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【第三部開始】『辺境の軍師』~職能ギルドの受付嬢は、戦術の知識で静かに世界を救いたい~  作者: かわたん
第一部 最終章 辺境の軍師

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第22話:黎明と、風

いつも応援ありがとうございます。


≪心の準備のお願い≫

本日のお話は、登場人物にとって、少し辛い展開となります。

お読みになる際は、どうかご無理なさらないでくださいね。

※【残酷な描写】を含みます。

 朝日が、広大な森の東から登る。その光が、夜の間に地面に這った戦場の霧を、ゆっくりと黄金色に染め上げていく。

 遠くに見えるニューログレインの外壁は、ここからでは小さな黒い線にしか見えない。


 深い森の中、小高い丘の上で、ノエルは周りの状況を俯瞰していた。


 彼女の瞳には、一切の感情が浮かんでいない。ただ、冷徹な観測者として、眼下に広がる全ての事象を、情報として取り込んでいく。


 遠くで一斉に飛び立つ鳥の群れ。魔物たちが移動することで巻き上がる、微かな土煙。風に乗って、かろうじて耳に届く金属音と、獣の咆哮。


 あそこで戦闘が起きている。実際に人が、その正義を懸けて傷ついている。


 その場所は、ここからは遠いが、ノエルの頭の中にある作戦図のポイントと、寸分の狂いもなかった。敵の勢力も、ただの尖兵による擾乱(じょうらん)。ギルド本体の被害は、まだ最小限だろう。


「もうすぐ…」


 ノエルが、ただ、そう呟いた。

 彼女の視線が、右に転じられる。そこは街から見て南側。


 突然、森の切れ目で、新たな戦端が開かれた。それもまた、彼女の予想通り。昨日、彼女が壁の地図に描き込み、カイたち『鉄の街道』に託した、迎撃ポイントだった。


「ちゃんと、バルガスさん達が、動いてくれた…」


 その声には、わずかな安堵が滲んでいた。


 そしてまた、視線を正面に戻す。

 そこは、最初の戦闘が続いている場所。ギルドの作戦では、最も危険な陽動部隊として配置されてしまった、『黎明のそよ風』の戦場だった。


 ノエルの、観測者としての時間は終わった。

 ここからは、彼女自身が、この戦場の駒となる。

 彼女が描いた、巨大な罠の、最後の歯車を、自らの手で動かすために。


 ノエルは一度、深く、静かに息を吸い込んだ。


 そして、覚悟を決めたように、森の斜面を駆け下り始める。


 敵の本格的侵攻まで、残り一日に迫った朝だった。


 **


 森の中は、夜の間に降った雨で、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込めていた。


 斥候任務を受けたCランクパーティー『黎明のそよ風』のサラとリリィは、その匂いとは別の、獣じみた悪臭に顔をしかめていた。


「サラちゃん、これ以上は危険だよ。敵の気配が濃すぎる。一度戻って、ギルマスに報告しないと…」


 リリィが、周囲を警戒しながら、不安げに声をかける。

 しかし、先頭を進むサラの足は止まらない。昨日、念願のCランクに昇格したばかりの彼女は、手柄を立てようと少し気負っていた。


「大丈夫だって、リリィ! 私たちも、もうただのDランクじゃないんだから。それに、ここで敵の尖兵の位置を正確に把握できれば、ハンナ先輩たちも動きやすいでしょ?」


 その、焦りにも似た気負いが、彼女の判断を鈍らせていた。


 茂みを抜けた先、少し開けた場所に、それはいた。数十匹はいるだろうか。ゴブリンとオークの混成部隊が、まるで出撃前の軍隊のように、不気味な静けさで集結している。


「……!」リリィは息をのみ、即座に撤退の合図を送ろうとした。

 だが、サラは、その数に怯むどころか、好機と捉えてしまった。


「リリィ、見て! ゴブリンの一団は、まだこっちに気づいてない。あそこだけでも叩けば、後の本隊が楽になるはずだよ!」

「無茶だよ、サラちゃん! 罠かもしれない!」


 リリィの悲痛な制止も、今のサラの耳には届かない。彼女は、ゆっくりと剣の柄に手を掛けた。


 **


 ニューログレイン東門の分厚い門は固く閉ざされ、そこには、街の命運を賭けた防衛線が構築されていた。


 街の外壁の後ろに急遽一晩で増築された矢倉には、緊急招集された街の自警団が、弓と槍を構え、万が一にも防衛線が突破された場合に備えて、緊張した面持ちで待機していた。


 その前方の森の外縁の近く。


 ギルドマスター・マードックを中央に、Cランクの冒険者パーティーが三つ、横一列に陣を構える。彼らの任務はただ一つ、この防衛線を死守し、一体たりとも魔物を門に近づけさせないこと。


 しかし、彼らの表情には、覚悟とは別の、焦りの色が浮かんでいた。


 斥候として先行させた『黎明のそよ風』からの報告が、まだない。


 敵の正確な規模も、主力の位置も分からぬまま、ただ、静寂の中で敵の第一波を待ち構える。その、息の詰まるような時間が、経験豊富なベテランたちの神経をすり減らしていく。


「…ちっ、遅いな、あいつら」

 最前線に立つハンナが、忌々しげに吐き捨てた。


 その姿は、いつものシニカルな受付嬢のものではなかった。体にぴったりとフィットした黒革の軽鎧。腰には、鞘に収められた、使い古されたロングソード。それは、彼女が現役だった頃の、戦うための装備だった。


