37. すぐにボロが出る、頭悪めのグリズリー
「――で?」
仁王立ちのユルグ辺境伯夫人と、床に正座をするユルグ辺境伯家の兄妹。
二回目の襲撃はリーダー格の男がおらず、別に構成された襲撃部隊だったようだ。
虫の息で地面に転がる襲撃犯を縄でぐるぐる巻きにして狼煙を上げ、遥か後方で追尾していた捕縛者移送用の馬車に引き渡した。
夫人はひとしきり暴れた後、クルシュが乗る馬車を再度睨みつけて舌打ちをするなり、グリフォンの背にまたがりユルグ辺境伯領へと帰っていったのである。
そして今――。
クルシュとフレデリカは小一時間叱られていた。
「まったく面目次第もございません」
直接迷惑をかけたのはクルシュだが、護衛中に飲酒をしたのはフレデリカ。
ここは連帯責任である。
平に平に、床へ頭をこする勢いで謝るが勿論許されるわけもなく、夫人は力強く拳を握った。
これはまずいと兄妹が怯えた次の瞬間、ゴッと鈍い音を立てて、二人は順番にゲンコツを食らう。
「あ、あのもう、それくらいで」
七転八倒、頭を抱えてその場に転がり悶絶する二人。
見かねたラウラが慌てて止めに入るが、夫人に一睨みされてそれ以上言葉が出なくなり、蛇に睨まれた蛙のように縮みあがってしまった。
「……フレデリカ様、力不足で申し訳ありません」
さすがは空気の読める王妃直属の筆頭侍女。
フレデリカだけに聞こえる小さな声でそっと告げると、ラウラはおめおめと引き下がり……そしてアマンダは巻き込まれてはたまらないと知らんぷりを決め込んでいる。
「お客様もお疲れのことだし、それくらいにしてあげなさい」
怒りの収まらない夫人の殺気にあてられ、緊迫感漂う中、仲裁に入ったユルグ辺境伯の穏やかな声に張りつめていた空気が一変し、皆ホッと安堵の息を吐いた。
「もう夜中だし皆も疲れているだろうから、今日はゆっくりと休みなさい。報告は明日にしよう。ノーラも疲れただろう?」
なおも不満げに睨みを効かせる夫人を宥めながら、ユルグ辺境伯は客人を部屋へ案内させるよう指示を出す。
その場の解散を促し、早く行けと目配せをしたユルグ辺境伯にペコリと頭を下げ、兄妹はそそくさと自室に逃げ込んだのである――。
***
ゆったりとした朝を過ごし、朝食の席で主だった者の自己紹介を終えると、ユルグ辺境伯が申し訳なさそうに頭を下げた。
「昨日はバタバタして自己紹介もできず、すまなかったね」
面倒ごとを押し付けられて迷惑を被っているにも関わらず、平身低頭なユルグ辺境伯の様子に、ラウラとアマンダは驚いて顔を見合わせる。
「いえ、とんでもございません。受け入れていただき、心から感謝しております」
恐縮しきりで感謝の意を述べると、ハルフトに横抱きにされた末娘のパトリシアがのんびりと食堂に姿を現した。
「おはようございます」
弱々しい声で、朝の挨拶をする。
お腹でも痛いのだろうかと、クルシュとフレデリカはそっと視線を交わした。
「お待たせして申し訳ございません。パトリシア・ユルグと申します」
もじもじと恥ずかしそうに自己紹介をしたパトリシアを、ハルフトはゆっくりと車椅子に乗せる。
足に巻かれた包帯が、何とも痛々しい。
車椅子に乗ったはかなげな童顔美少女に、ラウラとアマンダは思わず息を飲んだ。
「お姉様が増えたようで、嬉しいです。仲良くしてくださいね」
甘えん坊な妹属性を遺憾なく発揮するパトリシアに、一体何が始まったんだとげんなりするクルシュとフレデリカ。
だが令嬢二人はその天使の微笑みに、ハートを鷲掴みにされてしまった。
たった数日で別人のようになったパトリシアを胡散臭げに見ながら、フレデリカが肘でクルシュをつつくと、クルシュも訝しげに首を捻る。
(なんですかコレは。あと数日もすれば普通に歩いていいと、医師から言われていたのでは?)
(いや、僕にも何がなんだか……あんな仰々しく包帯まで巻いて)
ヒソヒソと内緒話をする二人に、夫人が小声で参加する。
(グレゴール卿よ)
(は? なんでジョバンニ?)
