エラローリア法王国設定
◯概要
エラローリア大陸北部を支配する国で、代弁者聖ゲセブと共にこの地に逃れてきた人々によって建国されたローリ王国を前身に持ち、現在はゲセブ教を基盤とした宗教国家となっている。
エラローリアとはミル・カ・サール語で、沢山(または、多く)の銀の山という意味で、その名前の通り銀を初めとした鉱物資源が豊富である。
また、古くから金属の加工に秀でており、同国発行のカラトル銀貨は、美しさと純度の高さからグレイシルストと呼ばれ、珍重されている。
◯人口
人口は九五四〇万五千人。
◯首都
この国には、二つの首都が存在している。
一つは、ゲセブ教の総本山であり、最大の聖地でもある聖都ゲセブリア、もう一つは国の中枢機関の集まる中枢都市ザムゼルである。前者は精神上の、後者は政治上の首都として位置付けられている。
聖都ゲセブリアは、代弁者聖ゲセブが昇天した場所であり歴代法王の廟所でもある聖ゲセブリア大聖堂を中心に最高指導者である法王の住まう宮殿や大オキサアを納めたゲセブリア大拝言堂の他、法王庁舎、神学校、聖職者用の寮、一般参拝者用の宿泊施設及び商業施設が放射状に配された宗教都市である。人口は約二千人弱と少ないが、一二年に一度、『昇天の御言葉』と呼ばれるオキサアが開帳される際には、大勢の巡礼者で賑わう。
中枢都市ザムゼルは、エラローリア法王国の政治の中心地で、政を担う武装貴族集団・護法騎士団の団長を務めるザルム公爵アスター家が治める公爵領の領都でもある。人口は二五五万八五五人と、法王国の中でも最大を誇る。
◯宗教
ゲセブ教エラローリア派を国教に掲げており、全ての国民が敬虔なゲセブ教信者となっている。
◯言葉
公用語はワールワースで、この言葉が世界中に広がったのは中世以降、盛んに行われた貿易とゲセブ教の布教活動によるものである。
◯社会・行政
ゲセブ教を中心とした宗教国家であるため、法律や社会インフラの大半はその教義に基づいて作られている。また、他の国よりもゲセブ教聖職者の地位が高く、法王の側近ともなれば小国の王と同等、或いはそれ以上の権力を持つとされている。
ゲセブ教では、教義に於いて『社会的弱者に施しを与える』ことが推奨されている。これは、功徳を積むため弱者に手を差し伸べるべきであるという聖ゲセブの言葉に由来するものであり、障害者を含む社会的弱者に対する救済制度が充実している。
また、同性愛は宗教上の理由から『自然の摂理に反する行為であり、忌避するべきもの』であるとされているが、その一方で、同性間の性交は『他者の穢れを肩代わりする苦行』と定義されてもいることから、その殆どが苦行を名目に交際や性交渉を行っている。
エラローリア法王国は「領」と呼ばれる護法騎士が治める四六の騎士領と法王の直轄地であるゲセブリアから構成されている。国家元首は神によって選ばれた法王であり、その法王から委任されるという形で護法騎士が司法と警察行政を除く全てを取り仕切っている。これが同国に於ける中央政府的な役割を担っている。
長である護法騎士団長は首相、その補佐的な役割である副団長は副首相に相当し、その下に各大臣に相当する執政官と呼ばれる役職の護法騎士が五人配されており、さらに下に若衆という者達がいる。執政官は任期制で、四年に一度、若衆の中から護法騎士団と法王庁による投票で決まる。なお、騎士団長と副団長は原則として終身制である。
また、護法騎士は原則として世襲制であり、彼らには領主として同国を構成する領の自治権が与えられている。基本的に領は地方自治体に相当する機能を有している。
領には、領都と呼ばれる中心都市が置かれており、護法騎士の配下の一般兵が役人や警察として働いていることが多い。また、領主の裁量によっては代官を置く場合もある。また、規模によってはザムゼルのように都市単位で領と同等の機能を有する所も存在する。
◯歴史
代弁者聖ゲセブと共にこの地に逃れてきた人々によって建国されたローリ王国では、多くがゲセブ教ではなくクルエン教を信仰していた。
ゲセブ教は、代弁者聖ゲセブの遺言に従い権力者と一定の距離を保っていたが、ゲセブ暦四八六年に当時の教主であるカルネリウス二世の実弟アトモスがゲセブ教の聖地防衛(カーネスの戦い)を口実に先住民であるカーネス人を打ち倒しエラローリア王国を建国するとアトモスの庇護の下で急速に勢力を拡大していき、やがて、エラローリア王国の国教に定められた。その後、エラローリア王国が周辺諸国に向かって勢力を拡大していくと同時にゲセブ教も勢力を拡大していった。
長らく、権力の庇護下にいたゲセブ教だったが、ゲセブ暦一四〇〇年。当時のエラローリア帝国内で起きた内乱に乗じて当時の護法騎士団長であったフリック・アスターが教主を担ぎ上げ、教主を中心とするエラローリア教主国の建国を宣言したことにより転機が訪れた。
その後、暗黒時代とも呼ばれる一二五年にも及ぶ混迷の時代を経て、ゲセブ暦一五二五年にエラローリア法王国が成立。以降、最高指導者の呼称は教主から法王へと変わり、旧エラローリア帝国の支配地域は名実ともにゲセブ教の支配地域となり、その後、オルキス帝国成立までの三七〇年に渡り、布教という名の下に植民地支配を推し進めていくこととになる。
しかし、エラローリア法王国の同盟国であり、アルストゥリア大陸に於ける植民地支配の最前線であったアルストゥリア王国で内乱が起き、それに乗じてミンドリア将軍が暫定政権樹立を宣言。やがて、内乱はアルストゥリア大陸全域を巻き込んだ戦いに発展していった。
その後、オルキス帝国が成立したことにより、エラローリア法王国はアルストゥリア大陸を含む全ての植民地に於ける権限を放棄せざるを得なってしまった。