27. 王太子殿下のおもちゃ箱
親族が集まる食事会と聞き、小規模なものを想像していたのだが、侯爵邸の大広間にはかなりの人数が集まっていた。
「フレデリカ様、とても素敵です!」
フレデリカとクルシュが大広間に入ると、ジョバンニの妹リリーベルが嬉しそうに声をかけ、主賓の二人に視線が集まる。
ジョバンニが嬉しそうに近付き、フレデリカの手を取り、口付けた。
「とても綺麗だ……」
「……!?」
フレデリカを真っ直ぐに見つめ、爽やかに微笑む貴公子に、あちこちから黄色い声があがる。
ジョバンニはその声が聞こえていないかのように、固まっているフレデリカの耳元へ口を寄せ、「髪留めは気に入らなかった?」と少し残念そうに囁いた。
「せっ、先日頂いた髪留めは、あの、今回は護衛任務だったので家に置いて参りました」
耳を抑え距離をとり、フレデリカは慌てて答える。
今宵は侯爵家の侍女が、髪を美しく結い上げてくれた。
マーメイドラインのシンプルなドレスに身を包むと、鍛え抜かれ、均整の取れたフレデリカの肢体が浮き彫りになる。
仲が良さそうな二人の様子に、ジョバンニに懸想する令嬢達から敵意が立ち上るが、令嬢というよりはまるで騎士のようなフレデリカの立ち姿に、感嘆の息を漏らす者も少なくはなかった。
美しく装うフレデリカに興味を持ったのか、不躾な視線を送る男達をジョバンニが牽制する。
入れ替わり立ち替わり、二人の元へと人が訪れ、思いのほか楽しく時間が過ぎていった。
そろそろ御開きかと思われる頃、数人の護衛を連れた男性が入ってくる。
その場にいた者達が皆頭を下げたため、フレデリカも慌てて御辞儀をした。
「今宵は無礼講だ。気にせず続けてくれ」
年の頃はジョバンニと同じくらいだろうか。
普段貴族達と交流のないフレデリカにも、まとう雰囲気から、彼が只者でないことだけは分かる。
「これは美しい! まるで女神だ」
白々しいお世辞を吐きながら、男がフレデリカを褒め称えた。
そういえば、背格好といい顔の雰囲気といい、どことなくジョバンニに似ている。
以前、ジョバンニの祖母が王族だとクルシュが言っていた。
血縁関係があるグレゴール侯爵家よりも高位の家柄……周囲の態度から察するに、王族なのかもしれない。
「……ありがとうございます」
フレデリカは一礼する。
無礼講とは言え相手が王族である以上、迂闊なことは出来ない。
「末っ子のパトリシアではなさそうだな。ああ、君が長女のフレデリカか」
自己紹介をする暇を与えず、次々と話しかけてくる。
「ふぅん、君が。なるほど、思いがけずジョバンニの本命に出会えた」
……本命?
小さく呟いたフレデリカは、胡散臭げな眼差しをウルドへと送った。
***
クルシュは、突然現れた銀髪の男を目に留め、あーあと嫌そうに溜息を吐いた。
突然ゴリ押しで食事会とか、おかしいと思ったんだよ。
よりによって王太子殿下じゃないか……。
早々に退散するのが得策だな、と退場のタイミングを見計らっていると、今度はクルシュに声をかけてきた。
「長男のクルシュだな。ジョバンニから話は聞いている。君とも一度、話してみたいと思っていたんだ」
「僕とですか? それはそれは光栄です」
「実は、君に見せたい物がある」
王太子ウルドはそう言って合図を送ると、小柄な男が護衛の間から現れる。
何か箱のようなものをウルドに手渡すと、箱から仄かに光が漏れ始めた。
驚くべき事に、この男は魔術師のようだ。
「このような場で、何をするおつもりですか?」
箱の中で魔力が凝縮され、何かの術式が動き始めた事に気付き、クルシュは王太子に詰め寄った。
光が視認出来ているのは、至近距離にいるフレデリカとクルシュだけ。
魔力の揺れを確認したクルシュは、責めるような視線をウルドに向ける。
