20 嘔吐するエルフを初めて見た夜
「「「乾杯ッ!!」」」
僕とハルカは大通りから外れた路地裏にある《南瓜のお化け亭》でささやかな打ち上げを行っていた。ダンジョン内で出会った【魔女の大鍋】の派閥のメンバーも一緒だ。
この南瓜のお化け亭は知る人ぞ知る酒場らしい。
ところどころが割れた石畳みの薄暗い路、時を経て黄身がかった白壁のアパートが並ぶなかに蔦の絡んだ赤煉瓦の外壁と真っ黒な鉄扉が現れる。
燈に照らされて怪しく輝く不気味な南瓜の吊り看板が目印だ。
酒場だとわかっていても、正直、ひとりでは入りづらい外観をしている。
僕らは大テーブルを陣取って向かい合うように座っていた。
テーブルの中央にはこのお店の名物である〈戦闘鶏の唐揚げ〉が白い皿に山盛りにされたものが陣取っている。この戦闘鶏は僕とハルカが今日ダンジョンで狩ったものだ。
南瓜のお化け亭では自ら食材を持ち込むことで料理を格安で食べられるので、僕のような万年金欠の冒険者には非常にありがたい。
茸親分に始まり、枝角鹿、拳骨猿と日暮れまで討伐を続けたおかげで、普段より多くのお金を手にすることができた。
いまやポケットに入った僕のサイフは普段の倍くらいに膨れている。ああ、懐があったかいと気持ちにこんなにも余裕が生まれるんだな。
単独攻略ばかりで仲間もおらず、自由に使えるお金もなかった僕はこういう賑やかな酒場とはまったくの無縁だった。僕の故郷の村にも寂れた呑み屋しかなかったし……。
それに今日のこの場は【魔女の大鍋】のメンバーの奢りだという。
「助けてもらったお礼なのじゃ」
延々と唸りながらメニュー表と睨めっこする心配がなくてありがたい。
「改めてお礼と自己紹介をさせてくれ。俺はガウル・グランデ。今日は本当に助かった」
虎人の青年が言う。
美しい金髪に黒の縞模様の混じった頭の上で丸い耳がぴょこぴょこと動いている。虎らしい牙が並び、彼にかかれば戦闘鶏の唐揚げも骨ごと噛み砕いてしまう。
彼の逞しい腕は金色の毛に包まれており、指先の爪なんてとても鋭利でまさに虎そのものだ。
「私はフラン・フラム。よろしくなのじゃ」
小人族の魔術師であるフランはドワーフなのにちっとも毛深くない。
「あほぅ。ドワーフであんなに毛まみれなのは男だけじゃあ。ほんに何も知らんのう。女子はこの通りすべすべだべ」
「グリュース・アレキスタです。一応、パーティーの中では一番年下になります。珍しい竜人族の中でさらに珍しく魔術師をやっています」
グリュースくんの言う通り、竜人族の人を見たのはこれが初めてだ。種族的にも数が少なくて、人里にあまり降りてこないと言われている。身体全体が光沢のある翠色の硬い鱗に覆われていて、見た目は竜にそっくりだ。
この場にいる誰よりも大柄で、窮屈そうに寸法の合っていない椅子に座っている。
汗をかいたジョッキを両手で持ったまま、お店の中を見渡す。
店内はダンジョン帰りであろう、汚れた防具を身につけたまま、剣や杖をテーブルに立て掛けた冒険者たちがその日のストレスを発散するために麦酒の大ジョッキ片手にはっちゃけている。
グラスや食器のぶつかる音。大声で繰り広げられる冒険者の噂話、下卑た話、冒険話。嘘と誠の入り混じる情報交換。煌々と頭上で輝く吊り電燈。食卓を占拠した肉肉しい料理。
いかにも冒険者らしい空間に身を置いていることにどきどきしてしまう。
これこそ迷宮都市。
「ほらほら、ロイ、もっと呑むんですの」
「僕はお酒は……。ムゥもいるし」
「わかってますわ。ムゥちゃんにはジュースを」
「わーい。のみほーだい?」
「ご飯がちゃんと食べられるくらいにしておきなよ」
「はーーい」
ハルカはジョッキを豪快に煽っているけど、お酒を呑んでいい年齢なんだろうか?
