第4話「影の薄い王様と、知られざる“型”の記憶」
お読み頂きありがとうございます。
――王様の話をしよう。
この国の王様はとにかく影が、薄い。
僕が召喚された時も、僕がギルバートと戦った時も、その場にいた。
いたはずなんだけど、なぜか記憶に残っていない。
いや、いた。確実に、いたんだ。
レイナが王様に敬語で報告してたし、それに何より、あの変なテンションの「型騎士団だ!」ってセリフ――
……でも、正直、存在感がペラペラだった。
今日も例によって、僕は王城の中庭に呼び出されていた。
ギルバートの稽古を午前いっぱい付き合ったあと、ようやく水を飲んでいたところに、あの“声”がかかる。
「やあやあ、ユウ君。調子はどうかね?」
どこか間の抜けた、でも妙に耳に残る声。
振り返ると、例の王様が立っていた。
ゆるくウェーブのかかった銀髪に、軽そうなガウン、そして手にはぶどう。
……なんでいつも、食べてるのこの人。
「相変わらず、影が薄いですね……」
「ほっほっ、失敬な。だがそれが“王”の務めだよ。見えてるようで、見えていない。聞こえているようで、聞いていない。
――それがこの国を“保つ”ということさ」
さらっと深そうなことを言ってるけど、やっぱり軽い。
王様は、ぶどうの皮をぺいっと地面に捨てながら続けた。
「ユウ君。君の“型”について、話をしよう」
僕の動きが止まる。
この国の誰もがまだ正体を掴みかねている“型”について、王様が話し始めたのは初めてだった。
「君の型には、見覚えがある」
「えっ……?」
「私が若かった頃、まだこの国が小国だった時代――一人の剣士が現れた。名は、アサクラ・ソウジロウ。
誰にも教えを与えず、ただ黙々と型を繰り返していた。
そしてある日、突然姿を消した。君の父上……違うかね?」
――アサクラ・ソウジロウ。
それは、僕が幼い頃からただ一人に教えられてきた“父”の名だった。
「……なんで、その名前を……」
「彼は、百年前にも現れた。いや、もっと正確に言えば――“何度も現れている”」
王様の声が、いつになく真面目だった。
それどころか、空気が――いや、“空間”が、ピンと張り詰めたように感じた。
「異界の“型”を携えた者。過去にも、君のような存在がいた。
彼らは皆、“塔”を目指し、そして――消息を絶った」
「……!」
「型とは、ただの剣術ではない。“時を斬り、空間を整える術”。
この世界に本来あってはならぬ技だ。
ゆえにそれは、滅びを招くとも、救いをもたらすとも言われている」
僕の心臓が、ひとつ跳ねた。
あの声――「型は世界を滅ぼす」と囁いた、あの誰かは……。
「では……僕の型は、いったい何なんですか……?」
「それは君自身が、確かめるしかない。だが、君の中にあるものは――“継がれた記憶”だ」
「記憶……?」
王様は、最後のぶどうを口に放り込みながら、いつもの調子に戻って言った。
「君が継いだのは、技術だけではない。
剣の動きに刻まれた“願い”や“呪い”、すべてが型に刻まれている。
君の剣筋がこの世界を裂く時、過去の“誰か”もまた、同じ動きをしたということさ」
……それってつまり、
型をやるたびに、誰かの記憶をなぞっているってこと……?
「ま、そんな難しい顔をしなくてもいい。若者は悩むくらいでちょうど良い。
……さて、私は昼寝の時間なので、さらばだ」
そう言って王様は、まるで煙のようにふわっとどこかへ消えていった。
いつの間にか、周囲には誰もいなかった。
この石畳の中庭で、僕だけがぽつんと立っていた。
(型は――記憶? そして、呪い……?)
ふと、地面を見下ろす。
そこには、僕が今朝型を繰り返してできた、無数の踏み跡。
でもその一つ一つが、誰かの記憶だったとしたら――
(僕は……いったい、何を継いでいるんだ?)
