33話 黄昏る里 前編
十歳を過ぎた日から私の朝はいつも早く始まる。
「お父さん、お母さん、それじゃ行ってくるね」
「気を付けて行ってくるんだぞ」
「巫女様たちに失礼のないようにね」
「もう、初めてじゃないんだから平気よ。それに私だって巫女見習いなんだよ?」
父と母は心配しているが、私は巫女見習いであり既に何度も手伝いをしているのだ。
「何言ってるのよ? まだ巫女習いになってから一か月経つかどうかでしょうに」
「一か月近くやったら、もうりっぱな巫女見習いだよ? それに巫女様だって褒めてくれてるし」
「確かに褒めて下さっていたわね」
「まぁ、とにかく気をつけていくんだぞ。まだ早朝なこともあって霧も出ているだろうしな」
「はーい」
元気よく返事をした後に私は家から外へと出る。すると、外は父の言っていたように朝霧が立ち込めていた。
「やっぱり、この景色は何度見てもいいわね」
まるで雲の中にいるような気にさえなるこの光景。何度体験しても感動は絶えることはなかった。遠くの山々を見つめる。間からは朝日が顔を出し始めている。
「空を飛んだらこんな感じになるのかな。……竜神様、背中に乗せてくれないかな」
空を飛んでいる光景を想像してみる。
山の中腹にあるこの村が小さく見える。そして、見渡す限りの山々のその先には見たこともない大地が広がっており、更に海と呼ばれている青い水が……。と、そこで後ろから突然声をかけられる。
「まだ家の前にいたの? ほら、忘れものよ。あなたの分のお弁当だけではなく巫女様の分もあるんだからしっかりなさい!」
「あっ! いけない! 忘れてたわ」
慌てて母からお弁当の入った籠を受け取る。
「ほら、受け取ったなら、こんな所でボーっとしてないでサッサと行く」
「はーい」
今度も元気よく返事をした後に歩き出す。後ろでは母の小言がいつまでも続いていた。
私だっていつまでも子供じゃないんだよ? そんなに見守らなくても大丈夫なんだからね。などと思いながら歩いていくが、決して口に出そうとは思わなかった。そんなことをしてしまえば、反論された挙句に母がついてきそうだったからだ。
「――もう、大丈夫なのにな……」
だいぶ距離が離れて安心したせいか、つい心の声が漏れてしまう。すると、後方から鋭い視線を感じた。どうにも、母の耳の感度はとてもいいようだ。私は何事もなかったかのように装いつつ、小走りで進んでいく。
やがて、長い長い石畳の階段の前へと辿り着いた。この階段を上った先には、巫女様のおられる住居がり、更に上っていくと竜神様がおられる神殿がある。
あとは、ここを上るだけなんだけど、ここが一番の難所なんだよね。
斜面が急な階段を一歩一歩踏みしめながら上っていく。やがて、太陽がすっかり顔を出し切った頃には巫女様が住まう場所へと辿り着く。
「ふぅ、やっと着いたわ」
一度呼吸を整えたあと、身なりの確認をする。問題なさそうなので巫女様がおられる家の扉を軽く叩く。すると、中から巫女様の声が聞こえてくる。
「どうぞ、お入りなさい」
巫女様のおっしゃる通りに扉を開けて中へと入る。
「巫女様、おはようございます!」
「おはようございます。今日も元気がいいですね」
「はい! 元気が取り柄ですから!!」
上る時の疲労はもうないと言わんばかりに元気よく答える。
「ふふふ、若いっていいですね」
上品に巫女様が笑ってみせてくれた。その姿は、母よりも大分歳が上だというのに、逆にかなり年下に見えてしまう。知らない人から見たら姉妹に間違われてしまうかもしれない。似ても似つかないけど……。
「あ、そうでした。こちら本日の昼食になります。どうぞ、お受け取りください」
「あら、いつもありがとうございます。お母さまにもよろしくお伝えください」
「はい! 伝えておきますね!」
またも、元気よく返事をすると巫女様が微笑みながら受け取った品を台所へと置きに行く。その間に私は、いつも通り椅子に座って巫女様が戻ってくるのを待つ。
「お待たせしました。それではお勉強を始めましょうか」
巫女様は戻ってくると向かいの椅子へと腰を下ろした。
「はい、本日もよろしくお願いします!」
巫女様は、早速テーブルに置かれていた本を開きながら話し始める。
「前回お話した巫女については覚えていますか?」
「はい、覚えています! 村の女の子から巫女見習いが選ばれてるんですよね? つまり私ですね!」
「ええ、そうですね。では、その選ばれる基準については覚えていますか?」
「えーと、元気なこと……ですか?」
「ふふふ、確かに元気なことも大事なことかもしれませんね。正解は『命を慈しむことが出来るか』になります」
「……?」
首を傾げながら考え込む。
「今は分からなくても大丈夫ですよ。自ずと分かるようになりますから」
「巫女様も見習の時には分からなかったのですか?」
「さあ、どうでしたか……。何分ずいぶん昔のことなので忘れてしまいました」
巫女様は昔を懐かしむような顔をしながら答えた。
「さて、復習はここまでにして、次は竜神様について学んでいきましょうか」
「はい! お願いします」
「既にお会いしているのでお姿は説明しなくても大丈夫ですね」
竜神様のお姿を思い出す。
大きな翼に鋭い爪。口から覗く牙はどんな物でも食いちぎってみせると言わんばかりに大きく尖っていた。そのお姿を見た動物は恐怖のあまり逃げてしまうだろう。しかし、そんな容姿とは裏腹に竜神様の眼差しは慈愛に満ちていた。
