5. 安心してください、戦えますよ!
――深夜二時過ぎ。
けたたましく鳴り響く警報音で、ジョバンニは目覚めた。
使用人達だろうか、絶え間なく誰かが廊下を走る音がする。
「森林から魔物が侵入! マンティコア二頭! 繰り返します! マンティコア二頭が侵入!」
「前衛に第一小隊、続いて第二小隊は後方支援にまわれ!」
寝台から起き上がり窓の外を窺っていると、客室のドアがノックされ、従者兼護衛のハルフトが入ってきた。
「お休み中失礼いたします。万一に備え、お側に控えさせていただきます」
動きやすいラフな格好で長剣を携え、ジョバンニ同様窓に近付き、外の様子を確認する。
「本日は二つの小隊を控えさせております。マンティコア二頭程度であれば、ものの半刻で片付くはず。安心してお休みください」
平然とハルフトは宣うが、魔物が二頭も出ているこの状況下で、眠れる者がいたらお目にかかりたい。
なんという時に居合わせてしまったのだと、ジョバンニは半ば呆然としながら、だがしかし何かあれば自らも剣を振るう覚悟で、動きやすい格好に着替える。
数年前、とある領地にコカトリスが一頭出没した際は中隊が出動し、街中の人を全員避難させて討伐に臨んだ。
それでも、何十人もの死傷者が出たはずだ。
マンティコアが二頭も出たとなれば、下手をすれば半日がかりの任務になる。
それが小隊二つ、しかも半刻で片付けるという。
軍事力の違いをまざまざと見せつけられ、半ば呆然としていたジョバンニに、また別の知らせが入った。
「森林からさらに魔物が侵入! 十二時の方向、五百メートル先にワイバーンを二頭確認! 繰り返します……!!」
それまでのんびりとしていたハルフトの表情が一変し、「……今日は多いな」と呟いて窓から空を見上げる。
ワイバーンまで手が回らないのだろう。
客室から見える範囲には、兵士が誰もいない。
屋敷を目掛けて飛んでくる二頭の雄叫びで、空気が揺れる。
ジョバンニは、ベッドサイドに立て掛けた愛剣を引き寄せ、二階の窓から飛び降りようと、窓枠に足をかけた。
空飛ぶ魔物と相対したことはないが、多少腕には自信がある。
倒せなくとも、時間を稼ぎ、一太刀まみえる程度なら自分にもできるだろう。
「私のことは良いから、令嬢達についてやってくれ」
脇に控えるハルフトにそう声をかけると、彼はピクリと眉を動かし……そして、恭しく頭を下げた。
「貴方を守ることが、わたしの仕事です」
この緊急時に何を言っているんだと、融通の効かない護衛に、ジョバンニは語気を荒げる。
「我が侯爵家は、有事の際に国防を担うこともある。それに私は騎士だ。自分の身くらい、自分で守れる。……何があっても、責任を問うような真似はしないと誓おう。今すぐ出ていき、令嬢達を守れ!」
こうしている間もワイバーンは刻一刻と近付いてきている。
もう、時間がないのだ。
「……当家のお嬢様でしたら、あちらに」
その時、対角上に聳え立つ建物を、ハルフトが指差した。
示されるままジョバンニが目を向けると、妹のパトリシアが三階のベランダで、大きな弓に矢をつがえている。
「……あれは!?」
「当家に伝わる祭事用の弓です。男三人で引くのがやっとの強弓ですが、パトリシアお穣様であれば問題ありません」
この緊急時に、ネグリジェで一体何をやっているのか。
状況を理解できないジョバンニが凝視していると、パトリシアは強弓をものともせず、ぐぐ…と思い切り後ろに引いた。
彼女の見た目からは想像もできいないほど、大きく弓がしなる。
これ以上ないほど弓がしなった次の瞬間、空に向かって矢を射た。
放たれた矢は、見たこともない速さで空を切り裂き、百メートル近く先にいるワイバーンの右目に突き刺る。
あの距離を射抜くのか!?
王国広しといえど、あの距離を正確に射抜けるなど見たことがない。
ギャオォォォオオオ……ッ!!
先ほど目を射られたワイバーンが絶叫する。
パトリシアは続けざまに二射目を放ち、もう一頭のワイバーンの右目も射抜いた。
二頭のワイバーンは雄叫びをあげ、もがき、回転しながらパトリシアがいる部屋のほうへと斜めに落下していく。
小隊が出払っているため、兵士達は落下地点に待機していない。
まずい、と剣を掴み、今度こそ窓から飛び降りようとしたジョバンニを、ハルフトは再び手で制した。
「……フレデリカお嬢様は、あちらに」
示す先、ちょうどパトリシアの二階上の屋上に、フレデリカはいた。
髪を一つに結い、一切の防具を身に付けず、軽装のまま昼間見た大剣をかまえる。
かなり重量のありそうな剛剣。
生半可な騎士では、振るどころか、持ち上げるのすらままならないだろう。
そのまま屋上から加速し、十メートル以上ある距離を難なく飛ぶと、先に目を射抜かれたワイバーンの首を一太刀で切り落とした。
絶命するワイバーンを足場に、そのまま二頭目に向かう。
二頭目はもがき苦しみ、暴れながら落下しているため、首を狙うのは容易ではない。
顎下に飛び込み、大剣の柄頭で顎を思いきり突き上げると、ワイバーンの頭が天を向き、首が無防備に晒される。
独楽のように回りながら遠心力で勢いをつけ、また一太刀で首を切り落とした。
ドォォォオンッ……!!
地響きがするほどの轟音を立てながら、首をもがれたワイバーンが二頭、続けざまに地に落ちる。
噴き出す血にまみれながら、フレデリカはゆっくりと着地した。
服の胸元を掴み、血塗れの顔をぬぐう。
あの夜と同じ、漆黒の瞳に緋色が揺れて――。
マンティコアも倒したのだろうか、遠くで勝鬨があがる。
だがジョバンニの耳にはもう何も聞こえていなかった。
息をするのも忘れ、月夜に浮かぶフレデリカに目を奪われていた――。