10. 子爵令嬢アマンダの聴取①
「婚約破棄ってどういうことよ!?」
ルアーノ子爵家の長女アマンダは、ティーカップを投げ付けた。
熱い紅茶がかかり、メイドが悲鳴をあげてうずくまる。
「四年近くも待たされて、やっと結婚式の日取りが決まったというのに!」
いけすかないあの男に、誉めて尽くしてあともう少しで未来の伯爵夫人だったのに!
来年はもう二十歳。
貴族社会では立派な行き遅れである。
年齢に加え、今回馬車が襲撃された一件で、もうまともな輿入れ先を見つけるのは難しいだろう。
ギリギリと歯噛みしながら手当たり次第食器を投げつけ、壁や床に当たって砕ける度に、メイドが悲鳴をあげた。
婚約破棄され、アマンダは怒りが止まらない。
このままでは行き遅れて修道院行きか、父親ほど年齢の離れた男に後妻として嫁ぐ羽目になってしまう。
そんな折、ユルグ辺境伯家の嫡男クルシュが調査官として来ていると知り、見た目はまったく好みじゃないが、もうアレでも構わないと、同情を誘うべく涙に濡れた目で見つめたのに。
肉感的な肢体を持つアマンダが潤んだ目で見上げれば、大抵の男は情欲の光を目に灯すものだが、「怪我はないですね! それではこれより、聴取を行います」と淡々とした答えが返ってきただけだった。
屈辱で頭に血がのぼったところで、ふと元婚約者のジョバンニを思い出す。
爵位を継がず騎士になるなどと、ふざけたことを言わなければ、彼の妻になっていたはずだったのに。
見た目は良いが、面白味のない真面目な男……だが大切にしてくれていた。
未だ婚約もせず、仕事に没頭しているという噂を聞く度、まだ自分のことを忘れられないのかと優越感に浸る日々だった。
そうだ、ジョバンニ様がいたわ!
まだ弟に爵位を譲っていないところを見ると、私を望むが故に騎士の夢を諦めて、爵位を継ぐ気なのかもしれない。
きっと私に恋い焦がれ、待っているに違いない。
なんとかジョバンニ様とお会いする機会を、設けていただかなくては!
「わたくしは誰にもお話するつもりはありません。ですが、グレゴール侯爵家のジョバンニ様であれば、この限りではございません」
アマンダは良いことを思いつたとばかりに微笑み、クルシュに告げたのだ。
***
――そして、今に至る。
「本来であれば被害者のアマンダ様と、容疑者候補のグレゴール卿を会わせるべきではないのですが、今回は特例として許可が出ました。そのことをくれぐれもお忘れなきようお願い致します」
書記官が恭しく頭を下げる。
ジョバンニと二人きりがいいと駄々をこねるアマンダを無視し、書記官が口上を述べると、クルシュとジョバンニによるアマンダの聴取が開始される。
なぜ自分がこんなことを。
ジョバンニは、溜め息を吐いた
一方的に婚約を破棄した後、あっという間に他の男と婚約を結んだアマンダ。
それだけならまだしも、アマンダは公式な場で顔を会わせる度にサリード伯爵家の嫡男にしなだれかかり、意味深な視線をジョバンニに向ける。
これが当て付けではなく、何だというのだ。
もう少し大人になってからと思い口付けすらしなかったのに、既に一線を超えた雰囲気すらあり、自分と婚約している時から何かあったとしか思えず、それがまた裏切られたようで悲しかった。
それがなぜ、今になって。
「ジョバンニ様、本日は私の我儘を聞いてくださり、ありがとうございます」
アマンダは潤んだ瞳で、上目遣いに見上げてくる。
どこでそんな技を覚えたんだ。
頬をひくつかせるジョバンニを、クルシュが面白そうにチラチラ見てくるのがまた鬱陶しい。
「……それでは、改めて当時の状況をお聞かせください」
肉食獣のように眼を輝かせるアマンダに、クルシュは声をかける。
ジョバンニ効果だろうか、前回とはうって変わって、アマンダは殊勝にも、はいと答えて話し始めた。
「突然馬車に荒々しい男達が乗り込んできて、私とラウラ様の腕を掴み、馬車から引きずり降ろしました」
伯爵令嬢のラウラも同様に、手荒くされたようだ。
「その時、護衛達は?」
「すぐに目隠しをされたので詳しくは存じませんが、その日はサリード伯爵家の護衛が付いていました。すべて初めて見る顔です」
書記官がサラサラと調書を書き留めていく。
「その後、小屋のような場所に押し込められ、手首を縄で縛られました」
そう言って手首を差し出すと、今もうっすらと痣が残っている。
「痛くて、怖かった……!!」
これまでの聴取で彼女の人となりを知るクルシュと書記官は、震えるアマンダを冷めた目で見ていたが、ジョバンニは彼女を憐れに思ったのか眉を寄せ、悲痛な顔で寄り添っている。
「大丈夫だ。もう怖くないぞ」
眉間に皺を寄せながら、一生懸命励ますジョバンニにしなだれかかると、アマンダは儚げに涙をポロポロと零した。
ジョバンニのチョロ過ぎる様子に、クルシュと書記官は思わず顔を見合わせる。
社交界でも噂になるほど手酷い仕打ちを元婚約者から受けていたのに、すっかり同情して肩など抱いてしまっている。
「囚われの身となりましたが無体な真似はされず、しばらく経って助けが来ました。ですが婚約破棄をされ、寄る辺もなく、今やはかない身の上です。かくなる上は修道院で祈りながら生涯を終えようと思ったのですが……」
アマンダは悲しげに告げて、そっとジョバンニを見上げる。
「ずっと貴方を忘れられなかったのです……ジョバンニ様さえ御許しいただけるなら、貴方とまた人生を歩んでいきたいのです」
四年もの間、新しい婚約者との仲を公然と見せ付けておいて……。
どの口が言うかと思わずクルシュが呟くが、外野などおかまいなしにジョバンニの腕へ縋りつき、たわわな胸をそっと寄せる。
「御許し、くださいますか……?」
可愛くおねだりするようにアマンダが小首を傾げると、ジョバンニはウッと詰まって目を白黒させた。
「あ、これは危ない」
「コロリと騙されそうですね」
クルシュと書記官は、ヒソヒソしながら顔を見合わせる。
このままだとアマンダの思うツボ。
助け船を出すべくクルシュが二人の間に割り込む直前、ジョバンニはアマンダの肩を両手でガシリと掴み、身体を離した。
「すまない、思いを寄せる女性がいるんだ。君のことは、何とか良い方向にいくよう尽力するが、添い遂げることは出来ない!」
きっぱりと宣言し、頭を下げる。
おおっ!
これは面白くなってきたぞ……!
思わぬ展開にクルシュと書記官は期待に胸を膨らませ、身を乗り出して成り行きを見守った。







