第29話:プロローグ
いつも応援ありがとうございます。
【第二部開始記念】
本日は、【一日二話投稿】です。
これは、二回更新の【一話目】です。夜19時の更新もお見逃しなく!
≪心の準備のお願い≫
本日のお話は、登場人物にとって、少し辛い展開となります。
お読みになる際は、どうかご無理なさらないでくださいね。
※【鬱展開】【残酷な描写】を含みます。
古き祈りが、新しい『器』に宿る時
それは、星の軌道をも、僅かに、しかし、永遠に変える
それは、ささやかな『意思』の芽生えとなる
一つの星は、ただそこにあることを己が正義とする
別の星は、巡ることを己が定めとする
その軌道が交わる時、果たしてどちらを是とするのか
誰も、知らない
星々ですら、知り得ない
自らが放つ光が、遠い、遠い、別の星の闇を、静かに照らしていることなど
**
「――アストル……」
暗闇の中、優しい女性の声が、静かに呼びかける。
アストルと呼ばれた幼い少年は、ゆっくりと目を開ける。
そこには、柔らかな陽光の中で、穏やかに微笑む、母の顔があった。その隣では、父が、不器用な手つきで、アストルの髪をくしゃりと撫でる。
その手の、土と、汗の匂い。薪がはぜる音。食卓から漂う、焼きたてのパンの、甘い香り。
全てが、満ち足りていた。
全てが、永遠に続くと、信じていた。
―――ゴォォォッ!
突然、その全てが、轟音と、絶叫に塗り潰される。
壁が崩れ、屋根が燃え落ち、空が、血のような赤黒い色に染まっていく。
見たこともない、硬い鎧を纏った兵士たちが、笑いながら、村人たちに剣を振り下ろしていく。
違う。違う。こんなはずじゃなかった。
僕の故郷が、僕の大切な人たちが、目の前で、いとも容易く、壊されていく。
やめろ。やめてくれ。
「アストル!」
強く、名を呼ばれる。
燃え盛る家々を背に、父が、必死の形相で何かを叫んでいる。母は、その隣で、ただ、泣きながら、こちらに手を伸ばしていた。
その、伸ばされた手が。
父の、叫ぶ口が。
全て、全て、自らが放った、制御不能の『力』の奔流に、飲み込まれて、消えた。
「――目を覚ませ! アストル!」
強く、強く、何度も、呼びかける声。
それは、もう、父のものではない。
冷たく、硬い、鋼のような声。
アストルは、冷たく、暗い簡易ベッドの上で、静かに目を開く。
びっしょりと濡れた冷たい汗が、あれから一度も切ることのなかった、彼の長い黒髪を伝い、痩せた首筋を濡らしていく。
また、この夢だ。
五年間、一日たりとも、逃れることのできなかった、始まりの日の記憶。
それは、もはや悪夢ではない。彼が、自らに課した、永遠に続く戒めそのものだ。
彼は、自らの両手を、まるで呪われたものでも見るかのように見つめた。この手が、全てを奪った。この力が、全てを壊した。
その、決して消えることのない責任の重さが、彼の呼吸を、毎朝、浅く、苦しいものへと変える。
そして、誰に聞かせるともなく、絶望的な声で、ぽつりと、呟いた。
「……こんな力があるから……」
「……誰も…傷付けたくないのに……」
テントの隙間から差し込む月明かりが、彼の、炎の魔道士と呼ばれる青年の、表情のない横顔を静かに照らしていた。
**
ニューログレインの空に、少し欠けた月が浮かんでいる。
夜が明け、東の空が白み始める頃。ギルドの新人寮の一室で、ノエルは、真新しい制服に、少しだけ、ぎこちなく袖を通していた。
村では、いつも、母が繕ってくれた、麻のワンピースしか着たことがなかった。硬い革のベルト、刺繍の一つもない、機能性だけを追求した簡素なチュニック。その全てが、彼女にとって、初めての世界だった。
生まれて初めての、街。生まれて初めての、給金をもらう「仕事」。
村では、仕事とは、畑を耕すことか、家畜の世話をすることだった。誰かに雇われ、決められた時間に「働く」という感覚は、まだ、彼女の肌に馴染まない。
