1.侯爵令息、捕縛される
お読みいただきありがとうございます。
他作品と同じ世界線で書いていたため、一部改稿しました。
遡ること半刻前。
グレゴール侯爵家主催の夜会に、王太子殿下が御忍びで参加されるという噂を聞きつけ、未婚の貴族女性達は、我こそはと色めき立っていた。
そんな中、来たくもない夜会に無理やり連れてこられた辺境伯令嬢フレデリカは、ダンスホール横の軽食スペースで、ひとり毒づく。
「お兄様の婚約もまだなのに、気が早すぎるわ」
婚約者どころか恋人すらいたことがない。
十七歳という年齢を考えれば、むしろ遅いくらいなのだが、そんなものは心の持ちようである。
美味しそうなタルトにグサリとフォークを突き立て、モグモグと頬張りながら、フレデリカは誰にも聞こえないように愚痴をこぼした。
領地といえば、魔物だらけの広大な森と、小さな街ひとつ。
日々危険と隣り合わせのユルグ辺境伯家に生まれ、大自然に囲まれながらのびのび育てられた結果、休日は歳の離れた兄と釣り三昧である。
そんなフレデリカが、初めてのお見合いで某令息を叩きのめしたのは、半年前のことだった。
領地の皆で力を合わせ、命を懸けて魔物と戦っているというのに、頭でっかちのヒョロっとした令息から「令嬢のくせに魔物と戦うのは野蛮だ」と初対面で侮辱され、我慢が出来なかった。
『後は若い二お人で』と人目が無くなった瞬間、腹に一撃をくらわせ、乗って来た馬車に放り込んで速やかにお帰りいただいたのだが……。
即日破談、挙げ句その令息が大袈裟に吹聴したおかげでサッパリ縁談が来なくなり、未だに自由を満喫させてもらっている。
『自分より弱い方と結婚する気はありません』
勝ち誇って宣言したところ、父であるユルグ辺境伯から「そんな貴族令息はいない」と一蹴され、本日強制参加となった。
今宵も出会いはないものとし、次なる美味を求めて辺りを見回していたフレデリカは、ふと視線を感じ軽食スペースの入口へと目を向ける。
見覚えのあるそばかすと、人を小馬鹿にするような目つき。
お見合いで叩きのめした某令息とバッチリ目が合い睨みつけると、こちらへ向かってパクパクと口を動かした。
『ら・ん・ぼ・う・も・の』
遠目にも分かるよう唇の動きだけでフレデリカに伝えると、取り巻きに何かを耳打ちし、こちらを見ながらニヤついている。
フレデリカは手に持っていたスイーツの皿を、そっとテーブルの上に置いた。
王太子殿下が参加される夜会で、暴れるはずがないとでも思っていたのだろうか。
某令息に向かって歩き出すと、彼はビクリと肩を震わせる。
一定の距離を保つようにして逃げ出す某令息を追いかけ、二人はいつの間にか会場の先にある誰もいない庭園へと入っていった。
歩幅の差だろうか、一向に縮まらない距離にしびれを切らし、フレデリカは走り出す。
身の危険を感じ、全速力で逃げ出す某令息。
動きにくいふわりとしたドレスの裾に舌打ちしつつ、フレデリカは走りざま身体を屈め、花壇にあった少し大きめの置き石を二つ手に取った。
羽織っていたストールの端、左右に一つずつ石をくるむように括り付けると、中央を握り回し始める。
「お、お前、一体それで何をするつもりだ!」
振り向きざま後方を確認した某令息が、フレデリカの頭上で回転するストールに気付き、狼狽えたように叫んだ。
「その減らず口、二度ときけないようにしてやるわ!」
「おい、やめろ正気か!?」
逃げる速度はそのままに、後方に目が釘付けのまま恐怖に慄く標的に向かって、フレデリカはソレを投げつける。
ひゅんひゅんと風切音をたて、標的に届こうとしたその瞬間、某令息は足元の段差に躓いた。
「うわぁぁぁッ!」
その時、騒ぎを聞きつけた邸内の騎士だろうか、大柄な男が突然某令息の前方に飛び出してくる。
先端に石の重りをつけ、遠心力で回転するストールは、前につんのめった某令息の頭上ギリギリをすり抜け、大柄な騎士の下半身を固定するように絡みついた。
某令息は立ち上がり再び逃げようと、身動きが取れなくなった騎士に、縋るようにしがみつく。
「助け……ッ!!」
