第26話:隘路の決戦と、絶望の狼煙
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≪心の準備のお願い≫
本日のお話は、登場人物にとって、少し辛い展開となります。
お読みになる際は、どうかご無理なさらないでくださいね。
※【残酷な描写】を含みます。
夜明けを待たず、戦いの火蓋は切られていた。
ニューログレインの命運を分ける決戦の地、隘路。その狭隘な地形は、ノエルが描いた通り、ギルドにとって最高の、そして敵にとっては最悪の、巨大な罠と化していた。
「突っ込めぇぇぇ! 一匹たりとも、この先へ行かせるな!」
マードックの咆哮が、戦場に轟く。
彼の振るう大剣は、もはやただの鉄塊ではない。隘路の出口を塞ぐ、巨大な城門そのものだった。押し寄せるオークの群れを、その一振りで薙ぎ払い、吹き飛ばす。
全く同時刻、後方へ回り込んでいた『冥府の死天王』。バルガスの両手斧が敵の陣形を粉砕し、レオンの長槍が、その隙間を縫って迫るゴブリンを的確に貫いていく。
「カイ! エルラ!」
「言われずとも!」
後方の崖の上から、エルラの放つ矢が、敵のリーダーや、厄介な雑魚を次々と射抜いていく。そして、その影に紛れるようにして、カイが敵の中央に走り込み、混乱した魔物の喉笛を、音もなく掻き切っていた。
ギルド最強のパーティーと、歴戦のギルドマスター。彼らが守る隘路の封鎖線は、まさに鉄壁だった。
「すげぇ… これがAランクの本気…! 俺たちも、やるぞ!」
ギルドマスターの横で戦う者たちも、その圧倒的な光景に士気を高め、面白いように敵を殲滅していく。
そして、隘路の翼側。
森の中から、四つの風が吹き荒れる。
「サラ、リリィ! あたしたちに遅れるんじゃないよ!」
ハンナの熱風の剣が、オークの群れを焼き払い、道を切り開く。
「二人とも、落ち着いて。敵の動きをよく見て」
ミナの凪いだ矢が、後輩たちを狙う敵の足を、的確に射抜いていく。
サラとリリィは、伝説の先輩たちの、あまりにも次元の違う戦いぶりに圧倒されながらも、必死に食らいつき、その背中を守り続けた。
作戦は、完璧に進んでいた。誰もが、この戦いの勝利を、確信し始めていた。
ただ一人、カイを除いては。
彼は、魔物の死体の山を築きながらも、その眉間には、深い疑念の皺が刻まれていた。
(…おかしい。楽すぎる。敵は、もっと抵抗できるはずだ。まるで、わざと消耗しているようにすら見える。これは、罠か? 俺たちを、この隘路に釘付けにし、その間に、何かを企んでいる…!?)
**
同じ違和感を、ノエルもまた感じていた。
敵地深く、潜伏を続ける彼女の耳には、隘路での戦闘音が、勝利の凱歌のように届いている。しかし、彼女の戦術眼は、その戦況の裏に潜む、致命的な危険性を看破していた。
(順調すぎる。敵は、なぜ、これほど簡単に隘路に誘い込まれた? 陽動を警戒するなら、必ず、別動隊がいるはず。その部隊が、まだ姿を見せていない。どこにいる? まさか、その目標は…!)
ノエルの思考が、最悪の結論に達する。
(隘路にいる仲間たちの、背後…!)
このままでは、隘路で勝利に沸いた仲間たちが、その直後、疲弊しきったところを、背後から奇襲されることになる。完全に、包囲される。
「危ない…!」
知らせなければ。今、すぐに。
彼女は、懐から、最後の切り札である麻袋を取り出した。これを燃やせば、特殊な色の煙が上がり、遠くの仲間にも、緊急事態を知らせることができる。
だが、これを上げれば、自分の位置が、敵に完全に露見する。
(怖い。でも、これを上げなければ、みんなが…!)
脳裏に、ギルドで交わした、仲間たちの不器用な笑顔が浮かぶ。
彼女は、覚悟を決めた。
**
隘路で戦うマードックが、空に立ち上る、見慣れない色の狼煙に気づいた。
「何だ、あれは…?」
その狼煙が、マードックの思考を冷静にさせる。そして、作戦図を見ていた彼の脳裏に、電撃のように伝わる。
彼は、功を焦り、深追いしようとしていたパーティに、即座に叫んだ。
「深追いするな! 罠だ! 下がって戦線を立て直せ!」
その言葉と同時、それまで統率の取れていた魔物たちの動きが、急に、烏合の衆のようにバラバラになった。たしかに、敵が作戦を変更したのがはっきりとわかった。
「落ち着け! このままここで殲滅するぞ!」
一方、隘路の後方で戦うバルガスも、その狼煙に気づいていた。
「あんな場所から狼煙だと? 馬鹿野郎! あいつ、一人で何を見てやがる!」
彼は、仲間たちに叫ぶ。
「行くぞ! あのひよっこを、助けに行く!」
**
狼煙を上げたノエルは、自らが作った煙が天に昇りきるのを見届けるよりも早く、その場から駆け出していた。
(間に合って…! みんなが、気づいてくれれば…!)
