46. そして少女は逃げ出した
ジョバンニが美しいと褒めてくれた、夜空のような紺色のドレスに身を包む。
クルシュの転移魔法により、グレゴール侯爵邸に到着したフレデリカは、決戦を前にした騎士のように意気込み、やる気充分だった。
「さぁお兄様! 式場まで走りますよ!!」
「はぁッ!? ちょ、待て待て、まだ時間があるから少し休ませてくれ」
「大丈夫、私が手を引いて差し上げます!!」
宣言するなりフレデリカは走り出した。
猛スピードで駆け抜ける美しいご令嬢に、道行く人は何事かと立ち止まり、あっと言う間に小さくなるその背中を呆然と見送る。
引きずられるように手を引かれ、たまに足がもつれるクルシュはそのスピードについて行けず、たまに足元が宙に浮いていた。
「ハァハァ、もう限界……お前まさか、この勢いで式場に突っ込む気じゃないだろうな!?」
「……」
「王太子殿下もいらっしゃるんだぞ!?」
無言で走り続けるその様子に、クルシュの不安が募っていく。
「神聖な式場の扉を、蹴破るような真似はしないだろうなッ!?」
「一体私をなんだと思っているのですか」
「やりかねないから言っているんだ。そんなことをしたらさすがにお前、責任を問われるぞ!? 立ち止まりノックをしてから……!」
クルシュが苦言を呈するが、フレデリカは聞こえないふりをしている。
「これはまずい……」
式場まであと数十メートルというところで危機感が増し、拘束しておとなしくさせたほうが良いのではと思い立ったクルシュは、フレデリカに握られたその手を力いっぱい後ろに引いた。
拘束から逃れた両手を合わせ、魔法陣を起動しようとしたその時、そうはさせるかとフレデリカがクルシュの襟元を思いきり掴む。
「神聖な式場の扉を破るのは、私ではありません!」
「え?」
「……お兄様ですッ!!」
何を言われているのか分からず、クルシュが首をひねった次の瞬間――、勢いよく扉へ向かって投げられた。
「ええッ!?」
勢いよく飛んでいくクルシュを満足げに見つめ、フレデリカはひらひらと手を振っている。
ドガァーンッ!! と大きな音を立てて、式場の扉が大きく開く。
「その結婚、ちょっと待ったァ――ッ!!」
参列者達が驚いて振り返り、前代未聞の事態に、司祭もまた口をあんぐりと開けている。
突っ込んだクルシュは、頬をひきつらせた参列者の一人……父、ユルグ辺境伯と目が合い、もうどうにでもなれと気絶したふりをした。
***
「ジョバンニ様が求婚されたのは私、フレデリカ・ユルグです。たとえ王太子殿下の御命令でも、従うわけにはいきません!!」
自信満々に異議を唱えるフレデリカに目を向け、ウルドはゆっくりと立ち上がった。
「それは聞き捨てならないな。ジョバンニの求婚は断ったと聞いている。その気もないのに、急に惜しくなったのか?」
スッと目を細め、立ち去れとばかりに威圧をするウルドに恐れを抱き、思わず参列者達が目を伏せる。
だが常日頃から、ユルグ辺境伯夫人ノーラの圧に晒されているフレデリカ。
その程度の圧で押さえ込めるはずもなく、片腹痛いとばかりに鼻で笑った。
「そのとおりです! 悩んだ末に断ったものの、居ても立っても居られず、こうやって奪いにきました!!」
嫌味を言ったはずなのに、まさか全力で肯定されるとは思わず、ウルドは驚きのあまりポカンして立ち尽くす。
パトリシアに比べれば幾分マシだが、考えたことがすぐ口に出てしまうユルグ辺境伯家の娘達。
本音百パーセントで高らかに宣言をした途端、ウルドなど比にならない圧を感じ、フレデリカは一瞬ギクリと動きを止めた。
揺らめく炎とともに、『ゴゴゴ……』という効果音が聞こえそうなほどに怒りを露わにした父、ユルグ辺境伯が目に入る。
「ええと、扉を破ったのは私ではなくお兄様です」
これは後で相当怒られる。
一つでも罪を減らそうと、クルシュになすりつけ小声で言い訳をすると、気絶しているはずのクルシュの肩が『違います』とでも言うように、ピクリと動いた。
「ジョバンニ様を愛していると、認めるのが遅かったのは謝ります! でも結婚するのは、この私です! ……どうしよう、あ、愛しているとか、言っちゃった――ッ!!」
式場に殴り込む狼藉者のくせに、急に頬を赤らめ恥ずかしがるフレデリカに、参列者達は動揺を隠せない。
(お前……これで新郎新婦が両思いなら、とんだ噛ませ犬だからな)
腕の隙間から口をパクパクさせて、いらぬセリフを吐くクルシュを一睨みしたまではいいが、ざわめく空気と怖い顔をして睨むユルグ辺境伯に、段々不安を覚えてきた。
「それで、どうするつもりだ?」
呆れたように溜息を吐き攻守交替、今度はユルグ辺境伯が問いかける。
「そ、その、ジョバンニ様を連れ去ろうと思って、たいして作戦も立てずに突入したわけですが」
「……そのようだな」
よく通る低い声でユルグ辺境伯は相槌を打つ。
普段温厚な人間が怒ると怖い、とはまさにこのこと。
今は発言しないほうが得策と考えたのだろう、ウルドは口をつぐんでいる。
「お、お母様にも了承を得ています……」
どさくさに紛れて兄に罪をなすりつけたものの、もう一人くらい共犯者がいたほうが後々言い訳をしやすいのでは?
そう思ってノーラを持ち出すと、参列者達のざわめきがさらに大きくなる。
「パトリシアとかも応援してくれて……はい、そんなわけでジョバンニ様をいただきます!!」
これ以上はまずい!
あまり頭の良くないフレデリカにもそれくらいは分かる。
一刻も早くジョバンニを連れ去ろうと、新郎に向けて身体の向きを変えると、新郎が振り返りバチリと目が合った。
「……あれ?」
遠目ではジョバンニと似た背格好だが、よく見ると一回り小さい。
顔立ちも似ているが幼く、フレデリカと然程変わらない年頃に見える。
「ジョバンニ様じゃ……ない?」
(本日の結婚式はジョバンニではなく、正式に次期侯爵となることが決まった、グレゴール侯爵家次男のものです)
またしても腕の隙間から、口パクで伝えてくるクルシュ。
勘違いをしていたことに気付き、フレデリカはゴクリと唾を呑み込んだ。
動揺して目を泳がせると、式場の最前列右端……参列者に混じって、真っ赤な顔で俯くジョバンニの姿が目に入る。
新郎じゃ、なかった?
ただの勘違いだったのに、愛しているとか言っちゃった!?
「うわぁぁぁ……ッ!!」
フレデリカは叫ぶなり、参列者達を飛び越えジョバンニの席へ向かうと、腹に一撃を入れて肩に担いだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」
気絶したジョバンニを担いだまま、逃げ去るように式場を出て、扉を閉める。
「どうしよう、これからどうしよう!?」
駄目なら後から考えればいいと思っていたが、さすがにこれは想定外である。
動揺しすぎて考えがまとまらず、キョロキョロと辺りを見回すと、少し離れたところに大きな台車が置いてあるのを見付けた。
初めての視察で出会った日、一撃で仕留めた熊のように、ぐったりとしたジョバンニをお行儀よく台座へと座らせる。
とにかくこの場から離れたい。
その一心で、ジョバンニがお座りした台車を引き、少女はそのままどこへともなく走り出したのである……!!







