01話 紅の花 前編 (改)
小山の麓にある小さな村の一軒家に目覚まし代わりの声が響き渡る。
「あなたいつまで寝ているつもりなの?」
母の声に私は慌てて寝具から飛び起きる。
「まずい。寝過ごした!?」
窓から外を覗くとまだ日が昇り始めたばかりだった。どうやら寝坊は免れたようだ。
これは一階へ下りたらすぐに母へ感謝を伝えなければと思っていたんだけど……。
「やっと起きてきたわね。まったくいつまで寝ているつもりなのよ? そんなんで新婚生活は大丈夫なの? 流石に母さん起こしに行けないわよ?」
顔を合わせるや否や小言を早口でまくし立てられて、感謝の気持ちが霞んでいく。なので完全に感謝の気持ちがなくなってしまう前に伝えておく。
「おはよう母さん。起こしてくれてありがとうね。ところでまだ彼は来てないよね?」
「まだ来てないわよ。だから、さっさと朝食を食べて支度をなさいな」
「はーい」
テーブルへ向かうと既に父も起きており、朝食を食べている最中だった。
「おはよう、父さん」
「ああ、おはよう。どうせ今日が楽しみでなかなか眠れなかったんだろう?」
どうやら父にはお見通しのようだった。
「うっ、よく分かったね」
「ははは、俺も母さんと結婚する時そうだったからな。婚前旅行気分でうかれてしまってな」
「そうだよね。私も婚前旅行みたいだなと思ったらドキドキして眠れなくなってね」
父と盛り上がっていると、母がたしなめてくる。
「ほら、話してないでさっさと食べる。でないと愛しの彼にその寝ぐせ頭が見られることになるわよ?」
「えっ!?」
私は慌てて髪を撫でると、所々で飛び跳ねていることが分かった。
「まずいよ。父さんも気づいてたなら教えてよ」
「そういうおしゃれだと思ったんだが違ったのか?」
「もおー、違うに決まってるでしょ!」
「この人に言っても無駄よ。おしゃれというものを知らないんだから」
父と母のやりとりを他所に私は急いで朝食を食べ終える。そして、すぐさま寝癖を整えた。鏡で念入りに確認するも淡い水色の髪はどこも跳ねてはいなかった。
「よし、大丈夫そうね」
すると、ちょうど彼が来たらしく玄関の方から扉を叩く音が聞こえてくる。
「おはようございます」
「おはよう。数日間、娘を頼むわね」
どうやら、母が先に扉を開けて応対しているらしい。急いで玄関へと向かうと声の主が元気よく返事をしているところだった。
「はい、任せてください」
「お、おはよう。えーと変じゃないかな?」
髪を撫でながら言うと彼はまじまじと私の髪を見つめながら言う。
「おはよう。いつも通り奇麗だよ」
彼が満面の笑みで答えたお陰で、私の顔は彼の髪のごとく真っ赤になってしまった。そんな私たちのやり取りを見ていた母はニヤニヤと笑っていた。
少しの間、居間で父と母を交えて雑談をした後に、外に置いてある幌馬車へと乗り込む。
この馬車は、彼が用意したもので新婚生活の為の必需品を積むための物なのだ。予定としては、二日ほどかけて町へと向かい、帰りも同じだけかかるので計四日間の小旅行ということになる。
「道中気を付けていくんだぞ」
父が心配そうな顔をして言った。
「はい、何かあっても娘さんには傷一つ付けさせません」
隣に座る幼馴染の彼が頼もしいことを言ってくれた。
「普段から山賊や獣は出ないから大丈夫だよ」
私も彼に続くように言った。
「予定日までには帰ってくるのよ?」
今度は母が結婚式の予定日までには帰ってくるようにと念を押してきた。
「予定通り四日で帰ってくるつもりだから大丈夫だよ。それに予定日は帰宅から二週間後なんだから多少の誤差があっても平気だよ」
母は私の返答に納得してくれた。そして、両親に見送られながら私たちを乗せた馬車は村を旅立つ。
村を出発してからしばらく経った頃、平野ばかりだった景色に色鮮やかな絨毯が広がっているのが見えてくる。
「わぁー、凄い綺麗な花畑。丁度時間もいいことだしここで昼食にしましょう」
私の言葉を聞いた彼は、大きく頷いて馬車を花畑の前で停車してくれた。私たちは花の香りと共に会話を弾ませながら昼食を楽しんだ。ただし、その昼食は母による手作りの品だった。
予定通り起きれていれば、これ私の手料理なんだよとか言えたのに……。
色鮮やかな絨毯に腰を下ろし晴渡る空を見上げていると、彼が頭に一凛の紅の花を乗せてくれる。
「キミの髪の色に似合うね」
彼が少しだけ頬を染めながら言うので、私も何だか気恥ずかしくなってしまう。しばらくの間、お互い見つめ合ってしまったが、私から先に口を開く。
「ありがとう、この花大切にするね」
頭の上の花にそっと手を触れながら満面の笑みで答えて見せた。そんな私の渾身の笑みを受けた彼は更に顔を赤く染めながら返答する。
「喜んでくれたみたいで良かったよ」