すぐに背後から、怒りに満ちた複数の魔物の咆哮が、地の底から湧き上がるように響き渡る。
右手の茂みから、オークの荒い息遣いが聞こえる。左手の岩陰からは、ゴブリンたちの甲高い、獲物を見つけた時の声。
敵は、ただ後ろから追ってくるだけではない。まるで、巨大な網を絞るかのように、左右からも回り込み、包囲網を狭めてくる。
彼女は、野うさぎの動きで、敵の予測を裏切る。不規則に、迅速に。
しかし、敵の数は、あまりにも多すぎる。逃げても、逃げても、獣たちの悪臭と、殺意に満ちた気配が、霧のようにまとわりついて離れない。
息が切れ、足がもつれる。捻った足首が、悲鳴を上げる。
ついに、三方を、魔物の気配で完全に塞がれてしまった。
残された逃げ道は、正面。そこだけ不自然なほど開けた空間だった。
(罠だ…! でも、ここを抜けるしか…!)
最後の気力を振り絞り、その場所へと飛び出した、まさにその瞬間。
彼女の正面。まるで、ずっとそこで彼女が来るのを待っていたかのように、異質な魔力を纏った人影がいた。
「――見つけたぞ、森の鼠」
彼が、ただ、手をかざす。
詠唱も、魔法陣も、何もない。
しかし、その手のひらから、故郷を、両親を、全てを焼き尽くした、あの絶望的な『劫火』が、轟音と共に生まれ出た。
炎の魔道士。
ノエルの思考が、完全に停止する。
体が、恐怖に縫い付けられたように、動かない。
魂の奥底から湧き上がるはずの、あの冷たい知識も、燃え盛るトラウマの炎に焼き尽くされ、今は、ただの沈黙を保っている。
できるのは、ただ、迫りくる死の光を、見開いた瞳で見つめることだけだった。
その、絶望的な光景の一部始終を、木の上から、静かに見つめる青年がいた。
漆黒の皮鎧。胸には、三ツ目の白鴉の紋章。その髪も、カラスのように漆黒だった。
「…介入すべきか? …いや、間に合いそうだな…」
青年は、駆けつけてくる四人を見つけると、驚くほど軽やかで、洗練された足運びのまま、足跡を残すこともなく、森に溶け込むように姿を隠した。
**
炎の魔道士が、ノエルにとどめを刺すべく、その火球を振りかぶる。
まさに、その瞬間。
「――舐めるんじゃねえぞ、化け物野郎ォォッ!!」
バルガスの、地を揺るがす雄叫び。
炎の魔道士の側面から、カイの短剣が、音もなく迫る。
『冥府の死天王』が、ノエルの前に飛び出す。
炎の魔道士は、カイの奇襲を、まるで背中に目がついているかのように、最小限の動きで回避する。そして、四人を同時に相手取りながら、なお、圧倒的な力を見せつけた。
だが、彼の動きが、一瞬、確かに止まった。
彼が、炎に照らし出されたノエルの、黒髪黒目を見た、その時。
(――リノレア…?)
脳裏をよぎった約束。その、ほんの一瞬の躊躇。
百戦錬磨のカイが、その千載一遇の好機を見逃すはずがなかった。
「今だ! 撤退するぞ!」
カイは、ノエルの体を軽々と担ぎ上げ、森の闇へと駆け出す。バルガスとレオンが、決死の覚悟で殿を務め、エルラの矢が、魔道士の追撃を僅かに、しかし確実に、阻害する。
炎の魔道士は、なぜかそれ以上、深追いしてこなかった。ただ、ノエルが消えた方向を、静かに見つめているだけだった。
**
走りながら、カイが、腕の中で震える少女に叫ぶ。
「おい、ひよっこ! しっかりしろ! 一体、何があった!」
ノエルは、恐怖で震えながらも、必死に、その思考を、再び、戦場へと接続しようとしていた。
まだ、終わっていない。
本当の戦いは、ここからなのだから。
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