03 そして父になる。
「あ痛たた……。うえぇ。ペッ、ペッ。口の中が砂利だらけだ」
身体にかぶさった土を退けながら瓦礫の山から這い出す。5、6メートルは落ちたのだろう。元いた地面は遥か頭上にある。
「あそこに上がっていくのはさすがに無理だよなぁ」
仕方なく別の出口を探す。あの熊の一撃は洞窟の天井をぶち抜いたらしく、暗闇の中で光苔の繁茂する岩肌がトンネル状に広がっている。
暗闇で何かが動いていた。剣に手をかけつつ慎重に進んでいく。
「えっ……人?」
白い肌。小さな鼻に薄い唇。流れるような長髪。
可愛らしい小さな女の子が地べたに座り込んでいる。
けれど、光苔の淡い光を反射する髪から見える2本の黒い角、尾てい骨の辺りから生えた尻尾。その特徴が彼女が人間ではなく、怪物だと雄弁に語っている。
「モンスター……?」
人型のモンスターもいることにはいるが、せいぜいコボルトやオーク程度のものでその姿は人間とは似ても似つかない。それがどうだ。目の前の幼女はあまりにも人間に似過ぎている。人間に酷似したモンスターなんて聞いたことがない。
幼女のモンスターは人間の僕が物珍しいのか、相変わらずじぃーっとこちらを見ている。
ギルドから支給された迷宮教典を開く。彼女に関する何か有益な情報を教えてくれるかもしれない。
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『****』
《説明》
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「あれ? 全部読めない文字で書いてある」
他のモンスターの情報はちゃんと書いてあるから、不良品ではないと思うんだけど……。
「だあれ?」
「え」
人気の無い洞窟で声が聞こえた気がした。
「だあれ?」
「ええぇぇぇ! モ、モンスターがしゃべったあ!?」
人間そっくりなだけじゃなく、とても流暢に人の言葉を喋るなんて。
「もうっ。だれなのっ」
小さな彼女は反応がないことに、プンプンッと可愛らしく地団駄を踏む。
「ハッ! もしかして、ぱぱぁ?」
しかも初めて見た僕を親だと思ってるっ! 刷り込みってやつなのかな。
「パパぁ〜」
怪物幼女はよちよち歩きで懸命に僕のところへやって来る。が、洞穴の足場の悪い地面は小さい子が歩くには危険すぎる。
「あっと、危ないッ——」
案の定、転びかけた彼女を素早く抱き止める。
「パパッ! きてくれたぁ」
——手と手が触れ合った瞬間、洞窟が真っ白に染まった。
閃光と共に僕らの足元の地面に複雑な幾何学模様を描いた円が出現する。
「なっ、魔法陣!?」
直視できない眩しさに目を瞑ると、次の瞬間には何事もなかったように薄暗い洞窟に戻っている。
「なんだったんだろ、いったい……?」
僕の腰に小さな手を回して抱きつく幼女はとても可愛らしいけど、僕と彼女は人間とモンスターの関係。一緒に連れていくわけにはいかない。
断腸の思いで彼女を置いて駆け出す。
「はあ、はあ。もうここまで来れば大丈夫だろう。……ぐはぁっ!?」
振り返った途端に腹部に衝撃が走り、後方に吹き飛ばされる。
「おいていったら、駄目なのっ!」
「えーー! なんでっ!?」
完全に巻くことに成功したはずのモンスター娘が倒れた僕のお腹の上に乗っている。ホラーか。ホラーなのか。
お腹の上の彼女を抱えて、地面に置き……ダッシュ——。ついてきていないか、背後を確認する。すると、地べたに座っていた彼女が浮かび上がり、物凄いスピードでこちらに飛翔してくる。
「ぐはぁっ!?」
逃げる僕の背中に頭突きが炸裂し、またもや吹っ飛ばされる。
急いだのが悪かったのかもしれないと今度はゆっくり後退りしながら様子を見る。しかしやはり、ある程度離れたところで人間ミサイルと化して飛んでくる。
原因を調べるべく、もう一度迷宮教典を開く。
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【能力値】
ロイ・アスタリスク
従魔契約【親子】:モンスターとの間に結ばれた親子の絆。契約者は5メートル以上離れることができなくなる。なお、互いの魔力は共有される。
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「ちょっと待ってよ! 勝手に契約が結ばれてるんだけどっ!?」
この契約のせいでモンスター娘と離れられないんだ。『親子の絆』なんてネーミングで誤魔化しているけど、こんなものほとんど呪いじゃないか!
「ふんっ、ふんっ。置いていったら、駄目って言ってるでしょお」
自分を置いていこうとすることにご立腹の様子で力強いパンチを浴びせてくる。痛っ。痛い。痛い。小さくても怪物の子どもだけあって膂力がある。
悪魔だ。悪魔の子やぁ。
それにしても、この『互いの魔力は共有される』って……。この子次第で僕にも魔法を使えるチャンスがあるってこと?