その夜。
またしても、声が囁いた。
「ユウ・アサクラ。お前の型は、過去そのものだ。
――過去が集まりすぎれば、未来は潰える」
目を開けても、そこには誰もいない。
ただ、風が静かに、剣のように肌を切った。
――レイナの話をしよう。
そう、僕に弟子入りしたはずなのに、僕を弟子のようにこき使う彼女の話だ。
「はい、次は中段からの横なぎ十本! 遅い! 構えが甘い! 目線! 気合い!」
……いや、僕、師匠なんですよね?
なんで今、朝六時の訓練場で、彼女に怒鳴られながら“型”をやらされてるんでしょうか。
「ちゃんと型をなぞるなら、それ相応の“気”も込めなきゃダメでしょ!」
「ええと、でも僕はいつも無心でやってたというか……」
「無心ってのは“心がない”んじゃなくて“心を超える”って意味なの! ほら、次!」
僕の言葉は通じないらしい。
最近気づいたんだけど、レイナって思い込んだら一直線なんだ。
「型を極めたい」と決めてからというもの、彼女は僕の“観察”と“再現”に異常な執念を見せている。
たとえば、僕が何気なくやった“受け流しの型”を見て、
「あの肘の角度、0.5度ズレてたら重心崩れてた。なにそれ、神か」
と真顔で呟いたときは、さすがに怖くなった。
でも、その集中力と熱意は、本物だ。
訓練を重ねるたび、レイナの“型”は磨かれていく。
それはもはや、ただの真似ではなかった。
“理解しよう”という強い意志が、その動きに宿っている。
(レイナ……すごいな)
一方、僕はというと――どうも最近、動きが“重い”。
いや、体が重いとかじゃなくて。
“動きそのものが意味を持ちすぎてしまう”というか……。
型をとるたびに、ふっと胸の奥に“誰かの思念”が流れ込んでくる感覚がある。
懐かしいようで、怖いようで。
昨日、王様に言われた「型は記憶だ」という言葉が、今さらじわじわ効いてきた。
(僕は……本当に自分の“型”を使ってるのか?)
「ユウ、ぼーっとしない!」
「うわっ、ご、ごめん!」
レイナの木剣が、僕の肩を軽く打った。
痛くはない。でも、彼女の真剣さが伝わってきて、心の方がチクリと痛む。
「何か迷ってることがあるなら、言いなさい」
「……え?」
「剣を振るうってのは、心を曝け出すことよ。動きに出るの。
アンタ、今、自分が斬ってるのか、“誰かの代わりに”斬ってるのか、わかんなくなってるでしょ?」
図星だった。
「……うん、たぶん、その通りだと思う。
最近、“自分の動きじゃない”気がするんだ。身体は自然に動くけど、それが僕自身の意志じゃないというか……」
「……そっか」
レイナは木剣を地面に突き立てて、しばらく沈黙した。
いつも強気な彼女が、言葉を探しているようだった。
「ユウ。私はね、“誰かの型”でもいいって思ってる」
「……え?」
「たとえそれが、自分の動きじゃなくても。
その“誰か”が、命を懸けて残した動きなら――私は、それを誇りにできる」
彼女の目は、まっすぐだった。
「だから私は、アンタの型をなぞる。でも、それだけじゃ終わらない。
“誰かの型”を、“自分の型”にする。それが私の剣士としての目標なの」
……僕は、言葉を失った。
そうだ。僕が“型”に飲まれそうになってるのに対して、
レイナは“型”を呑み込もうとしてる。
教えてるつもりだった。
でも――ずっと、教えられてたのかもしれない。
(この人……やっぱり、すごいな)
「……ありがとう、レイナ」
「なによ、改まって。気持ち悪い」
「ひどいなあ……」
そう言いながら、僕は久しぶりに、心から“自分の型”をとった。
誰のでもない、僕自身の動きとして。
その夜。
また“あの声”が、どこからともなく響いた。
「――ユウ・アサクラ。“型”は変質する。
継承とは、模倣ではない。“再解釈”だ。
……お前の弟子は、それを知っている」
目を開けると、静かな夜風が石畳を撫でていた。
風の音に、どこか、木剣の素振りの気配が混じっていた。