47. またしても少女は逃げ出した
森に!
一刻も早く森に帰りたい!!
慣れた大自然の中で思う存分走って、このモヤモヤを解消したい……!!
だが都合良く森などあるわけもなく、それではせめて自然に近い場所、と考えたところで、式場から走ってニ十分の距離にある、グレゴール侯爵邸の庭園を思い出した。
あそこなら、木がいっぱいあったはずだ。
もはや小さな森と言っても、過言ではない。
そう自分を納得させてグレゴール侯爵邸にお邪魔し、「ジョバンニ様が、庭園に向かえと仰せです」と嘯いて台車を小さく揺らすと、ほんのり白目を剥いたジョバンニが、まるで頷いているかのようにガクガクと首を縦に振った。
「ご覧ください、その通りだと頷いておられます」
「ほ、本当に!?」
屋敷の者達は訝しみ、しばらく遠巻きにしていたが、いずれも納得してくれたようで庭園へと通してもらえた。
実のところ、アルクトドゥスと単騎で戦ったフレデリカに恐れをなし、またジョバンニの想い人であることを知っているからなのだが――。
心配そうに後ろを付いてくる使用人達を気にも留めず、庭園の奥に向かう途中で先程の一幕を思い出してしまう。
すべてを無かったことにしてしまいたい……!
フレデリカは半ばパニック状態で、膝を抱えてうずくまった。
「ど、どうしよう……!」
右斜め三十度の角度で、大きな木に台車を立てかける。
その上に座る形で、ジョバンニは気を失っていた。
しばらくは目が覚めないだろう。
そう思って安心していると、ギシリと台車が揺れた。
「フレデリカ」
「!? きゃああああああッ!!」
目覚めたジョバンニが台車から降りると、フレデリカは弾かれたように後ろへ飛びすさる。
「あああの、じょ、ジョバンニ様、いつから気付いて……!?」
ジョバンニが一歩近付くたび、フレデリカも呼応するように一歩後ろへと下がっていく。
「さ、先ほどは申し訳ありませんでした。その、つい手が出てしまって……」
動揺し、あわあわと落ち着きを失くす姿は、不審者そのもの。
ジョバンニは首を傾げ、ゆっくりとフレデリカに歩み寄った。
「もし良かったら、少し話をしないか?」
一歩、また一歩近付くジョバンニの貴公子オーラに耐え兼ね、思わず逃げ出したくなったところで優しく腕に触れられる。
そして、今――。
少し座ろうと言われ、フレデリカは木の根元に膝を抱えて座っていた。
「なかなか連絡ができなくて、すまなかった」
「……」
「ゴルドッド商会での潜入調査で、パトリシア嬢の助けを借りてしまったことが情けなく……王太子殿下と父上に相談をして決めたことだ」
一体何を決めたのだろう。
フレデリカは緊張にゴクリと唾を呑み込んだ。
「正式に継承権を弟に譲ったんだ。王太子殿下の意向もあり、半年後に予定していた弟の結婚式を急遽切り上げ、このような運びとなった」
「継承権を譲った!?」
「手続き等で忙しく、連絡ができず申し訳なかった」
フレデリカの驚きようが意外だったのか、ジョバンニはクスリと微笑んだ。
「どうせすぐに会えるのだから、驚かせたいと思う気持ちもあったんだ」
「すぐに会える?」
「うん、両親の承諾も得て、やっとすべての準備が整った。迷惑かもしれないが、この先ユルグ辺境伯領で暮らすことを許してほしい」
「そんな、許すだなんて……え? ユルグ辺境伯領で、暮らす!?」
ジョバンニが辺境伯領で暮らすとは、どういうことだろうか。
「ユルグ辺境伯領は、実戦経験を積むにはうってつけだろう? クルシュから、『本気でフレデリカが欲しいなら、死ぬ気で鍛えろ』と言われたんだ」
「ええ!? お待ちください、ユルグ辺境伯領の騎士として転職するということですか!?」
突然の移住計画に、動揺を隠せないフレデリカ。
思わず身を乗り出して詰め寄ると、ジョバンニはすかさずフレデリカの肩を抱き、自分のもとへと引き寄せた。
「君を口説くには、うってつけだろう?」
