30. 真夜中の訪問者
なんなの、もう本当に何なのよ!?
王太子のことなどすべて忘れる勢いで上書きされ、もはやジョバンニの寛いだ胸元と、頬と肩に口付けられた感触しか思い出せない。
しかも「フレデリカ」とかあんなに優しく呼び掛けるしぃぃ……ッ!!
「うわぁぁぁあん!!」
思う存分叫んで悶絶したいのだが、さすがに迷惑になってしまうと、すんでのところで堪えた自分を褒めてあげたい。
『嫌ならすぐにやめるから』と言われたが、王太子に触れられた時のような嫌悪感はまったくなく、それどころか近くに引き寄せられて、ドキドキと胸が高鳴るばかりだった。
「うう、どうしよう」
魔物と戦う姿も、乱暴な物言いも、すべて見てきたはずなのに。
どんなフレデリカでも受け入れてくれる。
普通の女の子のように接してくれて、想いが溢れるような眼差しを向けてくれる。
「全然、嫌じゃなかったし……」
そう、全然嫌じゃなかったのだ。
逞しい腕の中に閉じ込められた時、頬に口付けられた時……嬉しくてたまらなかったのだ。
――でも。
だからといって嬉々として嫁ぐなど、フレデリカには考えられなかった。
ジョバンニは、今は騎士をしているが次期侯爵。
もし結婚することになったら、フレデリカはユルグ辺境伯領を出て行かなければならないのだ。
それは、パトリシアも同じこと。
両親がいつまで戦えるかも分からず、ハルフトに代わる戦力も育っていない。
このままだと魔物ひしめくユルグ辺境伯領を、クルシュが一人で守らなければならなくなってしまうのだ。
それは避けたい、と思う。
ユルグ辺境伯家で抑えられなくなった魔物が、もし他の領地に侵入したら?
「考えるだけで恐ろしい……」
自分の一存で決めていい話ではないように思え、だからこそフレデリカはずっと結婚に消極的だった。
緋の眼を持つ者が二世代にわたり三人も揃うなど、聞いたことがない。
今最優先すべきは、後世のために森の魔物を出来る限り減らすことだ。
実際に魔物の被害に遭った人々を見てきたからこそ、余計にそう思えるのだ。
「やっぱり駄目だ、一人で考えていても埒があかない」
困った時はいつもクルシュに相談をしてきた。
とぼけた顔して魔術を自在に操るとんだ伏兵……でも、いつも親身になって相談に乗ってくれる。
フレデリカはストールを羽織り、少し冷えた窓枠をそっと押した。
***
午前三時頃。
窓がガタガタと鳴る音でクルシュは目覚めた。
なんだ、風か?
気のせいかと思いまた眠ろうとすると、今度はガタガタという音とともに聞き慣れた舌打ちが聞こえる。
……フレデリカ?
三階客室の窓から侵入する者など、フレデリカくらいしか思い当たらない。
季節はもうすぐ冬。
カーテンを開けると窓の外にストールを羽織り、寝巻きで震えるフレデリカの姿が見えた。
「は・や・く・あ・け・て」
侯爵家の方々には見られたくないのか、声を潜めてコツコツと窓を叩く。
薄着で寒いのだろう、少し凍えながらイライラとし始めたフレデリカに、ぶはっとクルシュは吹き出した。
しばらくそのままにして揶揄おうかとも思ったのだが、窓を壊しかねない形相になってきたのでクルシュは思い留まる。
グレゴール侯爵家の屋敷内で暴れられたら後が面倒だ。
静かに窓を開くとフレデリカはするりと中に滑り込み、声を抑えて笑いを噛み殺すクルシュの頭を鷲掴みにした。
「帰ったら、手合わせ連続十回」
物騒な台詞を吐くが、何だかいつもの覇気がない。
「……ん? フレデリカ、お前随分と酒臭くないか?」
「グレゴール卿に誘われて、屋上の温室で少しお酒を呑みました」
普段あまり深酒をしないはずのフレデリカの呼気に、かなりの酒精が混じっている。
声を荒げたフレデリカの様子を訝しみつつ、風邪を引かないよう、クルシュは先程まで自分が寝ていた毛布を肩に掛けてあげた。
毛布にくるまり、小声でお礼を言ってるのだが何やら妙に落ち着きがない。
「どうした? 何か言いにくいことか?」
これは、ジョバンニと何かあったな。
自分で聞いておいてなんだが、恋愛相談だったら答えられる自信はない。
何を隠そう、自称王国一を誇る草食系男子。
自分から言い寄ることもなく、いつもぼんやりとウダツの上がらない令息を装っているため、クルシュは女性にモテた試しがない。
しかもあの、危険が伴うユルグ辺境伯家の嫡男とくれば、普通の令嬢は裸足で逃げ出していく。
本音を言うと、面倒臭いので爵位も継ぎたくない。
ユルグ辺境伯家は実力がすべてだから、頭ひとつ突出したフレデリカが婿をとって継げばいい。
そんな風に考えているし、両親からも継ぎたい者が継げばいいと言われている。
「眠いから早くしろ。侯爵家の方々に聞かれたくないんだろう?」
どんな相談が飛び出るかと緊張しながら声をかけると、「グレゴール卿と明日庭園を見る約束をしたのだが、キャンセルしたい」という至って普通の内容だった。
そういえば庭園を二人で見に行く約束をしていたのを思い出す。
