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ベルゼブブ再来

 ウィルは家の中で夏に向けての準備をしていた。

 小さめのビンの中に植物エキス数滴と薬品を少量入れて混ぜる。次に薬品より少し多めに水を入れてビンに蓋をして軽く振る。

 ビンのフタを開けると、部屋全体に爽やかな香りが立ち込める。

「よし、うまくできた」

 お手製のアロマができて満足そうに頷く。 

「おう、人間。元気かー」

 突然、ノックもなしに勢いよく玄関の扉が開け放たれる。

「ああ、ベルゼブブさん」

 視線を移すと、上機嫌のベルゼブブが許可も得ずにズンズン家の中に入ってくる。

「今日は遊びに…ぎぐぁ…」

 嬉々とした表情が一変し、膝から崩れ落ち苦しそうに呻きだす。

「ど、どうかしましたか?」

 慌てて駆け寄り、肩を支える。

「な、なんなんだ…この匂いは…」

「匂い?ああ、さっき作った虫よけの香りのことですか」

「虫よけだ…と?い、いぎが…」

 ベルゼブブは屈強な胸板を手で押さえ、全身から大量の汗を吹き出していた。段々と焦点が合わなくなり、ついには顔面から床に倒れこんでしまった。

「しっかりしてください」

 ウィルは少し大きめの声でベルゼブブを呼び、体を軽く叩くが反応はない。

「うーん、まいったなぁ」

 立ち上がりベルゼブブを眺める。 

 二メートルはある身長に、鍛え抜かれた体。こんな大男を背負って外に連れ出すのは難しかった。

「仕方ない、怒らないでくださいよ」

 ウィルは素早く玄関の扉を開放し固定する。部屋の壁にかかっていたロープを持ち出し、ベルゼブブの両足を揃えて両足首を結ぶ。

「せーの」

 気合を入れて思いきりロープを引っ張り、ベルゼブブを引きずって外へと連れ出す。ズリズリと全身を床に擦り、あちこちぶつけて進む。外にいくにつれ草や土を体に巻き込んでいくが構っていられない。

「ふぅ、ここならいいかな?」

 ウィルは額の汗を拭いながら溜め息をつく。

 家から少し離れた草むらまで運び終え、結んだ足のロープを切る。気絶したままのベルゼブブをいったん放置して、家の中にのビンの蓋を閉め、窓を開けて換気をしに家へ戻る。

 一仕事終えてベルゼブブの元に戻っても目を瞑ったまま息を荒くしていた。

 たかだか数分で作った虫よけがここまでの威力を発揮するとは思わなかった。そもそも悪魔にまで効くとは思いもしなかった。

(この人なら僕でも倒せるんじゃないかな)

 そんな考えがよぎったが、彼を倒したら英雄になってしまう。最初から倒すつもりもないし、この平穏な暮らしを捨てるなんてことは避けたいと思い、隣で静かに目を覚ますのを待つことした。