(領地視察に来たグレゴール卿がとにかく素敵だったでしょう? 今回の護衛任務も楽しみにしていたのに、骨折して行けなくなってしまって……)
見目麗しい王子様系の令息がお好みらしい。
ジョバンニのことを思い出したのか、フレデリカが心なしか赤面している。
(こんな辺境の田舎に洗練された貴公子なんて来やしないから、ラウラ様とアマンダ様にお願いすれば、伝手を頼って素敵な貴族令息を紹介してもらえるのでは、と期待が膨らんじゃったのね)
パトリシアも今年で十四歳。
可能であれば学園へも通わせてあげたいが、魔物の出没頻度にもよるため、どうなるかは分からない。
(まぁとにかくそんな訳で、貴方達がいない間に色々と息巻いていたのよ)
フレデリカは残念な野生児だが、女の子らしい一面のある甘えん坊の末娘パトリシアは、ジョバンニに見染められた姉が羨ましくて仕方なかったようである。
恋に恋するお年頃のパトリシアの気持ちは分かるが、この猫かぶりには少々無理がある。
(ジョバン二の特殊な性癖を基準にされると困るな)
(なッ!? お兄様、今すごく失礼なことを言いませんでしたか!? とはいえ、どうせパトリシアのことだから、すぐにボロが出ますよ)
妹を熟知しているクルシュとフレデリカが呆れ顔で眺めていると、突如耳をつんざくような鋭い警笛が鳴り響いた。
「グリフォンが檻から脱走しました! 繰り返します!! グリフォンが脱走し、屋敷に向かっている模様」
その報せを聞き、ユルグ辺境伯家の面々は一斉に立ち上がり、屋敷の外に走っていく。
おちょぼ口で伏し目がちに朝食を平らげていたパトリシアも、車椅子を急転させ屋敷の外に飛び出した。
食堂から人がいなくなり、不安になったラウラとアマンダも続けて外に飛び出すと、見覚えのあるグリフォンがうなり声をあげながら、屋敷に向かって急降下してくる。
「ここは僕の出番かな」
「お兄様! 私が行きますっ」
だがクルシュを遮るように、グリフォンの調教担当だったパトリシアが、元気いっぱい後ろから車椅子で突っ込んだ。
「パトリシア、お前は足を怪我して……?」
従魔契約をしているので、クルシュが魔法陣を起動すれば一発で従うのだが、そこは調教担当としてのプライドがあるらしい。
砂埃をあげて車椅子を操り――、そして、パトリシアは力強く地に降り立った。
「え、立ってる……?」
骨折しているはずなのに。
自身満々に立ち上がるパトリシアの姿に、後ろから走ってきたラウラとアマンダが仰天する。
甲高い鳴き声をあげながら、間近に迫りくるグリフォン。
弓も持っていないし間に合わないのではないかとフレデリカが戦闘態勢に入ったその時、パトリシアは徐に車椅子を掴んで振りかぶり、力いっぱいぶん投げた。
遠距離戦ではユルグ辺境伯領随一の射手。
だが近距離戦では……フレデリカが狂戦士ならば、パトリシアは頭悪めのグリズリー。
技巧などまったくない、怪力にものを言わせた力押しの攻撃である。
ニ十キロもあろうかという車椅子は、まるで重さを感じさせず、矢のような速さでグリフォンに向かって飛んでいった。
ドガァァンッ!!
大音量でお送りする硬度高めのカウンターパンチ。
ぐしゃりと無残にひしゃげた車椅子と、勢いを失くして垂直に落ちていくグリフォンこと、ペットの『グリ』。
だがなおも諦めず、『グリ』がバサバサと羽を動かして再浮上した。
しぶとく抵抗する『グリ』にトドメを打つべく、パトリシアは怪我をした方の足を軸足にして地を蹴った。
落下する車椅子を踏み台にして飛ぶと、そのままグリフォンの脳天にかかと落としを喰らわせる。
「ぎゃおおおぉーんッ」
舞い上がる砂埃の中、呆然と立ち尽くすラウラとアマンダ。
今にも泣き出しそうな悲しげな声でグリフォンは叫び、一撃で地に沈んだ。
「んもう、良い子にしないとダメだって、あれほど言ったでしょ?」
ぷくりと頬を膨らませる姿は、可愛いと言えば可愛いのだが……。
如何せん、初対面の時とギャップがありすぎる。
(ほらみろ。半刻ももたなかったじゃないか)
(お兄様、アレ……生きてますよね?)
目を大きく見開いたまま固まるラウラとアマンダを尻目に、クルシュとフレデリカはまたしてもヒソヒソと言葉を交わしたのであった――。







