04 生還。夜明けの街。新生活。
地下迷宮から出るとすでに夜が開けていた。
薄暗闇に慣れた目に白光が突き刺さる。
眠たい。
疲労困憊で、もはや歩きながら眠りに落ちてしまいそうだった。油断すると背中に回した腕が緩んで背負っている子を落としそうになる。
岩蟹に殴られたところは青紫色に変色して腫れ上がっていた。
一歩一歩地面を踏みしめるたびに足裏から伝わってくる振動すら、今の僕には眠りへと誘う心地よい刺激でしかない。
この街を目指して故郷から何日も歩き続けたその脚でダンジョンに突撃したところまではまだよかった。あの時点で僕の手持ちの残金はほぼ0だったから、宿に一泊するだけのお金もなかったし。
しかし、そこからとても冒険とは呼べないような、怪物と連続の逃走劇。
激しい運動に慣れていない薄い筋肉ばかりの身体が悲鳴をあげていた。
今すぐにでも温かくて柔らかい布団にダイブしたい。
張り詰めていた緊張感から解放されて、いまや疲労はピークに達している。
あちこちにできた擦り傷から流れた血が黒く乾いて、見るからにボロボロの青年が背中に小さな女の子をおぶり、おぼつかない足取りで歩いている。その様子を街行く人々がある人は不思議そうに、またある人は驚きをもって見つめた。
これからダンジョンへと向かう冒険者の波に逆らって大通りを歩く。
この子の処遇を、そしてふたりの食事と寝床を求めて少年は朝焼けの街を進む。
***
「駄目だね」
「お願いします。ひと晩だけでもいいんですっ」
「その傷だらけの有り様と装備を見るに新人冒険者だろう? この街じゃルーキーに対しての信用は無いに等しいのさ。おまけに子ども連れと来た。生憎だけど、お引き取り願おうか。さっ、こっちは朝食の準備で忙しんだ。帰った帰った」
「そんなぁ……」
宿泊を断られるのはこれで5軒めだった。宿ひとつ見つけるのがこんなにも難しいとは思わなかった。
「パパぁ、おうちまだぁ?」
「ごめんね。なるべく早く見つけるから」
魔力暴走から回復したとは言え、彼女もまだ本調子じゃないから早くどこかで休ませてあげたい。
冒険者用の宿屋の立ち並ぶ区画を歩き、戸を叩いて周る。都会の厳しさに涙が溢れそうになるけれど、今の僕には娘もいる。泣いてなんかいられない。
——ドンッ。
「きゃっ!」
「うわぁ。ごめんなさい」
疲労で注意力が散漫になっていたせいか、街角で出会い頭にぶつかってしまう。弱りきった僕は石畳みに倒れ込む。その拍子に背負った子も投げ出された。
「ぐはっ。ぱぱ、ちゃんとはこんでぇ」
「イタタ……。ごめんなさいっ。大丈夫ですか? 私も注意していなくって」
一緒に倒れこんだのはまだあどけない顔立ちのエルフの少女だった。朝市の買い物帰りだったのか、手にしていた紙袋から果物が路上に散乱してしまっている。
「え。……尻尾? それに角? えっ、モンスター……」
見ると身体を覆っていた毛布がはだけ、尻尾と角が丸見えになっている。すぐに手で角を隠したみたいだけれど、尻尾が丸見えだ。
(まずい——!?)
「あのっ、本当にすみませんでしたっ」
落ちた果物を拾わずにこの場を立ち去るのは心苦しかったけど、毛布に包んだ彼女を抱えて逃げるように立ち去る。
「ちょっと待ってください!!」
後ろから投げかけられる声に歩みを早める。早朝でまだ人通りが少ないとは言え、騒ぎになると都合が悪かった。
「ちょっと待ってください! よかったらお話し聞かせてもらえませんか。そんな傷だらけで放っておけません」
優しい声に思わず立ち止まった。
「なるほど。そんなことが……。たいへんだったでしょう。今はゆっくり休んでください」
僕は街で出会ったエルフの少女、ノートさんの家でこれまでの事情を話していた。
昨日この街にやって来たばかりだと言うこと。地下迷宮でモンスターの子どもを拾ったこと。その子とは契約により一定の距離以上離れられないこと。岩蟹の大群に襲われたこと。宿屋で宿泊を断られ続けたこと。
それらすべてを詳細に隠すことなく伝えた。
「泊まる場所がないならうちに泊まったらいいんじゃないですか? ねぇ、お母さん」
「そうね。空いている部屋があるから使っちゃって」
「いいんですか? その……モンスターの子どもですけど」
「うーん。そんなに怖そうに見えないですし、というか人間にしか見えないです。あのまま黙って見過ごす方が後悔したと思うんです。だから、いいんです! ところで、この子の名前はなんて言うんですか?」
「むぅ?」
自分に集まった注目に不思議そうに首を傾げる。
「そう! ムゥちゃんって言うの」
「いや、今のは違うんじゃ……」
「ムゥ! わたし、ムゥ!」
本人は喜んでいるみたいだ。そんな感じの名付け方で良いのかなぁ?
