18. 結婚なんかしないし
休日に、ユルグ兄妹がよく釣りをする大きな湖がある。
釣ってよし、潜って良しの超穴場だが、魔物が頓出する森の中にあるため、ユルグ辺境伯家以外の釣り人を見たことがない。
フレデリカはこの湖が大好きで、元気がなくなった時はいつも、この湖で泳ぐのが彼女の常である。
本当は今日、ジョバンニにも見せてあげるつもりだったのだ。
そして、かれこれ一時間。
日中とはいえ水温が二十度を下回る中、フレデリカは泳ぎ続けていた。
「フレデリカ、あまり泳ぐと冷えるから、もうそろそろ岸に上がったらどうだ?」
三十メートル程先で泳ぐフレデリカに、心配したクルシュが声をかける。
「あの状況でプロポーズするのは正直どうかと僕も思うが、良かったじゃないか! ジョバンニは、男の僕から見ても良い男だぞ!」
「うるさいッ!」
空気は読めませんが、とでも言いたげな様子に、フレデリカは大声で岸にいるクルシュを怒鳴りつけた。
「そんなの分かってるわよ!」
たった数日だが、真面目で優しい人柄は言動からも充分伝わってくる。
人懐っこそうに見えて、実は中央の貴族を毛嫌いしている兄が気に入っているところを見ると、裏表のない人なのだろう。
ハルフトをお目付け役兼護衛として就かせたが、いつの間にかクルシュと仲良くなり、率先して関わりを持とうとする兄の姿を見るのは初めてだった。
「風邪をひいてしまうぞ――?」
なおも心配そうに声をかけられ、うるさいわね! と睨み付ける。
街に視察に出かけた時もそうだ。
平民に勧められるまま酒を飲み、一緒に楽しく歌い踊っていたと聞いた時は、そんな中央貴族がいるのかと耳を疑った。
フレデリカだって年頃の令嬢だ。
男性に告白されたら、それは嬉しい。
ましてやあんな素敵な人に、好きになってもらえるなんて信じられなかった。
でもきっと、フレデリカのことをあまり知らないからそんなことが言えるのだ。
今までだって、飾らない自分を知れば必ず罵倒され、寄れば怖がられ、皆去っていったではないか。
フレデリカはザバンと音を立てて潜り、そのまま数十秒、水底をさらう。
何かを捕まえ、勢いをつけて水面に浮かび上がると、思い切り腕をブンと振り、クルシュ目掛けて投げつけた。
「!?」
何かが、凄まじい勢いで飛んでくることに気付き、クルシュが逃げようと体制を整えた時には、最早手遅れ。
ビッタァァン! と音を立て、大きな魚がクルシュの顔に激突する。
「イッタァァァアア!!」
衝撃で身体が浮き、もんどり打って転げるクルシュの頬に、鱗模様のアザが出来た。
「僕は、何もしていないじゃないか!」
涙目で頬を押さえ文句を言い始めたクルシュを無視し、少しスッキリとしたフレデリカは、ゆっくりと岸に向かって泳ぎ始める。
「やめ、やめろ! お前、……あ、あぶなッ」
途中、魚を見つける度に潜っては、クルシュ目掛けて容赦なくぶん投げる。
慌てて避けるクルシュの足元に、魚がこんもりと積みあがっていった。
多少の照れ隠しも入っているが、正直ただの八つ当たりである。
「私のこと、何も知らないからあんな台詞が言えるのよ!!」
こんな乱暴な自分相手に、どのツラ下げて恋に堕ちるというのだ。
「いや、結構知ってもらえた気がするんだが……」
「バカ言わないでよ! 領地内の騎士にすら怯えられることがあるのに、あんな……あんなキラキラした人が耐えられるわけないでしょ!!」
「そうかなぁ? 意外とイケると思うぞ。というより、ジョバンニを逃したらもう嫁の貰い手がいないんじゃないか?」
フレデリカ同様、浮いた話のひとつもない独身二十三歳、婚約者無し。
クルシュにアドバイスされたところで、正直何の参考にもならないのである。
普通なら爵位を継ぎ、子を為してもおかしくない年齢だが、クルシュはのらりくらりと逃げ続けている。
「意地ばかり張ってないでもっと素直に……おい、その魚を一体どうす、グハァッ」
先程投げつけた魚を拾い上げ、兄の頬を思いきりぶっ叩く、ユルグ辺境伯領の狂戦士。
ジョバンニは言うまでもないが、クルシュのデリカシーの無さも大概である。
「結婚なんかしないし! ずっとユルグ領で、のんびりと暮らすんだから!!」
キレ気味に宣言するその手元で、先程クルシュの頬を張り倒した衝撃だろうか、魚の頭がもげかけている。
「一生森の近くで暮らすんだから!」
まずは自分が結婚しなさいよぉぉッ!!
クルシュの胸ぐらを右手でガシリと掴み、ガクガクと身体を揺らす街の破落戸のようなフレデリカ。
ジョバンニにお気に入りの湖を見せられるのは、まだまだ先になりそうだ。







