9. ジョバンニの協力要請
グリフォンが襲来してから一夜明け、ユルグ辺境伯領に束の間の平和が訪れる。
本日王都に帰る予定だったのだが、その前に城をぐるりと囲む擁壁の中を案内したいとクルシュが申し出て、フレデリカと三人で連れ立って歩いていた。
庭園を含む居住スペース自体はそれ程広くないが、擁壁の中は演習場や畑、小さな湖に薬草園等があり、ちょっとした村と言っても差し支えない。
森に面した側には見張り台もあり、まるで要塞。
この擁壁内には、人々が生きるために必要な、最低限のものがすべて揃っていた。
「ジョバンニ、慣れない土地で疲れたんじゃないか?」
「いや、とても良くしてもらっているから、疲れたなどと……だがそうだな。この地に来てからは力不足を実感するばかりで、少しだけ落ち込んでいる」
「うちは特殊だからなぁ」
ユルグ辺境伯領への滞在も、今日で三日目。
この特殊な環境下で、しかもこれだけ自然に馴染めるだけでも大したものなのだが、本人的には不甲斐ないのか、見るからに落ち込んでいる。
「決して驕っていたわけではないんだが、もう少し色々出来ると思っていた」
「ジョバンニ、そう肩を落とすな」
「……ん」
クルシュに励まされて力なく微笑んだ後、ジョバンニは恥ずかしそうに目を伏せた。
「君たちを見ていると、自分の未熟さが恥ずかしくなるな。ここを訪れて本当に良かった」
「グレゴール卿、私達だってまだまだ未熟ですよ!!」
自らの未熟さを認めるジョバンニの素直さに驚き、思わずフレデリカが励ましの言葉を掛ける。
ジョバンニは首を左右に振り、フレデリカの両手を包み込むように手を添えた。
「そんなことはない。危険なこの土地を、ただひたすら君達が守り続けてきてくれたからこそだ。本当に、ありがとう」
「ひぇッ!? いえその……」
「また、必ず会いにくるよ」
わたわたと大慌てのフレデリカに、クルシュが我慢できないと笑い出す。
常に命のやり取りを求められる、ユルグ辺境伯家。
その過酷な日常を乗り越えてきた彼らの清廉さ、大らかさは、虚栄にまみれた王都での日々を洗い流してくれるようだった。
視察は本日最終日――。
たった数日間だったが、ユルグ辺境伯領での視察は思いがけず楽しく、またジョバンニにとって思い出深い地になったのだった。
***
ユルグ辺境伯領を出立し、王都へ着いてから早数日。
お世話になった御礼もかねがね、少し早いが手紙でも書くかと思っていた矢先、その機会はやってきた。
王都で起きた事件に、何故か重要参考人として呼ばれたジョバンニのもとへ、クルシュが調査官として聴取に来たのである。
「ジョバンニ、突然で申し訳ないが、二週間くらい前にサリード伯爵家の馬車が襲撃された事件を知ってるか?」
改まって、突然何を言い出すかと思いきや。
……もちろん、報告はあがってきている。
伯爵家の護衛がいながら、真っ昼間にも関わらず、王都のメイン通りで馬車が襲撃され、乗り合わせた令嬢二人が拐われた。
人通りが多いことを利用した襲撃方法といい、逃走ルートといい、予め情報を得た上で、組織的に計画されたかのような手際の良さが気になり、王太子自ら内密に調査を命じていたはずだ。
拐われた令嬢達は半日後、捜索にあたった伯爵家の騎士達に保護されたが、ショックのあまり今も外出出来ていないという。
「正攻法で調査してたんだが、案の定行き詰まっている。もう一度過去の交遊関係を洗い出し、容疑者を炙り出そうとしたのだが……」
クルシュは申し訳なさそうに目を伏せる。
「実は、ジョバンニも容疑者候補に名前があがっているんだ」
「なぜ俺が?」
「いやぁ、なんでも拐われた二人のうち、ひとりはジョバンニの元婚約者だとか」
運悪く馬車にいたのは、サリード伯爵家の御令嬢ラウラ。
加えてルアーノ子爵家のアマンダ……ジョバンニの元婚約者である。
「アマンダ嬢は、サリード伯爵家に嫁ぐはずだったらしいが」
「嫁ぐはずだった?」
「結婚の日取りも決まり、秒読み状態だったのに、本件を理由に先日婚約を破棄されたらしい」
貴族は純潔を重んじる。
確かに暴漢に拐われ、半日も経っていれば汚されたと考えるのは妥当だろう。
婚約破棄の理由としては充分だ。
「だが嫁ぎ先であるサリード伯爵家の馬車に乗っていながら、起きた事件だ。むしろ責任を取って婚約を継続すべきなのではないか?」
ユルグ辺境伯領へ視察に行っていたため、王都に帰ってからまとめて報告を聞こうと思っていたが、どうもキナ臭い。
「サリード伯爵家の令嬢は?」
同じく拐われたもう一人の御令嬢はどうなったのだろう。
「サリード伯爵家の令嬢も同様に婚約破棄となり、次の嫁ぎ先として、ゴルドッド商会会長の名前があがっているらしい」
「それはまた随分と早い展開だな……確かに大きな商会だが、あそこの会長はもう四十過ぎではなかったか?」
ゴルドッド商会。
王国でも五指に入る程大きな商会である。
「ジョバンニも知っていると思うが、サリード伯爵家は領地経営が破綻しかけており、多額の借金がある」
今回、借金を返しても余りある結納金が商会から支払われるようだ、とクルシュが続けた。
「詳しい状況を令嬢達に聞きたいんだが――君の元婚約者である令嬢が、聞き取りをする相手を指名してきた。ジョバンニ、君だ」
ジョバンニは天を見上げた。
容疑者として疑われるのも遺憾だが、なんだって因縁の元婚約者に再び会いまみえなければならないのか。
しかもこんな特殊な状況下で。
「本来であれば、容疑者候補と被害者を会わせることはタブー。が、交遊関係から名前があがったものの、動機が無い上に、その人柄。間違いなく白……というわけで、僕の独断で許可してもらったんだ」
まったくもって余計なことを。
なるべく顔を会わせたくなかったのに。
「このままだと不運な伯爵令嬢が、平民成金商人の嫁になってしまうみたいでね。手っ取り早く結論を出したいんだよ。そのためにはジョバンニ、君の協力が必要だ」
「……どうせ、断れないんだろう?」
諦めまじりにジョバンニが言うと、クルシュは珍しく悪い顔をしてニヤリと笑った。
※その頃、調査中の母娘
娘1「お母様、そういえば昨夜のグリフォンはどうされるおつもりですか?」
夫人「ふふふ……実はね、飼うのよ!」
娘2「えっ! 私、調教したいです!!」
娘1「また悪趣味な……(呆れ顔)」