自分で直接言えばよいものを、具合が悪くなったことにして顔を合わせたくないなどと、子供のような我が儘を言い始める。
「温室で何かあったのか? 無理矢理に何かされたのであれば、正式に抗議するが」
無理に何かしようとしても出来る相手ではないが、酒に酔わせてであれば可能性はある。
「んなッ……! グレゴール卿は無理強いするような方ではありません!」
クルシュの言葉に真っ赤になって怒りだすフレデリカ。
何かしたのは確かなようだが、嫌ではなかったらしい。
おやおや? とクルシュはこの面白そうな展開に吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「それではお前が何かしたのか?」
調子に乗って揶揄うと、いつものごとくフレデリカの右腕がうなりを上げる。
この勢いで平手打ちをされたら、非力なクルシュは部屋の端まで吹っ飛んでしまう……慌てて照準を合わせ、フレデリカの右腕を青白い焔でグルリと囲った。
「はい、[[ 捕縛 ]]。まったく、お前は毎回毎回、暴力ですべてを解決しようとするんじゃない。」
「ぐっ……う、動かないぃぃッ!!」
「そんなんじゃいつか、ジョバンニにも嫌われてしまうぞ!?」
この一言が効いたのか、フレデリカは途端にシュンと大人しくなった。
本人の前ではつれない態度をとるくせに、嫌われるのはイヤらしい。
少し落ち着きを取り戻したため捕縛を解き、話してみろと促すと、モジモジしながら口を開いた。
「は、初めてだったの……」
「……え? 何が初めてだって!?」
クルシュの動きがピタリと止まる。
自分には縁のない話ではあるが、探求心は旺盛なため知識レベルは賢者クラスである。
だが妹の色々を赤裸々に聞く度胸はない。
何を聞かされるんだとドキドキしながら、次の言葉を待った。
「お、お、お酒に酔って、頭がふわふわしている間にそのまま……!」
「な、なんだってぇッ……!?」
お前、人様の御宅で何やってるんだ。
しかも屋上だぞ!?
外から丸見え、いつ誰が上がってくるかしれない温室でそんな、そんなことを……!?
「ワインが美味しくて飲みすぎちゃった私も悪かったんだけど、なんだかもう訳が分からなくなって……」
思い出したのか、フレデリカは耳まで真っ赤にしながら毛布を被る。
「そ、そんな……お前……」
なんということだ。
何がなんだか分からないまま、だと。
「突然腕を引かれて……わ、私が素直じゃないからと」
あんな淡白そうな貴公子顔をしておきながら、鬼畜すぎやしないか。
クルシュは青ざめ、フラフラと立ち上がる。
これが他人事なら知ったことではないが、可愛い妹と大事な親友。
大問題である。
特にフレデリカは森で育ったといっても過言ではない野生児。
願わくば文化的な室内環境で至して欲しかったが、結局選んだ場所は木がいっぱいの、ジャングルのような温室だったなんて。
その上、素直じゃないからと無理矢理!?
冷静に考えればアルクトドゥスを単騎で仕留め、三階の外壁を伝ってクルシュの部屋まで来るフレデリカに無理強い出来る実力者など、王国内に存在するわけがないのだが……そのあたりの思考は衝撃のあまり停止している。
「(深酒で)身体が辛いかもしれないので、朝食は部屋で取っても構わないと、侍従に申し付けてくださったの」
なんたること。
アフターケアまで万全ではないか。
しかも遊びではなく、本気も本気。
ジョバンニが今すぐにでもフレデリカとの婚姻を望んでいることを、クルシュは知っている。
飴と鞭を交互に使い、ときに真綿でくるみ徐々に狭めて堕とす作戦か。
優しそうな見た目とは裏腹に、実は百戦錬磨なのかもしれない……そういえば街でも可愛い子達に囲まれていた。
「分かった。安心しろフレデリカ。庭園の件は、この兄がなんとかしよう!」
不安になっている妹を安心させるよう、ドンと自分の胸を叩く。
ほっとした顔をするフレデリカに、ふと疑問を投げ掛けた。
「お前はまだ、ジョバンニの求婚を断るのか?」
ジョバンニが本気なのは分かっているはずだ。
それにお前も彼のことを好きになり始めているだろう?
「……結婚はできません」
クルシュの問いに唇をキュッと噛み締めながら、フレデリカは答える。
毛布にくるまった身体が、小さく固くなった。
「お母様だってもうよいお歳……ここ数年魔物の出現率も上がってるし、大型の魔物との接近戦に耐えられる人間は数える程しかいないもの」
「……そうだなぁ。僕がもっと頼りになれば良かったんだが、すまないな」
毛玉のように丸くなったフレデリカを抱き上げ、クルシュは自分のベッドに横たえた。
そのまま、優しく頭を撫でる。
「そうやってまた子ども扱いをして……」
「何を言ってるんだ。夜中に兄の部屋に忍び込むなんて、充分子どもだろう。明日の事は僕から伝えておくから、もう眠るといい」
温かさに落ち着いたのか疲れたように眠りについたことを確認し、クルシュは静かに窓の外を眺める。
二人の未来を想い、クルシュは思案を巡らせた。







