表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第一部 最終章 辺境の軍師

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/81

第23話:誘致導入と、黎明の連鎖

いつも応援ありがとうございます。


≪心の準備のお願い≫

本日のお話は、登場人物にとって、少し辛い展開となります。

お読みになる際は、どうかご無理なさらないでくださいね。

※【残酷な描写】を含みます。

 森の奥深く。全ての戦場の喧騒から隔絶された、静かな風上の丘で、ノエルは一人、彼女だけの戦争を始めていた。


 彼女の足元には、大きさの違う麻袋が、いくつも無造作に置かれている。それぞれの中には、用途に合わせて調合された、乾燥薬草や木の根、キノコの胞子などが、ぎっしりと詰め込まれていた。

 それは、この世界の誰も知らない、恐るべき化学兵器の数々だった。


(私の目的は、『黎明のそよ風』を孤立させないこと。でも、私に直接的な戦力はない。ならば、敵の戦力を、可能な限り削ぎ落とす)


 彼女は、魂の知識が示す、最も効率的な戦術を選択していた。


 まず、敵主力が進むであろう街道筋の、風上にあたる二箇所へ、二つの大きな麻袋を設置する。中には、魔物が本能的に嫌う『狼泣かせ』の根が、大量に詰め込まれていた。これを燃やせば、ツンと鼻を突く刺激臭の煙が、見えない壁となって敵の進軍ルートを限定するはずだ。


 次に、その煙壁によって進路を逸れた敵が向かうであろう、二つの分岐路の先に、それぞれ別の麻袋を置く。

 一つは隘路あいろへ、もう一つは沼地へと続く道。

 そこには、オークが好む特定のキノコの胞子を混ぜ込んだ、甘く、微かに腐臭の混じった誘引剤が入っている。敵戦力を、二つのキリングゾーンへと分散させるための罠だ。


 そして、その道中の数か所に、方向感覚を僅かに麻痺させる『霧見草』を混ぜた麻袋を配置。これで、敵部隊の指揮系統は、内側から確実に蝕まれていくだろう。


 ノエルは、あらかじめ樹脂を塗り込んでおいた蔦の蔓を、それぞれの袋に繋いでいく。全てに火をつけた後、自分がこの場を離れても、計算された時間差で、全ての袋が燃え上がるように。


 その準備は、あまりにも手際が良く、冷徹で、まるで熟練の工兵が、長年繰り返してきた作業であるかのようだった。


 全ての設置を終えた彼女は、丘の上に戻ると、最後に残った一番小さな袋の口を開けた。中には、神経を麻痺させる強力な効果を持つ『石化胞子』の粉末が、白く、細かく、入っている。


 彼女は風向きを慎重に読み、風が東門の戦場へと向かう、完璧なタイミングを見計らうと、その白い粉を、風の中へと、そっと解き放った。

 粉は、朝日を浴びてキラキラと輝きながら、見えない死の帳となって、眼下の戦場へと、ゆっくりと、しかし確実に、流れていく。


 これで、全ての準備は終わった。


(…東門へ向かう敵尖兵の数は、これで半分以下になるはず。マードックさんが、その戦力の不自然さに気づき、敵主力の本当の狙いが、この隘路にあると看破してくれれば…)


 ノエルは、そこまで思考し、一度、唇を噛んだ。


(でも、『黎明のそよ風』が無事に離脱できるかどうかは…分からない。私にできるのは、ここまで。あとは、彼女たち自身を…祈ることしかできない)


 夢の中の教官は言っていた。『迷ったら、任務に立ち返れ』と。


 でも、それだけでは足りない、とも言っていた気がする。仲間を信じる心、という、彼女にはまだ理解できない、不合理な何か。


 ノエルの思考は、そこで断ち切られた。

 感傷に浸っている時間はない。彼女は、残った道具を手早くまとめると、自らが描いた、次なる戦場へと、静かに移動を開始した。


 その小さな背中には、この戦場の運命の全てが、かかっていた。


 **


 東門前の防衛線。


 マードックは、オークの死体の山を築きながらも、眉間の皺を深くしていた。


「おかしい…。敵の数が、少なすぎる。まるで、本隊の到着を待つための、時間稼ぎのようだ。だが、なぜ、その本隊が来ない…?」


 その横で、伝説のコンビ『黎明の風』は、次々に来る魔物の群れに足止めされ、『黎明のそよ風』の救出に向かえず、イライラしていた。


 ハンナが、不意に鼻をひくつかせる。風向きが変わり、森の奥から、微かに、しかし嗅ぎ慣れた匂いが流れてきていた。


 それは、ノエルがギルドの実験室で、いつも薬草を調合していた時の、独特の、少し薬臭い匂いだった。


(…この匂い、まさか…! あのひよっこ、こんな場所で、一体何を…!?)