「ひぃぃ、一体何を言って!? 私が他の方と結婚したら、どうされるおつもりですか!?」
「そうならないように、努力しよう」
そう告げて、フレデリカの顔を手のひらで包むように上向かせる。
柔らかな光を宿した白銀の瞳。
大きく映り込む自分の姿を見ていると、フレデリカの胸の奥で、何かが温かく溶けていくようだった。
「君は意外と周りを気にするからな。憂いを取り除いた状態で、改めて申し込みたかったんだ。ユルグ辺境伯領での暮らしは慣れるまで大変かもしれないが、少しでも君の傍で過ごしたい」
「そ、そうですか……」
「ああ、そういえば連れ去られる前、何か嬉しいことを言ってもらった気がする。……よく聞こえなかったから、もう一度聞かせてもらえないか?」
思い出すように告げ、ジョバンニがフレデリカを覗きこむように顔を近付けると、大人の色気が溢れ出す。
本人を前に叫んだ先程の告白を思い出し、どうしようもなく恥ずかしくなったフレデリカは、火照った頬を両手で押さえた。
「いえいえ絶対に聞こえていました! だって赤い顔をしたジョバンニ様と、目が合ったもの!!」
「ん? そうだったかな?」
「そうですよッ!!」
嬉しそうなジョバン二と、少し指先を伸ばせば触れそうなほどに近い距離。
「来てくれて嬉しかった。君にあんなことを言ってもらえるなんて、夢のようだ」
「ひぃぃ、やっぱり聞こえているじゃないですか!」
優しく告げられ、腕の中でわたわたと慌てるフレデリカの頬に、ジョバンニがそっと口付ける。
声も出せずに固まるその姿に、ジョバンニはプッと小さく吹き出した。
「例え駄目でも、少しでも君の傍にいたかったんだ」
どうしても君を諦めたくなかったんだと囁かれ、フレデリカは嬉しさに目頭が熱くなる。
「駄目なわけ、ないじゃないですか……」
もう、自分の気持ちを誤魔化せない。
必死でそれだけ口にすると、ジョバンニに力いっぱい抱きしめられた。
だめだ、恥ずかしい……。
いつもの強気が嘘のように、握りしめた指先が恥ずかしさに震える。
ジョバンニはそんなフレデリカに気付き、フレデリカの指先を解くように指を絡めると、手の甲に優しく口付けた。
そのまま、ゆっくりと二人の距離が縮まっていき――。
フレデリカの目が、何かを捉えた。
「?」
台車で運ばれたジョバンニを案じ、息を殺して見守っていた使用人達の身体の一部が、茂みからはみ出している。
皆一様にゴクリと息を呑み、身を乗り出して嫡男の恋の行方を見守っていた。
「ジョバンニ様、ちょっと待、お待ちください。人が……」
一連のやり取りをすべて見られていたのかと、フレデリカは顔から火を噴き出しそうになる。
「気にする必要はない」
「いや、気にします! 私が気にしますから!!」
相変わらず空気を読まない男ジョバンニ。
本日もまた、人がいても気にもせず、所嫌わず迫りくる。
「ちょっと待……ッ!! ええい、待てと言ってるでしょう!!」
気にも留めず、続行しようとするジョバン二を拒むように腕でグイっと押すと、フレデリカはそのまま全速力で逃げ出した。
「フレデリカ! すぐに会いに行くから!」
とても追いつけない思ったのだろう、後ろからジョバンニが声を掛けてくる。
顔を赤らめつつ頬が緩みっぱなしのフレデリカは、グレゴール侯爵邸の高い外壁を駆け上り、そのまま飛び越えるように姿を消したのであった。
(こぼれ話)
結婚式が終わり、人がまばらになった式場に戻って、クルシュを探すフレデリカ。
フレ「お兄様! 帰りも転移魔法で送ってください!」
父「クルシュは先程帰らせた。……お前は馬車だ」
フレ「えっ?(嫌な予感)」
父「色々と積もる話を聞かせてもらおうか……」
馬車に乗る父娘。
父「で、話はまとまったのか?」
フレ「はい、もちろんです!」
父「……そうか」
ユルグ辺境伯はゆっくりと目を瞑り、そして嬉しそうに口元を綻ばせた。