「ほう」

 隣に立つマードックが、その巨体から、感心したような、それでいてからかうような声を漏らした。


「その格好もひさしぶりに見たな。もう、解散してから三年か? 似合ってるぞ、『熱風のハンナ』」


「うるさいね、爺さん。昔の名前で呼ぶんじゃないよ」


 ハンナは、照れを隠すように、そっぽを向いて悪態をつく。

「それより、あの子たちはまだかい。まさか、ヘマしたんじゃ…」


 彼女の言葉が、現実のものとなる。

 森の奥から、報告の狼煙ではない、獣の咆哮が響き渡った。


 次の瞬間、森の木々を薙ぎ倒すようにして、緑色の津波が、防衛線へと殺到してきたのだ。


「来たか! 全員、構えろ!」

 マードックが、地の底から響くような声で叫ぶ。


「絶対に門に近づけさせるな! 後はないぞ!」


 戦闘は、唐突に始まった。


 先陣を切ったゴブリンの群れを、Cランクパーティーたちが巧みな連携で屠っていく。しかし、後続のオークたちの突進は、あまりにも重い。


 ハンナは、剣にうっすらと炎のような熱気を纏わせると、オークの群れへと単身突っ込んだ。彼女の剣が閃くたび、オークの硬い皮膚を焼き斬り、断末魔の叫びが上がる。

 だが、敵の数は、あまりにも多すぎた。


「…おかしいな」

 一体のオークを両断したマードックが、眉をひそめた。


「報告にあった規模にしては、数が少なすぎる。それに、動きが単調だ。まるで、ただの陽動みてえだ…」


 その、マードックの戦術的な違和感。

 それに、戦場が答えを返す。


「――グルルルオオオオォォッ!!」


 森のさらに奥から、地を揺るがす咆哮が轟いた。


 オークの群れを、まるで子供を掻き分けるかのようにして、それは現れた。


 身の丈3メートルはあろうかという、オーガ。その手には、大木をそのまま武器にしたような、巨大な棍棒が握られている。


 戦場の空気が、一変した。Cランク冒険者たちの顔に、絶望の色が浮かぶ。


「Cランクは纏まってオークを潰せ! オーガは俺がやる!」


 マードックが叫び、オーガへと一人突進していく。


 その背中を見送りながら、ハンナは、押し寄せるオークの群れを前に、奥歯を強く、強く、噛み締めた。


 ギルドの防衛線は、オークの群れの猛攻を受け、じりじりと後退を始めていた。なんとか大きな怪我人を出すことなく食い止めてはいるものの、Cランクパーティたちの顔には、疲労の色が濃く浮かび始めている。


 防衛線の隙間をすり抜けた数匹のゴブリンが、門へと緊迫する。


「一番隊、放て!」


 矢倉の上から、自警団の声が響く。放たれた矢が、ゴブリンたちの喉を正確に射抜いていく。

 しかし、自警団の矢の数にも限りがある。この防衛線が崩壊すれば、街は終わりだ。


「くそっ、キリがねえ!」

 ハンナは、悪態をつきながら、オークの棍棒を剣で受け流す。その衝撃に、腕が痺れる。

 一人で複数のオークを相手にするのは、引退して久しい彼女の身体には、あまりにも荷が重かった。


 一体を斬り伏せた、その一瞬の隙。


 別のオークの棍棒が、彼女のがら空きになった脇腹を狙い、唸りを上げて振り下ろされる。


(しまっ――!)


 防御が、間に合わない。

 死を覚悟した、その瞬間。


 ヒュッ、と。

 風を切り裂く、乾いた音。


 ハンナに迫っていたオークの眉間に、一本の矢が根元まで深く突き刺さり、巨体が、うめき声も上げずに崩れ落ちる。


 ハンナが、驚いて背後を振り返る。


 そこには、3年前に脱いだはずの、古びた皮鎧を窮屈そうに身にまとった親友の姿があった。その手には、かつて戦場を共にした時と何一つ変わらない、静かな輝きを放つ短弓が握られている。


「ミナ…! あんた、その格好…!」

「あら?右目を狙ったはずなんだけどな」

 ミナは、にっこりと、悪戯っぽく微笑んで見せた。


「似合ってない? やっぱり、ちょっとキツくなったかしら。それより、受付嬢で身体がなまってるのは、あなたの方みたいね」

「うるさいね! あんたこそ、ちゃんと戦えるのかよ!」


 軽口を叩き合いながらも、二人の背中は、吸い寄せられるように、ぴたりと合わさる。


「ヘマするんじゃないよ!」

「ふふ。こんなところで『凪のミナ』が死ぬなら、この街はとっくに壊滅しちゃってるでしょ?」


 伝説のコンビ『黎明の風』、一日限りの復活。


 ハンナの熱風の剣が、炎の壁となって敵を薙ぎ払い、ミナの凪いだ矢が、その壁の隙間を寸分違わず射抜いていく。


 近くで剣を振るCランクパーティが、戦場で舞う二人を見て、次々に士気を回復させる。

「あの二人、『黎明の風』…だよな? すげぇ…やっぱ伝説だぜ…」


 『黎明の風』の完璧な連携は、崩壊寸前だった東門の戦線を、圧倒的な力で押し戻していった。


 マードックの渾身の一撃が、ついにオーガの首をもぎ取る。


 勝利の雄叫びが上がる中、ハンナとミナは、血と泥に汚れながらも、互いの無事を確認し、力強く頷き合う。


 しかし、彼女たちの視線は、安堵ではなく、新たな決意を宿して、森の奥深くへと向けられていた。


「あの子たちを、助けに行くよ!」


 本当の戦いは、まだ終わっていない。


 伝説の風は、今、仲間を救うため、再び戦場を駆け抜けようとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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