「はい、とても凛々しいお姿でした」
「そうですね。しかし、そんな竜神様ですが元々のお姿は違うものでした」
「え? 元々は違うお姿だったんですか?」
「こちらを見てください」
そう言うと巫女様は開いていた本をぱらぱらと捲りこちらに差し出してくる。その本を見ると、女の子と思わしき人物とその子と同じくらいのトカゲの絵が描かれていた。
「この大きなトカゲが竜神様なのですか? それにこの女の子は一体……」
「そうです。それが元々の竜神様のお姿なのですよ。そして、こちらの少女こそが初代の巫女様なのです」
「えっ!? こちらが初代の巫女様だったんですか! 私はもっと年上の方だとばかり思っていました」
「そう思いますよね。私も聞かされた当時は驚かされたものです。その初代様なのですが、ごくごく普通の村娘でした。ただし、一つだけ他の者たちとは異なることがありました。何か分かりますか?」
「もしかして『命を慈しむことが出来る』ですか?」
「流石ですね。あなたの言う通り彼女は命を慈しむことが出来たのです。そのことに関するお話が竜神様との出会いになります」
「竜神様との出会い……」
一つも聞き逃さないようにと、より一層集中して巫女様の話に耳を傾ける。
「ある時、村のすぐ近くに大きなトカゲが傷つき倒れていました。それを見た村人たちは、気味悪がるか食料が手に入ったと喜ぶものばかりだったのです。しかし、そんな中に一人だけ心配するものがいました」
「初代様ですね」
「そうです。彼女は必死に村の者たちを説得して看病することを認めさせました。しかし、村の中での看病は認めてもらえず、大きなトカゲはとある洞穴へと移されることになりました」
「そこはもしかして竜神様がおられる神殿ですか?」
「勘がいいですね。この当時はまだ入り口が整備されていないので神殿とは呼べない本当にただの洞穴でした」
「あれ? 神殿がないならもしかして階段もないのでは……。少女はどうやって竜神様を運んだんですか? 他の人たちも手伝ってくれたんですか?」
巫女様は、首を横に振ったあとに答える。
「残念ながらそうはなりませんでした。協力したのは、少女のご両親たちのみで、そのご両親すら嫌がりながらだったそうです」
「そんな……」
今の村では考えられない行動に絶句してしまう。
「本来、人は自分たちの常識外のことはなかなか受け入れられないものですからね。当時の村人たちにとって大きなトカゲは見たことのないものだったのでしょう」
私が黙ったままでいると、巫女様が話を続ける。
「大丈夫ですよ。彼女の取った行動で他の方々の考えも変わっていきますから。では、話を続けますね」
「はい、お願いします……」
「少女は、来る日も来る日も坂道を上ってトカゲの看病を続けました。そんな日々が続く中、彼女はとうとう洞穴で倒れてしまったそうです」
「だ、大丈夫だったんですか?」
「ええ、少女は助かりました。それは当時の竜神様が村人たちを呼びに行ってくれたからでした」
「竜神様はトカゲのお姿の時からお優しいんですね」
「ふふふ、そうですね。少女の異変を知らせるために村へと下りたトカゲは鳴きながら村々を歩き回ったそうです。何事かと集まってきた村人を確認するとトカゲは坂道を上っては振り返りつつ鳴いてを繰り返したそうです。その様子を見た村人たちはついて来いと言われている気がして後を追ったとありますね」
「それで初代様が助かったんですね」
「はい、そうです。この時のトカゲの様子を見てからは誰も気味悪がるものはいなくなったそうです。また、それからは皆で看病を続けたり、階段などが作られたそうです」
「みんなと打ち解けたんですね。あれ? 看病を続けたりってもしかしてまだ傷が癒えていない状態だったんですか? それに村で看病を続けなかったのは何故ですか?」
「ええ、傷が癒えぬ状態にもかかわらず村人に助けを求めに行ったそうです。村で看病しなかったのには訳があってですね。どうにも竜神様が嫌がったそうですよ」
「竜神様がですか」
「詳細は残っていないのですが……。ふふふ、もしかしたら少女と一緒に過ごした場所がよほど気に入ったのかもしれませんね」
「竜神様にとっての大切な場所なんですね」
「さて、初代様と竜神様の出会いについてはこれで終わりになります。続いては竜神様のお姿が今の状態になった時の話をしましょうか」
「はい、お願いします!」
その後も巫女様との勉強は昼食になる頃まで続いた。
何でも村の者の中に、害獣から助けてもらったものが現れてからは感謝のお供えをするようになり、そのお供えすること自体が習慣になったとのこと。そんな日々が続く中でいつしか村の守り神と呼ばれるようになり、気づけば今のようなお姿に変化していたとのこと。
昼食を食べ終えてからは、巫女様と共に竜神様のおられる神殿へと向かった。そこでは思いもよらぬ出来事が待ち受けていた。それは――。
「たまご!? 竜神様って卵を産むんですか?」
「いえ、私も聞いたことがありません。多分立ち会うのは私たちが初めてだと思います」
私たちは、今産み落とされたばかりの卵を困惑しながらも眺め続ける。
『33話 黄昏る里 中編』は10/21(土)の午前8時頃に投稿する予定です。