 ハンナの脳裏に、ノエルがチョークで描き殴った、あの異様な作戦図が蘇る。


 その瞬間、東門を攻めていた敵部隊の統率が、僅かに、しかし明らかに乱れた。ノエルの仕掛けた混乱剤の煙が、効果を発揮し始めたのだ。


 この、千載一遇の好機。

 戦場の外から、冷静に全体を俯瞰していたミナが、それを見逃すはずがなかった。


「ハンナ! 今よ!」

 ミナの一矢が、混乱したオークのリーダーの眉間を射抜く。


 ハンナは、このあり得ないほどの幸運が、偶然ではないことを確信していた。


「…あのひよっこが、やりやがったのか…!」


 二人は、この好機を最大限に活かし、森の中で孤立しているであろう『黎明のそよ風』の救出へと向かうことを、瞬時に決断した。


 **


 森の中は、鉄と血の匂いで満ちていた。

 Cランクになったばかりの『黎明のそよ風』にとって、それは、あまりにも濃密な死の匂いだった。


「リリィ、矢は!?」

「もう、ない…! 残り、三本…!」


 サラは、リリィを背にかばいながら、荒い息をついた。

 自らの功を焦り、無謀な突撃を仕掛けた判断ミス。その代償は、あまりにも大きかった。オークの群れに完全に包囲され、仲間とは分断。もはや、ギルドへの報告どころか、生きてこの森を出ることすら絶望的だった。


(ごめん、リリィ…。私の、せいで…)


 だが、後悔に浸る時間すら、敵は与えてくれない。

 一体のオークが、地の底から響くような雄叫びを上げ、サラへと棍棒を振り上げた。

「させない!」

 リリィの放った最後の一矢が、オークの腕をかろうじて逸らす。しかし、その一撃で、彼女の矢筒は、完全に空になった。


 サラも、度重なる戦闘で体は限界だった。オークの次なる一撃を、もはや受け止める力は残っていない。


「ここまで、か…」


 二人が死を覚悟し、互いの名前を叫ぼうとした、まさにその瞬間だった。


 ヒュンッ、と。

 空気を切り裂く、鋭い風の音。

 次の瞬間、サラに迫っていたオークの眉間を、一本の矢が、まるで吸い込まれるように、寸分の狂いもなく射抜いていた。

 巨体が、うめき声も上げずに崩れ落ちる。


「「え…?」」


 姉妹のように育った二人の声が、呆然と重なった。

 何が起きたのかを理解するよりも早く、森の木々の間から、二つの影が、まるで風のように戦場へと躍り出た。


 一つは、炎のような熱気を纏った、黒い閃光。

 もう一つは、その閃光が切り開いた道筋の、全ての急所を射抜いていく、凪いだ死線。


「ハンナ…さん…?」

「ミナ、さんまで…!?」


 サラとリリィは、目の前で繰り広げられる、信じがたい光景に、言葉を失った。

 それは、もはや戦闘ではなかった。蹂躙。あるいは、舞踊と呼ぶ方が、ふさわしいのかもしれない。


 ハンナが、オークの群れに突っ込み、その注意を一身に引きつける。彼女の熱風の剣が、敵の陣形を大きく、そして力強くかき乱す。

 ミナは、一歩も動かない。ただ、その静かな瞳で戦場全体を俯瞰し、ハンナが作り出した、ほんの一瞬の隙、ほんの一点の急所を、必中の矢で射抜いていく。

 棍棒を振り上げたオークの利き腕の腱を、そして、逃げようとしたゴブリンの足を。

 矢が放たれるたびに、敵の戦力は、機能的に、そして静かに、解体されていった。


 かつて『黎明の風』と呼ばれた二人の連携は、Cランクパーティーが束になっても敵わない、あまりにも次元の違うものだった。

 サラとリリィは、憧れの先輩たちの、その圧倒的な強さを前に、ただ、震えながら立ち尽くすことしかできなかった。


 最後のオークが、ハンナの剣に両断され、森に、つかの間の静寂が戻った時。

 ハンナは、剣に付着した血を乱暴に振り払うと、ズカズカと、まだ呆然としているサラの前へと歩み寄った。


 パァン!