「君は魔術師ではないが、多少知見があるんだろう? 見せてもらいたいと思ってね」
にこり、とウルドは微笑む。
「王宮の宝物庫から、こっそり持ってきたんだ。これはね、一定の魔力が集まると封じが解けて、中の魔物が飛び出す仕組みらしい」
声を潜め、クルシュにだけ聞こえるようにそっと伝える。
「実はね、何が入っているかは私も知らないんだ」
出て来てからのお楽しみだよ。
おもちゃを自慢する子供のように微笑んだウルドに青褪め、クルシュは周囲の状況を確認する。
「なんということを……!?」
この場で魔術師を切り捨てる事も頭をよぎったが、別の者がいないとも限らない。
そして箱の術式はもう動き始めている。
どうする。
箱の封じが解けた後に魔物を討伐するか、解けないように術式を無効化するか。
幸いフレデリカがいる。
討伐も不可能ではないが……。
人前での魔術利用は、父であるユルグ辺境伯の許可無しには禁止されている。
だが広間にはかなりの人がおり、狂暴な魔物が複数出てきた場合、フレデリカ一人では守りきれないかもしれない。
「フレデリカ、このまま相殺する。何かあったらサポートを頼む」
「承知しました」
すぐに戦闘態勢に入れるよう、フレデリカが身構えたのを確認するなり、クルシュが何事かを唱え始めた。
スッと目を細めると、王太子の持つ箱から薄紅色の魔法陣が宙に浮き上がる。
突如現れた紋様に、周囲から「きれい」と感嘆の息が漏れた。
魔術師が起動する魔法陣。
流れる魔力の逆方向から、同等量の魔力を流し込み、相殺しながら徐々に押し戻していく。
封じの箱に刻まれていた大量の術式が、浮かび上がっては霧のように儚く消える。
難解な方程式のように入り汲んだそれを、クルシュはひとつひとつ紐解き、上書きしていった。
額から汗が流れ、体内の魔力が勢いよく奪われていく。
隣にいたフレデリカが、ジョバンニからもらった短剣をそっと呼び寄せ、後ろ手に構えた。
薄紅色の魔法陣が次第に大きく膨らみ、外側から青白く色が変わっていく。
フードの魔術師は驚いたように身を乗り出し、上書きされていく魔法陣を食い入るように見つめた。
[[ 弾けろ ]]
全ての文様が青白く染まり、小さく息を吐いたクルシュが目を瞬かせた次の瞬間、魔法陣は淡い光の粒になって宙に溶けていく。
「……素晴らしい」
自分は無感動な人間だと日頃から周囲に漏らしていたウルドだが、この幻想的な光景に、震える手を握りしめた。
広間にいた客も皆、固唾を飲んで見守っている。
絶対に手を出すなと侯爵に小声で諌められたジョバンニは、何も出来ずただ呆然と、その光景に目を奪われていた。
魔法陣がすべて上書きされ、相殺により消滅すると、箱からガチャリと鍵が締まる音が聞こえる。
ポタリと滴る汗に気付いたフレデリカがそっと寄り添い、クルシュの身体を支えた。
「これは凄い! 隣りにいらっしゃるのは王宮魔術師様ですか?」
箱の鍵が締まったのを確認し、クルシュは大仰に叫んだ。
「このような素晴らしい光景を生きて見られるとは! 一生の宝といたします!」
広間にいた客から歓声があがり、魔術師を称賛する声で埋め尽くされる。
ウルドはクルシュの切り返しに、興味深げに目を輝かせた。
「殿下、どういうおつもりですか!?」
「……ん、ああ。いい機会だから、ユルグ辺境伯家の実力を確かめたかったんだ。仕事が出来ず出世街道から外れた落ちこぼれと聞いていたが……」
駆け寄ったジョバンニが怒りを抑えてウルドに詰め寄るが、クルシュの想定外の実力を確認し、喜びを露わにしている。
目立つことが嫌いなため、閑職でのんびりと働くつもりだったのに……。
クルシュが嫌そうに顔を歪めた。
「こうなってくると、フレデリカ嬢の実力も確認したいところだな」
一瞬、獰猛な光を宿し、ウルドはフレデリカへと目を向けた。







