14 怪物氾濫
「ふあぁ……」
ぱくんっ。
込み上げてくる欠伸を押し込むように露店で購入したばかりのピタパンを口に入れる。
「はふっ、はふはふ」
まだ寒い早朝の空気に冷やされて赤くなった顔に出来立てほかほかのピタパンの湯気がかかってあったかい。
この街の名物でもあるピタパンはもちもちの生地でかぶりつくと小麦の香りが鼻いっぱいに抜ける。
正直、こんなに美味しい食べ物がたった一〇〇エルンで買えるなんて信じられない。
もし、僕の故郷の田舎にこのピタパンを売っているお店があったら一年中これだけを食べて生きていたと思うぐらいに美味しい。もぐもぐ。冒険者として上手くいかなかったら、ピタパンを売って生活しようかな。
挟む具材が豊富なのも飽きがこなくていい。
サンドウィッチのように真ん中に切れ込みを入れ、そこに濃い味つけをしたひき肉、レタス、粗く潰した茹で卵、熱々に溶ろけたチーズなんかを挟む。
レシピはお店によって違いはあるけれど、定番なのはだいたいこんなところだ。
「パパ、ムゥにもひと口っ。あ〜ん」
背中におぶさったムゥが乗り出して大口を開けて待っている。たったいま噛り付いたばかりのピタパンを口に持っていくとがぶりっと噛みつく。
「もしゃもしゃ。おいしいー。ルビィにもあげてっ」
ムゥの使い魔である火龍の幼体ルビィが小さな口で啄ばむようにして食べる。
『ピュ、ピュ〜〜イ♪』
宙を三回転して喜びを表す。屋台のピタパンはドラゴンの口にも合ったみたいだ。
三つの歯型のついた残りのピタパンを放り込み、包み紙をポッケに入れる。
「みんなで囲む食卓もいいけど、たまにこういうジャンキーな食事も悪くないよね」
せっかくパーティーを組んだというのに僕とムゥだけでダンジョンに向かっていた。ハルカは用事があるとかで今日はお休みしている。あれだけパーティーに憧れていたのにタイミングが悪い。全くもって残念なエルフだ。
そして今、冒険者組合へと足を向けていた。
時刻は朝の5時半。
街の東側の街壁から漸く太陽が顔を出そうとしているところだった。
「あっ、ロイさーん。ちょっといいですか。この頃ダンジョンに出かけていった冒険者さんが戻らないという事案が立て続けに発生しているんです。地下迷宮に冒険に行く際は注意してください」
ギルドの大型掲示板に依頼の募集状況を確認しにやって来た僕の姿を見つけたクララさんに呼び止められて告げられたのは実に不穏なニュースだった。
「あの、大丈夫ですか……?」
「へっ? 何がです?」
「何だか顔色が優れないというか、ちょっぴり後ろに寝癖もついてますし」
「クララ、ばくはつ!」
「なぁっ!?」
口ではちょっぴりと言ったものの、結構ガッツリ跳ねた頑固な寝癖を自分の手で確認したクララさんは、慌ててどこかへ走り去っていってしまう。
「あ〜あ、ロイさん、姉の乙女としての誇りを完膚なきまでに破壊しましたね。まあ、もともとあってないような、ハリボテみたいなものでしたが。さすがは冒険者です」
どこからともなく背後にやって来たウララさんが僕の肩に手を乗せて、何やらうんうんと頷いている。
よくわからないけど褒められていないということは僕にもわかる。
「ロイさんはこの時間帯の姉を初めてご覧になるんですね。姉は朝に格別弱いんです。見苦しいところがあっても多めに見てあげてください」
「いやっ、僕はそんなつもりで言ったんじゃないですよっ?」
「クララ、ばくはつ!」
見苦しいだなんてちっとも思ってない。
「無自覚なのがロイさんの恐ろしいところです」
「そんなぁ……」
