17. 間に合ってます!
先程の轟音が嘘のように、森は静けさを取り戻す。
「フレデリカ、ケガはない?」
「あるわけないじゃない。お兄様ったら、心配性なんだから」
血溜まりに佇み笑うフレデリカに、クルシュはホッとした表情を浮かべる。
対峙したオーガは見事に急所を貫かれて絶命しており、口からデロリと垂れた舌は異臭を放ちながら地を舐め、グロテスクに光っていた。
そんな二人に、ジョバンニはゆっくりと歩み寄る。
フレデリカの前で立ち止まり、彼女をじっと見つめた。
「……これまで」
「はい?」
「これまで君を夜会で見掛けたことがなかったのだが……前回突然参加したのには、何か理由があったのだろうか」
「ええと……?」
突然脈絡のないことを問われ、フレデリカは言い淀んだ。
無関係のクルシュが隣で「僕が教えてあげようか」と余計な口を挟もうとするため、それ以上話したら後で覚えておきなさいとフレデリカが睨みつける。
「お兄様、絶対に言わな」
「はい、[[ 捕縛 ]]」
「むぐぐ……ん――ッ!!」
くだらないことに魔力を使う困った兄。
余計なことを言うなと怒りたいが、青白い焔がフレデリカの周りをクルリと回り、口元を枷のように囲われて上手く話せなくなってしまう。
「すぐに暴れる困った妹なんだが、半年前に初めてお見合いをした時も大暴れでね」
「お見合い!?」
「うん、もう十七歳だからな。筋骨隆々のむさくるしい男達に囲まれて魔物を狩ってる場合じゃないと、顔合わせをしたまでは良かったんだが……」
拘束されている術式を解こうと全身全霊で力を籠めるが、なかなか壊れる気配がない。
フレデリカの必死の形相に、その時の様子を思い出したのか、クルシュの頬が緩んだ。
「お見合いの席だから、二人きりになるだろ? そこで交流を深めるはずが、『令嬢なのに魔物と戦うのは野蛮だ』と言われて、激怒したフレデリカが令息の、は、腹に一撃を……ッ!!」
「令息の腹に一撃!?」
「ん――ッ!!」
あんな失礼なこと言われたら、怒って当たり前でしょ!? とフレデリカが叫ぶが、残念ながら口が開かないため、すべて「ん――ッ!!」に変換されている。
「そのまま馬車に放り込んで強制送還した挙げ句、父上に『自分より弱い方と結婚する気はない』とか言っちゃったもんだから、そんな奴いるかと怒られてしまって」
「ん――ッ!!」
「で、仕方ないから気に入った令息を自分で探せといわれたんだよな?」
「んん――ッ!!」
「ぶっ、あははは!! いくら力を入れても無駄だ。意地を張らずに素直になれば可愛いのに、だからお前は駄目なんだ」
もう、絶対に許さないんだから!!
もがくフレデリカの様子に大爆笑しているクルシュを睨みつけるが、残念ながら話をやめる気はないらしい。
「なるほど、強い男が好みだと」
「そのようだ。とはいえ、うちのフレデリカより強い男はそういない。ハルフトですら敵わないから、無理だろうなぁ」
「……それは興味深い話だ」
「?」
「ん――ッ!?」
突然何なんだと叫ぶが、やはりすべてが「ん――ッ!!」に変換されてしまう。
ユルグ辺境伯領は勿論のこと、王都でも類を見ないほど美形の侯爵令息ジョバンニ。
婚約破棄されて以来お見合いは受けていないが、ひとたび夜会に姿を現わせば令嬢達が色めき立つほどである。
そのジョバンニが胸の前で腕を組み、なんとも言えない大人の色気を纏いながら意味深な微笑みを浮かべている。
ゆっくり首を傾げ、形のいい唇から「ん?」と漏れる声は艶を帯び、同性のクルシュが思わず赤面するほどであった。
「ぷは! ……あ、解けた!?」
オーガの返り血を浴び、全身血塗れのフレデリカ。
クルシュが動揺したおかげで魔術が解け、身体が自由を取り戻す。
何故、今。
何故、このタイミングでこの話題に触れたのか、フレデリカにはまったく理解が出来なかった。
「では、自分より強い男であれば結婚してもいい、と?」
真顔で距離を詰めるジョバンニの圧に押され、じりじりと後退りながらも、いまいち話を掴みきれていないフレデリカは、勢いに任せて不覚にもコクリと頷く。
フレデリカの同意を得たジョバンニは嬉しそうに微笑むと、不意にその頬へと手を伸ばした。
「不甲斐なく歯痒い気持ちにさせられるが、君の戦う姿が好きだ」
目の下にこびりついていた血を親指で拭い取り、ジョバンニは言葉を紡ぐ。
美しく揺れる白銀の瞳を、フレデリカは呆気にとられたまま見つめていた。
「想い人がいてもかまわない。だが、いないのであれば僥倖だ」
ジョバンニは優しく微笑むと、頬を包んでいた手を離しざまスルリと上に滑らせ、小さな耳を撫でた。
「……君に惹かれているんだ。いつか、君を守れるくらい強くなってみせるよ」
「ッ!?」
先程まで元気一杯、戦闘中だったのに!?
