける。


「…数字の計算そのものに、間違いはない。正確無比。そこだけは、評価してやる」

「あ、ありがとうございます」


「だがな」


 ギデオンは、とん、と指で帳簿の一点を叩いた。


「銅貨百二十枚を、銀貨十二枚と即座に換算できんようでは、話にならん。第一、なぜ、あの金貨一枚のお釣りを、全て銅貨で渡そうとした。客の麻袋が、破れるところだったぞ」


「…申し訳、ありません。その方が、枚数が多く、お客様が、より多くのものを得られた、と…」

「……はぁ」


 ギデオンは、ハンナとは、また質の違う、深い、深いため息をついた。


「…まあいい。お前の教育は、ハンナの仕事だ。私は、結果だけを評価する。計算ができるなら、それでいい。せいぜい、足を引っ張るんじゃないぞ」

 それだけを言うと、彼は、再び、音もなく、事務所の奥へと消えていった。

 ノエルは、その痩身の後ろ姿に少し怖気づきながらも小さく頷いた。


「……あの人は、元斥候だからね。気味が悪いだろ?」


 ハンナは、ノエルの顔を楽しそうに見つめると、耳元でこっそりと囁いた。

 ノエルは、ようやく張り詰めていた息を吐き出し、その意識を、再び、ホールの喧騒へと引き戻させた。


 ノエルの耳に、ギルドホールで朝から酒を飲む者たちの、陽気な声が飛び込んでくる。


「しかし、今回の戦後処理は、思ったより早かったな!」


「ああ。なんでも、ギルドと代官所が、結構うまく連携してるらしいぜ。街の復興も、順調だ」

「それもこれも、あのスタンピードを、最小限の被害で乗り切れたおかげだよな。…そういや、最近、例の『地図の妖精』、ぱったりと見なくなったよな?」

「ああ! アレだよな! あった、あった! あの、やたらと的確な情報が書かれたメモ! あれのおかげで、助かった奴、結構いるんじゃねえか?」

「だよなー! また、始めてくれねえかなあ。今じゃ、ギルドの名物みてえなもんだったのによ」


 ノエルはその会話に、ただ、不思議そうに首を傾げた。「妖精…?」、と。

 そして、冒険者たちの視線の先にある、壁の大きな地図へと、自らの視線を移す。


 そこには、あの日の午後、自分が、興奮と、混乱と、焦りの中で、チョークで描き殴った作戦図が、まだ、生々しく残されていた。


 しかし、今の、冷静になった彼女の目には、それは、ただの『ぐちゃぐちゃの落書き』にしか、見えなかった。


 感情のままに引かれた、歪んだ線。統一性のない、走り書きの文字。合理性も、美しさも、そこには、何一つ、存在しない。

 彼女の魂に宿る『記憶の意思』は、その合理性と有効性を理解していても、十五歳の少女ノエルにとっては、ギルドの大切な備品を、衝動的に汚してしまった、許されざる行為の痕跡でしかなかった。


(なんて、ひどいことを…。ギルドの、皆さんの、大切な地図に、私は…!)


 ノエルの顔から、さっと、血の気が引いた。彼女は、カウンターから飛び出すと、その『罪の痕跡』の前に立ち、どうすればいいのか分からず、ただ、オロオロと、狼狽するばかりだった。


 その、あまりにも奇妙で、そして、健気な光景を、カウンターの向こうから見ていたハンナは、本日、何度目か分からない、深いため息をついた。


 彼女は、ゆっくりとノエルの元へ歩み寄ると、その小さな手を、優しく、しかし、力強く、掴んで止めた。


「あんた、何やってんだい」

「は、ハンナさん! だって、こんな、汚い落書きが…!」


「落書き、ねえ」

 ハンナは、ふっと、笑った。その笑みは、呆れと、そして、どうしようもない、愛おしさに満ちていた。


「そいつは、この街を救った、名誉の勲章みたいなもんだ。消すやつがあるか。…まあ、確かに、そろそろ、新しいのが必要だとは思ってたよ」


 ハンナはそう言うと、ギルドの一番奥、いつも、ごう、ごう、と炉の音が聞こえてくる、査定場の方を、ちらりと見やった。


「安心しな。今、あの無愛想な頑固親父――ボルツ親方が、あんたのためだけに、もっとでかくて、もっと情報を書き込みやすい、『専用の壁地図』を作ってくれてるのさ。もうすぐ、完成するって、息巻いてたよ」


「……え?」

 ノエルは、その言葉の意味が、まだ、半分も理解できなかった。


 自分の、ために?


 あの、一度も、目を合わせてくれなかった、怖い顔の、査定員の人が?


 彼女は、ただ、ぽかんと、口を開けて、ハンナの、そばかすの散った、少しだけ、楽しそうな横顔を、見つめることしか、できなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価ポイントで応援していただけると、執筆の大きな励みになります。

感想や誤字報告なども、お気軽にいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on 小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