28. いざとなったら叩きのめす所存です
「こうなってくると、フレデリカ嬢の実力も確認したいところだな」
一瞬、獰猛な光を宿し、ウルドはフレデリカに目を向ける。
グレゴール侯爵は侍従に目配せをし、場の解散を促した。
「……ああ、そうだ。大広間の隣にある部屋を借りれるかな? あそこなら二人きりでゆっくり話せそうだ」
ウルドはフレデリカの手を取ると、有無を言わせず歩き出してしまう。
支えを失いクルシュがよろめくが、王太子の手を振りほどくわけにもいかず、フレデリカは大広間を後にした。
***
お茶を運んで来た使用人達を退室させ、ウルドはフレデリカの隣に腰掛ける。
フレデリカはびくりと身体を強張らせ、逃走経路を確認しようと応接室の扉に目を向けると、少し開いた隙間からジョバンニの姿が見えた。
彼が近くにいるのであれば、さすがに無体は働けまい。
いざとなったら叩きのめせばよいのだが、さすがに相手は王太子。
なるべくなら平穏にこの場を逃れたい。
気持ちを引き締めるように姿勢を正すと、ドレスの袖が柔らかく揺れ、隙間から二の腕の包帯がのぞいた。
怪我に気付きウルドが確かめるように腕を取ると、先日の傷がまだ癒えておらず、チリリと軽い痛みが走る。
思わず顔を歪めたフレデリカに、ウルドがすっと目を眇めた。
「怪我を?」
「はい、先日魔物と戦闘になりまして、その際に」
「ユルグ辺境伯領は相変わらずだな。……他の令嬢が優雅に過ごしている中、君は日々命懸けで魔物と戦っている。そのことに、不満はないのか?」
何か気に入らないことでもあったのだろうか。
突然、冴え冴えとした冷澄な空気がフレデリカを襲う。
「……はい。ユルグ辺境伯家に生まれた者の義務ですから」
「義務、ね」
くだらないとでも言うようにウルドは肩を竦め、青く透き通った瞳でフレデリカを見つめた。
「ユルグ辺境伯家の人間は、皆そう言うね。だが、先程のクルシュは素晴らしかった。君達はその力を、他のことに使おうとは思わないのか?」
「他のこと?」
何を意図しての質問かは分からないが、ここで回答を誤ると、困った事になりそうな気がする。
「他のことが何を指すかは存じませんが、考えたこともありません」
フレデリカが迷いなく即答すると、ウルドは「ふむ」と呟いて、フレデリカの瞳を覗き込む。
「これが、緋の眼か。……力ある王になるには、君達が必要だ」
――君達が。
その言葉がクルシュとフレデリカの二人を差すのか、ユルグ辺境伯家自体を差すのか、フレデリカには分からなかった。
感情のない冷え冷えとした瞳に、フレデリカが映りこむ。
心の奥底まで覗かれているような気がして落ち着かず、また頬に触れた手の冷たさが不快で、段々と腹が立ってきた。
一度心を落ち着かせようと扉に目を向けると、二人の会話が聞こえているのか、ジョバンニが忙しなくウロウロと見え隠れする。
その姿が可笑しくて、少し気持ちが和らいだ。
「見合う褒美が欲しいとは思わないか? 例えばだが、次期王である私の側妃になれば、いくらでも贅沢ができるぞ」
この人は、突然何を言い出すのだろう。
ウルドは淡々とした口調で、なおも続ける。
「君が望むなら、明日にでも話を進めよう。クレスタの王女がいるから正妃にはしてあげられないが、側妃は君一人だ」
あまりの内容にフレデリカが絶句すると、扉が勢い良く開き、止めに入った護衛を引き摺りながらジョバンニが乱入してきた。
「殿下、お待ち下さい! 先程から、一体どういうおつもりですか!? どうしても話がしたいと言うから、急遽顔合わせの場を設定したのです。それをあろうことか側妃になどと……!!」
王家から正式に要請があれば、断ることなど出来ない。
ジョバンニは青褪め二人の間に割り込もうとするが、ウルドの護衛、四人がかりで羽交い締めにされ、動けなくなってしまった。
一方絶句していたフレデリカだが、ジョバンニの乱入に緊張も緩み、いつもの調子を取り戻す。
頬に触れていたウルドの手をパシリと払い、立ち上がった。
「本日は無礼講ですよね? 側妃なんて、絶対に御断りです」
話しているうち、怒りで感情が高ぶって来たのか、黒の瞳に緋が揺れる。
「中央の人間がどれだけ理解しているかは存じませんが、今回の依頼は偶々お受けしたに過ぎません。我がユルグ辺境伯家を甘く見るようであれば、それなりの覚悟をしていただきます」
そう言うと、羽交い絞めで藻掻くジョバンニの元に歩み寄った。
押さえ付ける護衛の襟首を掴むなり、部屋の隅へと吹っ飛ばす。
一人減り、やっと片腕が自由になったジョバンニが残りの三人を振り解き、フレデリカを守るように前へ出た。
取りつく島もないフレデリカの力強い答えと、警戒するジョバンニ。
不遜ともいえる二人の態度に、ウルドは喉の奥で笑いを噛み殺した。
「そうか。まあ、気が変わったら、いつでも連絡するといい」
クルシュだけでなく、君も随分と面白そうだ。
そんな軽口を叩きながら、傍らで歯噛みするジョバンニを楽しげに見遣る。
笑みを浮かべながら立ち上がり、すれ違いざまフレデリカの手を取ると、「また、会おう」とその手に口付け、ウルドは満足げに帰っていった。
「何て迷惑な男なんだ……」
ジョバンニ同様、扉の隙間から覗いていたクルシュが、呆れたように口を開く。
「でも、王太子殿下に望まれるなんて、少しだけ憧れますね」
ジョバンニの妹リリーベルが、ほぅっと頬を染めた。
嫌そうに顔を歪ませるフレデリカ。
それを見つめるジョバンニの瞳が、不安気に揺れる。
「女性であれば、一度は夢見るのではないですか?」
「いいえ、まったく。私は突然触れられ、不快でしかありませんでした」
思い出したらまた腹が立ってきて、フレデリカは力強く拳を握り締める。
暴れてくれるなよと小声で呟き、クルシュが心配そうに視線を送ってきた。
「二人とも、不快な思いをさせてすまなかった」
「いえ、そんな! グレゴール卿のせいではありません! すべてはあの男のせいです」
ついに王太子を『あの男』呼ばわりし、フレデリカはふとジョバンニに目を向けた。
「以前領地でグレゴール卿に触れられた時は、全然嫌じゃなかったのに」
「え!?」
森でオーガを倒した血だまりの中、プロポーズされた際に触れられたのを思い出し、フレデリカは不思議そうに小首を傾げる。
大きな手に触れ、「うん、やっぱり嫌じゃない」と嬉しそうに微笑むフレデリカに、ジョバンニはギシリと動きを止めた。
「フレデリカ、お前それはいくらなんでも鈍すぎるだろう……」
二人の様子にリリーベルが嬉しそうに目を輝かせる。
そしてクルシュは相変わらずのフレデリカに、深い溜息を吐いたのだった。