「ああ、死ぬかと思った」

 外に出てしばらくすると、話ができるくらいまで意識が回復した。まだ本調子ではないのか、ベルゼブブは寝転がったまま空を眺めて放心状態だった。

「あ、起きました?」

 両手に水を入れたコップを持ったまま見下ろす。

「そもそも虫よけとはなんだ!俺に対する嫌がらせか!」

 顔だけを隣に立っているウィルに向けて突然怒り出す。

「嫌がらせも何も夏の山暮らしには必須アイテムなんですよ」

「あんな毒薬を平然と必須アイテムなどと言うとは。貴様は悪魔か!」

「いや、悪魔はあなたでしょう?」

「まったく。あそこまで追い詰められたのは、千年前の炎神イグニスとの戦いぶりだ」

「まあまあ、これでも飲んで落ち着いてください」

 ウィルになだめられながらベルゼブブはゆっくりと体を起こし、受け取ったコップ中の水を一気に飲み干して深い溜息をつく。

「そうか…。いや、待てよ」

 コップから口を離したベルゼブブは神妙な面持ちで何かを思いついたらしい。

「家の中に虫が入って来なければ、あの毒の香を使わなくて済むのだな?」

「ええ、まあ」

「よし、わかった。俺に任せろ」

 そう言ってベルゼブブは勢いよく立ち上がり、家の周りを走り出した。一周したところでしたり顔でこちらに戻ってきた。

「これでいいだろう」

 ウィルの横に立ったベルゼブブは腕を組み、家を眺めながら鼻息を荒くして達成感に満ちた表情をしていた。

「何かしたんですか?」 

「ふ、百聞は一見に如かずだ。さあ、家の中に入ってみろ」

 ウィルは首をかしげ、言われるがまま家の中に入る。ベルゼブブは少し遅れて顔だけを入れ、匂いが抜けていることを確認してから恐る恐る入ってくる。

「よし、すべての窓を全開にするのだ」

 家の中心まで来ると窓を指してウィルに命令する。さっきから何故かウキウキしている。

「えー。いやですよ」

「なに?ならば俺がやる!」

 渋るウィルの代わりに網戸ごと三つの窓を全開にしていく。最後の窓を開けたところで、手招きをしてウィルを呼ぶ。

 ウィルが嫌そうな顔で窓に近づくと、さっそく一匹の虫が窓からの侵入しようとしていた。が、入口手前で不自然なくらいの弧を描いて去っていった。

 それだけてはなかった。様々な虫が次から次へとやってきては逃げていき、次第に虫が一匹も来なくなった。

「はーはっはっは、どうだ。これが俺様の実力よ」

 腰に手を当てて天を仰いで高らかに笑う。

「すごい…。さっき家の周りでしてたことと関係が?」

 ウィルは窓から顔を出して周囲を見回す。すると、窓の横に丸が書いてあり、中には「べ」の文字が書いてあった。確認してみると、すべての窓に同じ印が書かれていた。

「これは?」

「それはここが俺様のテリトリーだという証だ。王の私有地を許可なく出入りは人間もしないだろう?」

 勝手にウィルの家がベルゼブブのテリトリーにされてしまった。それで虫が来ないならいいかとウィルは受け入れることにした。

「これで二度と貴様に変な虫が寄ってくることはない」

 ベルゼブブのドヤ顔が止まらない。多少言い方に語弊はあるが、初めてベルゼブブに感心した。


「おお、そうだ。ところで人間、名はなんと言う?」

「あれ、言ってませんでした?僕はウィルと言います」

「そうか。ならばウィルよ、願いを言え。ある程度のことであれば叶えてやろう」

 ベルゼブブは両手を広げて、ランプの魔神まがいなことを始める。

「どうしたんです?急に」

「今日来たのは、先日の戦が大勝利に終わった礼を言いに来たのだ。お前の助言があってのものだったからな」

「ずいぶん、律儀なんですね」

「律儀などではない。お前は俺に貴重な情報をくれた。対価に見合ったこと願いを叶えるのが悪魔だ」

「情報…。ああ、あのときの」

 ウィルはベルゼブブについた嘘を思い出した。

「別に何もいらないですよ」

 願いを叶えるといってもそう簡単には思いつかなかった。

「それでは悪魔としての流儀に反する」

「と言われても…。あ、それならさっきのあれでいいですよ」

 ウィルはポンと手を叩いて窓を指す。網戸や玄関のドアを開けても無条件で虫が家に入って来ないなんて十分な報酬だった。

「そうはいかん」

「え?」

 真面目に断られてウィルはきょとんとする。

「あれは俺がここに来れるよう自分のためにしたことだ。お前の願いにはできん」

 よくわからない理由で真剣に断られてしまった。

「じゃあ、考えておきます。それでもいいですか?」

「ふむ、突然のことであったからな。仕方あるまい。では、今日は大人しく帰るとしよう」

 少し不満そうに納得してくれた。玄関へ向かう背中は少し寂しそうに見えた。

「あと、次来る時までにその毒薬は捨てておけよ。わかったな」

 家を出る前に振り返り、そう言い残してベルゼブブは空へと去っていった。


 ベルゼブブの背中を見送り、テーブルの上に寂しそうにしているビンを見る、せっかく材料費までかけて作ったのに、このまま捨てるのはもったいない気がした。

「ま、なんかのときに使えるでしょ」

 ウィルは瓶のフタをしっかりとしめて、匂いが漏れていないかを確認する。

 更に紙袋でビンを隠し、ベルゼブブにバレないよう棚の奥にそっとしまった。

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