ムゥ・アスタリスク
筋力| 40
耐久| 12
魔力| 999
敏捷| 10
「魔力999!?」
Aランクの冒険者だってこんなに高い数値は出ない。テイマーの人が使役するモンスターだって普通ここまで高い能力値じゃないはずだ。
「魔力共有されるのなら、もしかしてこれで僕も魔法を使える?」
降って湧いた可能性にごくりと唾を飲み込む。大きく息を吐いてから、震える手を抑えてコールした。
「アイシクルエッジッ!!」
パキィン。僕の詠唱に合わせて地面から氷が突き出す。出た! 本当に魔法が使えるっ。
「続けて、アイスシールド!!」
今度もしっかり僕の腕に氷の盾が生まれる。うわあぁぁ。これが魔法……! すごいっ! すごすぎるよっ! 諦めかけていた魔法が使えるようになったことにテンションの上がった僕は意味もなく魔法を連射しまくった。
「アイシクルエッジ! アイシクルエッジ! アイシクルエッジ!」
「はあ、はあ、はあ。君はいったい何者なんだい?」
「あう?」
疲れて倒れ込んだ僕のお腹の上で馬乗りになった彼女を下ろそうと身体を起こす。と、洞窟の奥にモンスターの気配がある。それも一匹じゃない。
——カサッ。カサカサカサッ。
大量に何かが蠢く音が聞こえてきた。暗闇の奥に何かがいる。
——カサカサカサカサッ。カサカサカサカサカサカサッ。
地面を高速で横移動する蟹。赤茶けた硬質な岩のような甲殻に大きく発達した鋏。
無数の岩蟹が波のように迫り来ていた。
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【岩蟹】
《説明》
岩のような甲殻に覆われた蟹。
主に洞窟内に棲息し、視力が退化している代わりに振動に敏感に反応する。
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『振動に敏感に反応する』
そんな物音にうるさいモンスターの棲家に天井を崩落させて侵入者がやってきたとしたら……。
カサカサカサカサッ。
『——カッ!』
敵を認識したロッククラブが鋏を振りかざして飛びかかってくる。
「うわっ! ぐうぅぅ」
慌てて抜いてもいない鞘付きの剣で受け止める。数が多過ぎるよっ。この子を守りながら戦うのは現実的じゃない。防いでも多方から襲いかかるロッククラブの岩塊のような鋏で殴りつけられる。気が遠くなりそうな連打に僕にはなす術がない。
(——ッ。骨までは折れてないか)
重い一撃に、殴られた箇所から下が消失したみたいに感覚がない。戦意喪失していないことを示すために剣を握っているだけで精一杯。膝が震える。身体中が痣だらけだ。
そうだ。回復魔法。今の僕は魔法が使えるんだった。
「《サウザンドヒール》」
みるみる傷が治っていく。痛みもない。これが回復魔法……!
魔法の効力に感動しても、治したそばからひっきりなしに襲ってくるロッククラブによって新しい傷ができる。
「サウザンドヒール!」
「サウザンドヒール!」
「……サウザンドヒール!」
「……はぁ。はぁ。サウザンドヒール」
目が霞む。魔法の使い過ぎなのか、体全体がだるい。ロッククラブはまだ僕らの周りを取り囲んでいる。
「パパをいじめちゃ、駄目なのっ!!」
今にも倒れそうな僕を見て、庇うように岩蟹の大群の前に立ち塞がる。
「……。来ちゃ駄目だ……」
「じゃましないで! いっしょにおうちにかえるのぉぉーー!」
身体が発光するほど魔力が溜まり、もはや制御の効かなくなった魔力が大嵐のように暴れ出す。
実体を持ち鋭利な刃と化した高純度の魔力は近くのものを無差別に傷つける。
「うっ!」
周りに群がっていたロッククラブの硬い甲殻も紙のように簡単に切断していく。命を失った岩蟹が岩塊に早変わりする。
魔力暴走により、千刃の旋風を巻き起こした幼女はその魔力を使い果たし地面に力なく横たわる。
小さな身体は触れただけで理解るほど高熱を放っていた。すぐさまバッグから魔力回復ポーションを口に含ませる。けど、ぐったりとしたままだ。
「そうだ! 僕のスキルならっ。サウザンドヒール」
「うぅ……」
駄目だ。体の傷は治っても溢れ出した魔力は回復魔法じゃ効かない。
「この子はモンスターだから地上の診療所には連れていけないし……」
この場所で出来ることをしようと毛布を敷き、バッグを枕代わりにして寝かせる。水筒に残された水でタオルを湿らせ頭に乗せる。
「うぅん。パパ……。カニさんどっかいった?」
「うん。ムゥのおかげだよ」
「よかったのねぇ。おうちかえれるぅ?」
契約が結ばれてしまった以上、僕らは一心同体だ。少なくとも今のところは。
「もう少し元気になったら行こうね」
気づけば僕の膝を枕にして眠っている。こうして寝顔を見ると普通の女の子みたいだ。そっと頭を撫でてやると気持ちよさそうにほころぶ。
逃げるんじゃなく、この子を守れるような強さを身につけないと。
長時間歩き、喉はカラカラに渇いていた。乾燥でくっつく口の中は土と血の味がする。ダンジョンの出口はまだ遠い。
「うわぁ!」
沼沢地の葦の茂みからモンスターが飛び出してくる。
二本足で立つ蛙のモンスター。丸く膨らんだボクシンググローブのような手、インファイト・フロッグだ。
非常に好戦的で接近戦を得意としている。
今はムゥを背負っている。短期決戦で戦うしかない。
『ゲコゲコォ!』
蛙ならではの跳躍で一気に距離を詰め、渾身の右ストレートを放つ。身を捩り、すんでのところで躱すと袈裟斬りを見舞う。
『ゲコッ!?』
「ハアハア。勝ててよかった……」
もう一度背負い直し、少年は地上を目指して歩き出す。