突然のことに頭が付いていかず、フレデリカはピシリと固まったまま、ジョバンニの動きを目だけで追っていく。
ジョバンニはそのままゆっくりと膝を折り、オーガの血溜まりに跪いた。
それからフレデリカの手をとり、姫君に忠誠を誓う騎士のように、自らの額に押し宛てる。
「そして願わくば、俺の妻に」
手を額からそっと離し、熱のこもった瞳でフレデリカを見つめる。
突然のプロポーズに、先程から二人のやり取りを見守っていたクルシュもピシリと固まり、あまりのことに慄いた。
「このタイミングで? す、すごいな」
昨日の様子から、何かしら行動を起こしそうな気配はあったが、さすがにこれは想定外。
せめて片付けくらいはしてやるかと呟いて、クルシュはオーガを転送すべく、残った魔力を手の中に集めた。
横たわる死骸がなくなれば少しはムードも出るだろうとの配慮だが、いかんせん現場が血生臭すぎる。
まずは手首、そして指。
最後に本体。
クルシュは急いでオーガを転送した。
一方、フレデリカは恥ずかしさで全身の血が沸騰しそうだった。
顔が赤らむのが自分でも分かる。
これまで、フレデリカの見た目で寄って来る男もいたが、素を出すと皆、嫌悪感や恐怖を露に去っていった。
こんな貴公子然とした青年に、高貴な令嬢のように扱われ、想いを告げられるなど初めてのことである。
一瞬、揶揄われているのかとも思ったが、真剣な眼差しを見る限り嘘とは思えない。
先程触れた指先から彼の熱が伝わり、フレデリカの全身を駆け巡った。
「まっ……」
うまく言葉が出ず、代わりに肺がいっぱいになる程、深く息を吸い込む。
「間に合ってますぅ……ッ!!」
出てきたのは情けない声。
涙目のままジョバンニに掴まれた指先を引き抜き、大きく退りながらクルシュに視線を向けると、必至の形相で訴えた。
お兄様、転移! 転移させてぇぇ!!
久しぶりに見る妹の涙目に吹き出しそうになりながら、クルシュは次の瞬間、ジョバンニを転移させたのであった――。
***
魔物の解体所からまたしても、青白い光が立ち昇る。
疲労困憊の解体チームは、うんざりしながら次の魔物を待った。
今度はなんだ……?
ズズ……と音がして、浮き上がってきたのは膝まずき、何かを乞うように天に向かって手を差しのべる、下半身血まみれの貴公子。
「……なんて神々しいんだ」
思わず所長が呟いた。
貴公子の美貌も相まって、その姿はまるで彫刻のように美しい。
「……ん?」
突如見知らぬ場所に転移したジョバンニは、怪訝そうに辺りを見回し、光の中ゆっくりと立ち上がる。
その洗練された動きに、解体所の至るところから感嘆の声が漏れ聞こえた。
魔物の死臭漂う作業所に突如現れたこの美青年は、大量の魔物に辟易し、疲労のあまりささくれ立っていた作業員数名のハートを、はからずも鷲掴みにする。
彼らをあらぬ方向へ目覚めさせたことを、当の本人は知るよしもなかった――。







