金持ちの願い
「あなたの願いを何でも三つ、叶えましょう」
戯れに擦った古びたランプから出てきた精霊にそう言われ、男は呆然とした。しかし、すぐに彼は鼻で笑った。
ランプの精霊はその反応が気になったようで、おや? という顔をした。男はそれを面白がり、その理由を長々と説明してやった。それを短くまとめると男は大金持ちで、すでに欲しいものは何でも手に入れている。この生活に飽き飽きしていたから、このランプのように嘘か真かいわくつきの物を買い集め、弄ることを趣味にしていたというわけだ。
結果、ランプは本物だったわけだが、欲しいものが思いつかない。男はそれをまたくどくどと自慢話を交えて喋り続けていた。すると、グゥーと腹が鳴った。気づくと、かなりの時間が経っていた。
「……さて、飯にするか。一流のコックを雇っているんだ。だから、と、そうだ! おい、精霊、思いついたぞ。願いはなぁ、『世界一の料理を食べたい』だ。いいか、世界一だぞ。値段じゃなく味が、それも私が食べたことないやつだ。さあ、出してくれ」
男は精霊にそう言った。味の好みは人それぞれだ。その時の気分もある。だから、精霊がどんなものを出すか、男は興味があった。もっとも、男は旨いと評判の料理はもう食べつくしたと言ってもいい。仮にそれらを上回る料理を出したとしても世界一じゃないな、と難癖付けてやってもいい。そうすれば願いの数を消費せずに済む。そうやって、この精霊をからかうのが一番楽しいかもしれない。
そう考え、ニヤリと笑う男。その目の前にポンと、白いお皿が出された。そこに盛られていたのは……。
「んー、なんだこれは? リゾットか? いやぁ随分と質素で貧乏くさいな。こんなものが本当に世界一なのか? ……あ! まさか亡き母が昔作った料理とかそういうパターンか? はははっ、それなら残念だったな。私に母はいない。まあ、当然生みの親はいるがすぐに捨てられたのだ。しかし、私はめげず、同年代の子供らが遊んでいる間も勉学に励み――」
「さささ、ご賞味あれ」
と話を遮られ、むっとしたものの、男はスプーンでそれを口に運んだ。すると
「あ、あ、あ、ああは、あはははは!」
ほろり、ほろり、男が口を動かすたびに自然と涙と笑みがこぼれた。
「ま、間違いなく、世界一の料理だぁ……」
その味に感動した男は、嗚咽しながら涙を拭った。舌が初めて触れたその風味。それは甘さ、辛さ、酸味、塩味、苦味、すべての味が完璧なバランスで混ざり合い、咀嚼するたびに舌の先から根元まで旨味が染み渡り、全身を弛緩させた。無我夢中で食べ続け、ぺろりと平らげると彼は精霊を褒め称えた。精霊に意地悪を言おうと思っていたことなど、すっかり忘れてしまっていた。
「……いやぁ、素晴らしかったよ。まさか、料理でこんなに感動するとはな。音楽ならまだしもな。前に一度、豪華客船でのクルーズ旅行の時になぁ、と、そうだ、次は世界一の音楽を聴かせてくれないか? それが二つ目の願いだ」
「承知しました」
精霊はそう言うと、大きく息を吸い込み、そして歌い出した。
男は「いや、お前が歌うのか」といった野次を飛ばす気にはなれなかった。その美しい歌声に聞き惚れ、楽園にいるような気持ちになっていたのである。
「いやいや、ブラボー、ブラボー。最高だったよ……こんなに新鮮な気持ちになったのはいつ振りだろうか……」
「ありがとうございます」
歌が終わると男は精霊を褒め称えた。未だ夢心地。やがて、自分の拍手で徐々に現実に立ち返ったのか、ピタリと動きを止め、言った。
「あ、最後の願いは不老不死で頼む。と、しまったな。先に若返らせてもらえばよかった。無駄な願いをした」
「いえいえ。両方できますよ。まあ、不老と不死も二つのようなものですけどね。これで三つ叶えました。では、さよなら」
「ん、ああ……おお、おおお!?」
早々に帰るとは淡白な奴だ、と男が思ったのも束の間。見る見るうちに若返り、歓喜に震えた。不老不死の実感はまだないが、これならおそらくそれも叶えられたのだろう。男は祝杯をあげようと思い、その夜、これまでで最大規模のパーティーを催した。美女に料理に音楽に男は包まれ、笑い、泣いて、そして眠った。
翌朝。床やソファで、すっかりと眠りこけた面々の中、一人の女が目を覚ました。彼女は二日酔いで痛む頭をさすりながら体を起こし、辺りを見渡す。そして、悲鳴を上げた。
「ん? どうしたんだ? ふふふっ、素敵な声だなぁ。ああ、君も食べるか? まさか世界一の料理がこんなところにもあったなんて。ああ、おいしいおいしい……」
ペロペロと男は舐めた。酔いつぶれた誰かのものだろう床に広がる吐瀉物を幸せそうに、悲鳴にうっとりしながら……。