粗末な鏡に映る自分の姿に、まだ戸惑いながらも、その黒い瞳は、しっかりと前を見据えている。
(ここで、生きる。そして、お姉ちゃんを、必ず……)
これから始まる、新しい戦いへの、静かな、しかし強い決意が、その表情には浮かんでいた。
そして、その決意は、カウンターに立ってから、わずか一時間で、無慈悲に、そして、予想の斜め上の形で、粉々に打ち砕かれることになる。
「はい、お嬢ちゃん。依頼達成だ。報酬の残り、頼むぜ」
依頼を終えた、筋肉の塊のような男が、カウンターに、どさりと麻袋を置いた。
「……はい。確認します」
ノエルは、緊張しながら、ハンナに教わった通り、羊皮紙の依頼達成報告書と、帳簿を照合する。読み書きも、計算も、彼女にとっては、難しいことではない。
「…依頼達成を確認。報酬は、銀貨三枚と、銅貨五枚になります」
「おう。じゃあ、こいつから、頼むわ」
男はそう言うと、カウンターに、金貨を一枚、ことりと置いた。
その瞬間、ノエルの思考が、完全に停止した。
(……金貨? きんか? ハンナさんから、習っていない。銀貨と、銅貨は、習った。銀貨一枚は、銅貨十枚。それは、合理的だ。重さも、大きさも、違うから。でも、これは…? この、一番大きくて、重いコインから、どうやって、銀貨三枚と、銅貨五枚を、引けばいいの…?)
ノエルは、金貨と、自分の両手を、ただ、交互に見つめるばかりだった。ぷしゅー、と、頭のどこかから、白い煙が上がる幻覚が見える。
背後で、ハンナの、深いため息が聞こえた気がした。
なんとか、他の職員に助けを求め、その場を乗り切った後。今度は、書類の整理を命じられた。
「昨日までの依頼報告書だ。ちゃんと、日付順に整理しとくんだよ」
「…はい」
今度こそ、と意気込むノエル。しかし、彼女は、ただ、書類を日付順に並べるだけではなかった。
(この依頼と、この依頼は、同じ森の、同じエリア。地理的に関連性が高い。日付は違うが、同じファイルに保管する方が、後の情報分析において、効率的だ)
(こちらのパーティーは、ゴブリン討伐。あちらは、薬草採集。だが、行動ルートが重複している。これは、遭遇のリスク管理として、特筆すべき事項…)
彼女は、ただの整理業務を、無意識のうちに、壮大な「情報戦の準備」へと、変えてしまっていた。一時間経っても、山積みの書類は、一向に片付かない。
そして、極めつけは、昼過ぎ。
Cランクの、少し気のいいパーティが、カウンターの彼女に、気さくに声をかけた。
「よう、新人の嬢ちゃん。精が出るな!」
ノエルは、はっと顔を上げた。
(挨拶。ハンナさんから、教わった。こういう時は、笑顔で、会釈をするのが、望ましい、と)
(笑顔の定義は? 口角を、左右均等に、約三十度、引き上げる。会釈の角度は? 相手との関係性を考慮すると、十五度が、最も合理的か? しかし、そのタイミングは…?)
彼女が、コンマ一秒以下の単位で、最適なコミュニケーションを思考している間に、冒険者は、怪訝な顔で、とっくに立ち去ってしまっていた。
夕方。
その、あまりにも完璧な「ポンコツ」ぶりを、カウンターの隅から、ずっと、頭を抱えて見守っていたハンナは、ついに、天を仰いだ。
その顔には、驚愕と、絶望と、そして、ほんの少しの、笑いをこらえるような、奇妙な痙攣が浮かんでいる。
「あ……あんた……」
彼女は、まるで敗北宣言でもするように、絞り出すような声で、呟いた。
「…………これは……私の手に負えないかもしれない……」
かつて『熱風のハンナ』と恐れられた伝説の剣士は、その日、十五歳の新人受付嬢を前に、人生で初めての、完全な、そして、どうしようもなく愛おしい『敗北』を、味わうのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
待望(?)の【第二部開始】です!
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