僕と同い年ぐらいに見えるけど、エルフは長寿だと聞くからひょっとすると僕よりもずっと歳上なのかもしれない。怒られそうだからわざわざ聞いたりはしないけれど。
「ロイはまだ冒険者になりたてだと言いますけど、全然そんな感じがしませんね?」
早くもアルコールが回り、頬を朱に染めたハルカが言う。
「そうかな? 自分ではよくわからないなぁ。ついこないだまでモンスターから逃げてばかりだったから」
「なんじゃ、ロイは冒険者になりたてなのか」
「それでも今日Eランクに昇格したのですわぁ!」
「え?」「はっ?」「ええ!」
「「「冒険者になったばかりでもうEランクぅぅ!?」」」
三人が一斉に立ち上がって大声を出すものだから、何事かと店内の注目を浴びてしまった。
「よっぽど才能があったんだなぁ。最初のステータスも相当高かったんじゃないか?」
「いえ。はじめはもうホントに駄目で……。全部のステータスが1桁でした」
「はあっ? それでどうやって短期間でEランクに昇格したのじゃ」
「このあいだ怪物氾濫に遭遇して……」
「それをひとりで全部倒してしまったんですわ。本当に正気の沙汰とは思えないですの」
僕の言葉を横取りしてハルカが言う。
正気とは思えないって酷いなぁ。
「それは並外れてますね……。それで昇格できると言われても僕なら絶対にやりません」
「まあ、僕の場合は色々な要因が関係してのことだから。そばにはムゥもいて逃げられなかったし、借金も返さなくちゃいけないし」
「借金があるのか」
「はい。五百万エルンほど……」
「「「借金五百万エルンンン!?」」」
「ちょっと!! 声が大きいですよっ」
「お主、可愛らしい顔をして私が出会った誰よりも冒険者らしいのじゃ……」
***
「はあぁー。ロォイ。私は今日、久しぶりに楽しかったですわぁ。私は決めました! ロイはこれからも私とパーティーを組むんですのぉ。私たちがルーナップで最強の冒険者になるんですわぁ!!」
【魔女の大鍋】のパーティーと別れて、僕が肩を貸さねば歩けないほど泥酔したハルカを連れて帰り道を歩いていた。ムゥは打ち上げの途中でフォークを持ったまま眠ってしまったので、今は僕の背中だ。
僕らがお店に入ってから二時間ほどしか経っていない。
その証拠にまだ空は完全には黒になりきっていないし、日付も変わっていなかった。
そもそもハルカはジョッキ一杯の麦酒しか呑んでいない。その一杯ですっかり出来上がってしまい、周りの僕らがそれ以上呑ませなかったのだ。
「何を勝手なことを言っているんですか。てか、そんなにお酒に弱いならはじめから呑まないでくださいよ」
「なにをおぅ。私は弱くなんかないですわぁ。私は最強だぁ〜」
薄曇りの向こう側に白月が浮かぶ夜空に向けて拳を掲げて大声を張り上げたハルカが顔を青くする。
「うぷっ」
僕の腕を振り解き、壁際まで走っていくとレロレロと光るものを路上にぶちまけた。
は、吐いた!
誇り高きエルフが呑んだくれの中年冒険者みたいに路上に倒れ込んでるけど!?
「ううぅ……。み、水ぅ……」
僕はハルカを介抱しながら、パーティーを組んでから何度も思ったことを口にする。
「なんて残念なエルフなんだ!」
「うぇ。水ぅ……」
こんばんは。パナーです。迷宮都市ルーナップの路地の裏の裏にある《南瓜のお化け亭》で給仕係として働いています。
私と店主であるポンデッタさんの2人で切り盛りしています。ポンデッタさんは獣人族の海象人で大きなお腹を揺らして歩きます。
冒険者さんたちでいつもごった返している人気店なのに、従業員が2人しかいないのでとーっても大変なんです!
「パナーちゃん! ビールおかわり! 大ジョッキで!」
「はいぃ〜。ただいま!」
(少女パナーの南瓜日常譚)




