お母さんの電話
その日も、みどりに余裕などなかった。
あれもこれも、やることが山積みで何から手を付けていいのかわからない。あと10歳若ければ、もう少し頭の回転速度も上がるのに・・・。考えてもしょうがないことばかり考えてしまう。
不意に息苦しくなり、自分が息をするのも後回しにしていることに気づく。意識して息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。忙しすぎて呼吸の仕方も忘れてしまいそうだ。このところ、自分が何をしていたのかわからなくなりフリーズすることも、度々あった。
またか・・電話の呼び出し音にうんざりする。さっきの電話の対応も終わっていないのに、次から次へと・・・発狂したくなる気持ちをこらえて、みどりは勢いよく受話器をあげた。
「はい!有限会社ハマテツです。・・・え?あ、のぼるの・・いつもお世話になっております。ええ・・はい・・・・えっ?のぼるがですか?ええ・・・・・はい、わかりました。明日ですね。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。・・・はい、よろしくお願いいたします。」
のぼるの学校の担任からだった。のぼるがお友達に怪我をさせたと言う。今日は病院へ行ったりして対応に忙しいから、明日学校に来てほしいとの話だった。
電話を切ってからも、しばらく呆然としていた。
あの子が、なんで・・?確かにお兄ちゃんと違って大人しくて何考えているのか、わからないようなところもあった。でも人を傷つけたりするような子ではなかったはずだ。・・・どのくらいのケガなんだろう。もし入院なんて事になったらと、みどりは気持ちが沈んだ。
あの子には申し訳ないと思っている。自営業だから夫婦そろって、昼も夜も見境なく働いている。事務員を雇う余裕もない。昼の間に仕事を片付けようと何度も試みたが、どうしても昼は電話応対に追われ、夜は事務仕事で残業になってしまう。休日はほとんど無く、休めるのはお正月くらいだ。
考えてみれば、のぼるももうすぐ中学生だ・・毎日余裕が無いと、そんな事すら気づいてあげられない・・ダメな母親だと思う。何か友達とトラブルがあったに違いない、とにかく、のぼるの話を聞いてあげようと思った。
再びしつこく鳴り響く電話を見ながら、意味もなく右往左往した。どこにも逃げ場なんて無かった。泣きたくなる気持ちをグッとこらえて、受話器をあげる。
「はい、有限会社ハマテツです。・・あ!パパ?ちょうど良かった。のぼるがね・・・・」
私の言葉は即座にさえぎられた。夫が慌てている。
どうもトラックで大量の部品が届いたらしい。
夫の言葉に、私の心臓が瞬時に跳ね上がった。
急いで夫に言われた通り、発注書の入ったフォルダを開く。さっき吸い込んだ空気のストックが既に足りなくなっている。体がふわふわと宙に浮いているような感覚だ。みどりはマウスを動かしながら、「まさか、そんな、まさか、そんな」と心の中で繰り返していた。
どうか私じゃありませんように、、私の間違いじゃありませんように、、
みどりは、祈るような気持ちでファイルを開いた。