ドスドスドスドスッ。
「コラァァ、誰じゃおめぇ! 娘とはどーゆー関係じゃあッッ!!」
「ふええぇぇ!」
「んあっ!? どしたのぅ?」
部屋に入ってきた見目麗しい耳長族の男性が鬼の形相で僕の顔にくっつきそうな至近距離で凄んでくる。エルフというより、まるで大牙鬼だ。
てか、この人ホントに耳長族!? ものすごくゴツいんですけど!
パジャマ越しにもわかる筋肉が脈動している。
「ちょっと、お父さん! 私が連れてきたお客さんなんだから、そんなに敵意を剥き出しにしないでっ。ムゥちゃんがびっくりしてるじゃない!!」
えーーっ。お父さん!? てことは本当にエルフなんだ。
ノートさんが間に入って止めてくれるけど、一度始まった暴走は止まることをしらない。
「いや、ノートは黙っとりゃあ! 子どもまでいるだとぉ!? 純粋な娘を騙してるじゃないだろうな? この少年の口から直接聞かんことには……」
愛娘が男を連れてくる(それも子ども連れの)という突然のシチュエーションに我を失った親父さんはもはや敵味方の区別なく攻撃し出す。
手負いの獣が怖いというのはこういうことなんだ。親父さんが負ったのは心の傷だけど。
「黙るのはアナタの方ですよ」
お母さんが荒ぶる親父さんの首筋にトンッと、鮮やかに手刀をお見舞いすると親父さんは電池の切れたロボットみたいに力なく倒れ込む。
そして女性ふたりに無言で引き摺られて部屋の端の方に寄せられていった。
この家での親父さんの扱いがよくわかるシーンだ。
「わるもの、たいじされた……?」
「うん……。やられちゃったね」
弁解する暇もなく、いきなり怒鳴りつけられた相手とは言え、暗い部屋の隅っこで白目を剥いて力なく横たわる姿を見ると少し可哀想になる。逞しい身体がより一層物悲しさを増幅させていた。
「ふむ。そういう事情があったのか。寝泊まりに自由に使うといい」
……? どちらさまで?
姿勢よく正座をして気品溢れる男性と相対している。
「ごめんなさいね。うちの人、娘のことになると人が変わったようになっちゃうの」
いやいや、変わり過ぎですって! 別人じゃないですか。お母さんの殴りどころが悪くて、おかしくなっちゃったのかと思いましたよ。
「未熟な冒険者ですが、よろしくお願いしますっ!」
「おねがーします」
何はともあれ、この街で住む場所をもらえた。温かい、僕の帰る場所。
「娘に手ぇ出したら、わかってるんだろうな?」
もう、いやだ。怖い。
「ロイさん、ロイさん。お願いがあるんですけど」
「はい、なんですか?」
「今度、ダンジョンに出かけたら鉄鉱石を採掘してきてもらえませんか?」
「いいですけど、そんなもの何に使うんです?」
あれは加工しないとただの石ころみたいなものだ。
「うちの家は鍛冶屋なんです」
思えば家の前に〈緑風の工房〉と看板があった気がする。
「ただ、エルフの鍛冶屋ということもあって色々とあって……。やっぱり因縁のドワーフが牛耳る業界ですからうちには材料が回ってこなかったりして。お願いしますっ」
〈緑風の工房〉
その店は鍛冶屋街の区画からは遠く離れた街の外縁に店を構える。
迫力のあるエルフの鍛治師が鍛錬する武器や防具はどれも業物が並ぶ。
長らくドワーフたちが活躍してきた業界にこの店が新たな風を巻き起こすかもしれない。
(迷宮都市ルーナップ・タウン誌より一部抜粋)