 乾いた音が、森に響く。

 ハンナの、本気の平手打ちが、サラの頬を赤く染め上げた。


「この、大馬鹿者がッ!」

 ハンナの、怒声が飛ぶ。


「死にたくなきゃ、頭を使いな! あんた一人の判断ミスで、仲間を、自分を、危険に晒すんじゃない! それが、パーティーを組むってことの、一番大事なルールだろうが!」


 厳しい、厳しい叱責の言葉。しかし、そのハンナの瞳は、本気でサラの身を案じ、悔しそうに、潤んでいた。

 サラは、反論の一つもできなかった。悔しさと、助けてもらえた安堵と、そして、自らの未熟さへの、どうしようもない情けなさ。その全てが、涙となって、その大きな瞳から、ぽろぽろと零れ落ちていく。


「う…、うわあああああん……! ごめん、なさい…っ!」


 その場に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくるサラ。

 その隣で、同じく恐怖に震えが止まらないリリィの肩を、ミナが、そっと、優しく抱きしめた。

「よく頑張ったわね。怖かったでしょうに」

 その、全てを包み込むような、穏やかな声に、リリィもまた、堰を切ったように泣き出した。


 泣きじゃくるサラの頭に、ハンナが、ぽん、と大きな手を置いた。その手つきは、不器用だが、温かかった。

「…でも、仲間を見捨てなかった。その心意気だけは、褒めてやるよ」


 その時、ふと、ミナが、森のさらに奥深くの、異様な静けさに気づいた。

「…ハンナ。おかしいわ。あれだけの数の魔物がいたのに、この先の森は、まるで何事もないかのように、静かすぎる…」


 ハンナも、その異常さに気づく。そして、風に乗って微かに運ばれてくる、あの嗅ぎ慣れた薬草の匂い。


(…まさか…あのひよっこが、やりやがったのか…!?)

 自分たちが助かったのも、この森の異様な静けさも、全ては、たった一人の少女の、声なき戦いの結果なのではないか、と。


 ハンナは、泣きじゃくる後輩たちに、しかし、指揮官としての厳しい声で告げた。

「さあ、立て、二人とも! いつまでもメソメソするんじゃない! お前たちには、まだ任務が残ってる!」

 サラとリリィが、涙で濡れた顔を上げる。


「ギルマスの所へ戻って、ここで起きたこと、見たこと、全てを報告しろ。それが、お前たちの最後の仕事だ。できるな?」

「「…はい!」」

 二人は、力なく、しかし確かに頷いた。


 ハンナは、ミナへと向き直る。ミナは、静かに、ほとんど空になった矢筒を指さした。

「ああ、分かってる」

 ハンナは、森の奥深く――ノエルがいるであろう方向を、鋭い目で見据えながら、宣言した。


「まずは報告だ。それから、ありったけの矢を補充する。そして、すぐにあの馬鹿を助けに向かうよ!」


 伝説の風は、感情だけでは動かない。

 確かな勝算と、仲間への信頼を胸に、次なる戦場へと、静かに、そして着実に、その翼を広げようとしていた。


 **


 東門前の前線指揮所。


 救出された『黎明のそよ風』のサラが、マードックに、命がけで持ち帰った情報を報告していた。

「…間違いありません。オークの群れの中に、明らかに人間と思われる、黒い鎧の兵士がいました。そして、彼らは、何か、大きな荷車のようなものを、まるで宝物のように、必死に守っていたんです…!」


 その言葉を聞いた瞬間、マードックの脳裏で、これまでの全ての「違和感」が、一つの、恐るべき線として繋がった。


(統制されたゴブリン…陽動としか思えぬ尖兵…そして、人間…!? まさか、これは、ただのスタンピードではない。魔物を隠れ蓑にした、人間の軍事行動…!)


 彼は、ギルドの壁のノエルが描いた作戦図を、記憶から呼び起こす。


(だとしたら、あの小娘が最初に言っていた「各個撃破される」という警告は、全て、この状況を予測してのものだったというのか…!?)


 マードックは、慄然としながら、その地図に込められた、一人の少女の、恐るべき戦術眼の真意を、今、この瞬間に、完全に理解した。

 彼は、伝令役のDランク冒険者に、地の底から響くような声で、新たな命令を叫んだ。


「Cランクの一部を防衛に残し、本隊は、これより転戦する! 目標は、森の奥、地図に示された『隘路』だ! 全速力で向かえ!!」


 ギルドマスターが、初めて、一人の少女の作戦に、街の全ての運命を賭けた瞬間だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価ポイントで応援していただけると、執筆の大きな励みになります。

感想や誤字報告なども、お気軽にいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on 小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