7. たまには街でのんびりと
一時間程フレデリカに稽古をつけてもらい、汗だくになったシャツを着替えてから朝食の席につく。
ユルグ辺境伯夫妻とクルシュの三人は既におり、二人の娘を待たずして食事が始まった。
「我が家は夜番というものがありまして」
おもむろにユルグ辺境伯が口を開く。
「昨夜のように魔物が出た場合に備え、夜は必ず、単騎で闘える者が見張りに立ちます」
長男のクルシュが王宮で不定期の勤務を許されていたのは、このような背景があったのかと、ジョバンニはひとり頷く。
「夜番明けは自室で朝食をとり、夕刻まで自由に過ごします。昨夜は娘二人が夜番でしたので、同席できず申し訳ありません」
まだ叙爵もしていない、自分のような若輩者に申し訳なさそうに頭をさげるユルグ辺境伯に、ジョバンニは慌てて席を立った。
「御気遣いありがとうございます。大変な時に伺ってしまい、こちらこそ申し訳なく思っております」
礼儀正しく頭を下げたジョバンニに、ユルグ辺境伯をはじめ、長男のクルシュもなぜか驚いたような顔をする。
頭を下げあう二人に、「いつものことですから大丈夫ですよ!」と、夫人が声をかけた。
朝から身体を動かしたため、かなりお腹が空いている。
領内で採れた山菜とスープ、挽きたての小麦を使った温かいパンを口に運んだ。
「おいしい……」
ジョバンニが思わず声を漏らすと、使用人達が嬉しそうに微笑む。
「演習場で身体を動かしたのですから、当然です! 視察は昼食後なので、それまでは仮眠して体力回復に努めてください。我が領内は常に、侵攻と魔物の脅威にさらされています。体調を整えるのも仕事の内ですよ!」
のんびりと食べる男三人に我慢が出来なくなったのか夫人は立ち上がり、さぁさぁコレも食べなさい、アレも食べなさいと、勝手に食事を盛っていく。
貴族としてはマナー違反だが、これが日常なのだろう。
ユルグ辺境伯とクルシュは、盛られた食事を淡々と平らげていく。
嬉々としておかわりを取り分ける夫人に、食事を終えるタイミングが分からず、文字通りジョバンニはお腹がパンパンに膨れるまで食べ続ける羽目になった。
そしていっぱいになった腹を抱えて、昼食まで泥のように眠ったのである。
***
昼食後にクルシュが案内してくれるとのことで、二人でカラミンの街へと繰り出した。
男達は魔物狩りや薬草を採取し、女達は素材の加工や薬草を煎じた製薬により生計を立てており、人々の暮らしは豊かである。
これまでは王都の商業ギルドと契約をし、一括で卸していたが、今後はクレスタ王国との交易も視野に入れているため、より街は栄えていくだろう。
魔物の素材はただでさえ手に入りにくく希少価値が高い。
小さな街と森しかない領地だが、下手をするとグレゴール侯爵家の何倍も収益がありそうだ。
様々な店に入り、加工技術や流行りの商品等を視察していたが、ユルグ辺境伯家の人気ぶりは凄まじく、街ですれ違う度、店に入る度、様々な人に声を掛けられる。
下手に貴族と関わるとロクな事にならないため、街ですれ違っても目を伏せる平民ばかり見てきたが、ここはまるで対等に貴族と平民が接している。
焼き鳥屋と肩を組み、明るいうちから酒を呑み始めたクルシュを横目に、ジョバンニはグレゴール侯爵領へと思いを馳せた。
***
ジョバンニとクルシュが街へ視察に出掛けた直後、ハルフトは夫人から応接室に呼び出された。
お客様が宿泊した後に必ず開催される、ユルグ辺境伯家恒例のイベントである。
「で、グレゴール卿はどうだったの? 怯えて震えていた? それとも錯乱して、自分を守るように怒鳴りつけたのかしら?」
これまでの客人は、どちらかのパターンしかいなかった。
毎回のことだが、面白そうに尋ねる姿は、新しい玩具を手に入れた子供のようである。
人間、生命の危機に瀕した時に真価が問われる。
普段偉そうにしている王公貴族が、魔物の襲来に怯え、取り乱して逃げ惑う姿は毎度見物であった。
「いえ、ワイバーンを視認した直後に剣を持ち、すぐさま二階の窓から飛び降りて応戦しようとなさいました」
意外な答えに、夫人は腕を組む。
「護衛を離れ令嬢につくよう命ぜられました。また、御身に何かあった場合も自分の責なので、当家に責任は問わないとも仰いました」
傲慢で自分のことしか頭にない、よくある見目麗しいだけの貴族令息と見くびっていたが、昨晩の言動を見る限りそうでもないらしい。
これまで一貫して非礼はなく、またフレデリカに庭園を案内させた際は、粗野な物言いに腹を立てるでもなく、ただ秋桜に感嘆するばかりだったという。
「ふぅん………悪くないわね」
実力はさておき、土壇場で腹を括れる貴族はそういない。
あのフレデリカが貴族令息と交流を持ったと聞き、早速調査したのだが……。
長く婚約していた令嬢から一方的に破談にされて以来、二十一歳の今に至るまで婚約もせずに未だ独身だと聞き、これは訳ありだろうと踏んでいたのだが。
「これは、楽しくなってきたわね!」
ほほほと高笑いする夫人を尻目に、ユルグ辺境伯とハルフトは、諦め交じりの溜め息をついたのだった――。