「ちょ、待て待て、落ち着け!!」
奥まった庭園で、闇夜にもがく、ふたりの男。
全体重がかかった騎士服が破れ、胸元のボタンがプチプチと音を立てて弾け飛ぶ。
一人は泣き叫び、一人は下半身をストールでぐるぐる巻きに固定され、鍛え抜かれた上半身を露わにしたままひた叫ぶ。
そして、その間も容赦なく迫るフレデリカ。
あと数メートル、というところで、先程の段差にフレデリカもまた躓いた。
「きゃぁぁぁああぁぁッ!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃいッ!!」
「!?」
野球のスライディングよろしく飛び込んでくるフレデリカに、某令息は恐怖のあまり、騎士に抱き着いたまま気絶する。
その上に倒れこむ形で、フレデリカはうつ伏せに着地した。
「いたたたた……」
頭を押さえながら身体を起こすと、某令息は完全に気を失い、フレデリカの下敷きになっている。
助けを呼ぶ声を聞きつけ、誰よりも早く駆け付けた不運な騎士は、巻き付くストールのせいで歩くこともままならない。
「……目を、閉じたほうがいい」
騎士の足元で体勢を変えようと頭をもたげたフレデリカへ、先程とは一転して、言い聞かせるような、落ち着いた低い声が降ってきた。
衝撃でチカチカする目を瞬かせながら、引き寄せられるように声のするほうへ視線を向け――フレデリカは、動きを止める。
スッと通った鼻筋に、整った輪郭。
長いまつげに縁取られ、少しくすんだ白銀の瞳が真っ直ぐにフレデリカを見つめている。
ビリビリに破けた騎士服は風にたなびき、腕組みをしながら仁王立ちをするその上半身が露わになり、逞しい胸筋を存分に披露していた。
着崩れているはずなのに、何故か威厳にあふれ、彫刻のように美しい。
はぁ、と困ったような騎士の溜息が、フレデリカの耳へと届いた。
某令息を懲らしめようと追いかけていただけなのに。
男性の半裸など、ユルグ辺境伯領の騎士達で嫌というほど見慣れていたはずだが、その神々しいまでの輝きに目が釘付けになる。
と、とにかく立ち上がらなければ……。
地に腕を突き、身体を起こそうとした次の瞬間、助け起こそうとしてくれたのだろうか、騎士が腕を伸ばしてフレデリカとの距離を詰めてきた。
「!? ……きゃああぁぁぁああッ!」
「今度はなんだッ!?」
人生で見たこともないほどのイケメン騎士と、半裸の組み合わせ。
間近に迫るその破壊力が強過ぎて、反射的に叫んだフレデリカの悲鳴に驚き、つられるように叫ぶ騎士。
二人の叫び声が奥まった庭園にこだまする。
そしてフレデリカは眼前に迫るその映像を最後に、許容量を超え、グッタリと気を失ったのだ。
***
――そして、今に至る。
顛末は先に述べたとおりだが、悲鳴を聞きつけた衛兵達に囲まれ、先程の騎士……侯爵令息ジョバンニは途方にくれていた。
今日は王太子殿下が参加される大事な夜会。
極秘任務を任され、邸内の警備を指揮し、油断することなく目を配っていた。
そっと目を閉じ、無言で天を仰ぐ。
足元には、しがみつき顔が見えないが、おそらく良い家柄の令息。
その上に折り重なるようにして令嬢が気を失っており、恨みでも晴らすかのように令息の髪の毛を鷲掴みにしている。
そして今、下半身をストールでグルグル巻きに固定されたまま、上半身裸でジョバンニは仁王立ちをしていた。
先程の叫び声を聞きつけ、慌てて駆けつけた衛兵達は、この状況をどう判断したものかと顔を見合わせた。
年配のベテラン衛兵達は、この不審者が当家の令息であること、また女性に無体を働くような男ではないことを承知している。
だがしかし、手柄をあげたい血気盛んな新人衛兵たちは、この限りではなかった。
――我がファラランド王国は、初代女王が定めた貴族法が、施行後二百年以上経った今も正しく適用され、これにより民の暮らしが守られている。
例え高位貴族であっても、逃れる術はない。
もはや言い逃れは出来ないぞとばかりに目を輝かせ、勝利を確信したように若い衛兵はジョバンニを捕縛したのである――。