「でも、冒険者の方が行方不明になっているのは本当ですから十分気をつけてください。まだ原因がわかっていない以上、いつにも増して安全策を取るのが賢明だと思われます」
ウララさんの話によると、失踪した冒険者は皆、僕のような駆け出しの冒険者ばかりだという。
駆け出しの冒険者が無茶をして下層に行くことはないから、おそらく冒険者をダンジョンから帰還させない何かが低階層にあるということ。第一階層を主な狩場とする僕も他人事じゃない。
よりにもよって単独行動をしようっていう日に——という気持ちがないわけでもないが、だからと言っておずおずと逃げ帰って原因が特定されるまでお家に引きこもるなんて情けない真似はできない。
僕だって冒険者の端くれなのだ。
ただクララさんたちにダンジョンにひとりで行くことを知られたら絶対に止められそうなので、「行ってきます」と挨拶を済ませて早めに退散することにする。
「あれ? ロイさんはもう行っちゃったの?」
おそらくお手洗いで爆発していた髪を梳かして来たのであろう、クララが少しマシな顔つきになって戻ってくる。
ウララは(それが出来るんなら職場に来るまでにシャキッとしときなよ……)と内心思うけれど、敢えて口には出さなかった。
彼女は姉に言ったところでどうせ無駄だということを長年の共同生活で心得ていた。
「なんか、急いでたみたいだったよ。それにしても、冒険者はみんなダンジョンが好きだよねぇ。私だったらこんな危ない報せを聞いたら絶対に行かないけどな〜。頼まれてもお断り」
冒険者たちがダンジョンへと出かけていき、誰もいなくなったギルドではウララもこうして砕けた喋り方をする。
「毎日モンスターと戦ってるから、危険に関しての感覚が麻痺しちゃってるのかもね。だからこそ私たちがブレーキ役にならないと。でも、本当にダンジョンで何が起きてるんだろうね?」
クララは大量に刷られた「WARNING」の文字が踊るビラをひらひらさせながら、呟いた。
***
地下迷宮の第一階層、『暁の樹林』。
魔力回復ポーションの原料になる〈グラムベリー〉の高価買取依頼が出ていたので帰りに二つほど持ち帰りたいと、紅色の果実のなる樹木を探していた。
魔力回復ポーションという冒険者たちの必須アイテムを作製するための貴重な果物は西瓜ほどの大きさでひとつ10キログラムほどもある。せめてダンジョンの入り口近くに生えていてくれれば良いのに、嫌がらせのように遠く離れた奥地にしか存在しない。
森深くに進むに連れ、樹々が密集して重なり合い、暗さを増す。
一際暗い闇が目の前に広がっている。三歩先すら見通すことができない。
グラムベリーを探すことに集中していた僕は深く考えずにその暗闇へと入っていく。足を一歩踏み入れた瞬間に異変を感じ取ったが、もうすでに遅い。
(しまった! 怪物氾濫かッ——)
大量のモンスターたちの蠢動が手に取るようにわかる。
そこにいた数百の目が闖入者である僕を捕捉する。もはや激闘は必至だった。
「ふあぁぁ〜。眠いにゃぁ」
「お姉ちゃん、また方言出てるよ。お姉ちゃんが多種族の人と触れ合うから標準語にしようって言ったんだよ?」
「うぅ……。なんでこんなに早起きしなくちゃいけないのぉ〜〜」
布団に顔をぐりぐりと押し付けて駄々をこねるクララ22歳。
窓の外はまだ真っ暗だった。
「そりゃ、冒険者の人たちが朝早くから地下迷宮に出かけるんだから仕方ないじゃない」
ひと足先に起床して眠気覚ましの珈琲を淹れているウララが言う。
「もっとお昼過ぎくらいから活動してよおぉぉ。もう今日仕事行きたくないにゃあーーー」
出勤時間ギリギリまで布団の中で抵抗を続けたクララは職場まで小走りで向かうのだった。