その後、彼と座りながらただただ美しい光景を眺め続けた。この幸せがずっと続いていくことを噛み締めながら――。
辺りが色鮮やかな紅に染まる頃には、宿場町に到着した。
宿屋は空いているらしく、すぐに部屋を借りることが出来たのは僥倖だった。ただ座っているだけだった私はともかく、御者を担ってくれた彼が休めないとあっては申し訳なかったからだ。
そんな訳で夕食を済ませた後は、早速借りた部屋の中へと入った。その部屋の中にはベッドが二つあり、質素ながら清潔な部屋になっていた。
寝具に腰を下ろした後に、私は頭に乗っていた思い出の品を持ってきていた本にそっと挟む。彼は照れくさそうにその様子を見守っていた。
その後は、それぞれ寝転がりながら「明日町に着いたら絶対にクッションを買うよ」などと冗談まじりに話していたのだけれど、疲れと先日寝るのが遅かったせいかいつの間にやら眠ってしまっていた。
翌朝目覚めると、丁度彼が水を入れた桶を運んできてくれたところだった。
「おはよう。よかったらこれを使って」
「おはよう。うん、ありがとうね」
お礼を言うと、彼は少しの間席を外すことを告げて部屋の外へと出て行った。これから体を拭うので気を使ってくれたのだろう。
いてくれても良かったんだけどなと思ったが顔が熱くなるのを感じたので、そこで思考を停止し無心で体を拭った。
その後身支度を終えた私たちは早々に宿を後にした。
時折雲が見える空を眺めてみたり、彼と何気ない会話をしたりと町までの時間を楽しく過ごしていたのだが、町が見えてきたとたんに一騒動起きてしまう。それは――。
「邪魔だ! 退け!」
何事かと思い、声のしてきた後方を見ると一台の馬車がものすごい速度で駆け抜けていく。そして、その進路上にはこちら側へと向かって歩いてくる一人の姿があった。
「このままだとぶつかるんじゃ……」
彼が推測を口にした。
「危ない! 避けてー!!」
私は無我夢中で叫んだ。だが、私の叫びは空しく、馬車は前方を歩いていた人の姿を飲み込んでいった。
「そんな……」
私が悲痛の声を漏らしていると、馬車が走り去っていた砂煙の中から一人の影がおぼろげに見えてきた。彼に目くばせをした後に慌てて人影へと駆け寄り声をかける。
「大丈夫ですか?」
私が声をかけた相手は、目深くローブを被った男だった。
「大丈夫だ……」
彼はそう答えると森林の方へと立ち去って行った。
どうやら寸前のところで避けられたみたいだ。本当に良かった。
彼が助かったことを二人で喜びながら再度町を目指して幌馬車は進み始める。
町へ着いた時には、ちょうどお昼時になっていた。
なので、何かいいお店はないかなと二人で見て回っていると彼がおしゃれな飲食店があることに気づいてくれた。
その店は、全体的に白色を主とした清潔感あふれる装いになっており、外には仕切りで区切られた空間にテーブル席がいくつか置かれていた。
早速、私たちは外のテーブル席で食べることにする。
渡された品書きを見ると、どれもこれも村では食べたことのない物ばかりで困惑してしまった。
なので店員の方にどんな物なのかと尋ねてみると色々と親切に教えてくれた。その序に、実はこのお店が王都で人気の店の二号店である上に、先月開店したばかりだという情報まで教えてくれた。
親切な店員さんには感謝してもし足りない。それにしても、小旅行で流行の最先端の味も堪能できるなんて何て幸運なことなんだろう。
しばらくの間、彼と楽しい会話を弾ませていると注文した料理が目の前に届いていく。
初めに置かれたのは彼の物だった。それは、小麦粉と塩を練りこみ、細長く切った後に茹でられたもので、ソースや野菜が絡められていて何とも美味しそうな匂いを放っていた。
次に私の前に注文したものが置かれた。芋や塩などを混ぜ合わせて小さく丸めて茹でたものが、白いスープに浸かっていた。またその上にはチーズが振りかけられていてとても食欲を掻き立てられた。
早速食べてみると、丸いものは程よい弾力があり、スープの濃厚なミルクの味が口の中に広がっていく。
「すごい美味しいね。とっても幸せな気分だよ」
「そうだね。こんなに幸せを味わっていいのかな」
そう言いながらも、彼は食べ進めるのを止めなかった。彼があんまりにも美味しそうに食べているので、そちらの味も気になった。なので、少しだけもらうことにする。
「少しもらうね」
皿の上のものを巻き取り、口に頬張る。絡まったソースから程よい酸味と旨味が感じられた。
これは今度作ってみようかな。などと考えながら味わっていると彼の視線に気づく。こちらを見ながら笑っていた。一体私はどんな顔をしていたのだろうか。
「お返しにこれあげるね」
私が頼んだものを彼の口の中へと入れる。彼はそれを味わうと、とろけた様な表情をした。どうやら、こんな顔をしていたらしい。私も思わず笑ってしまう。
昼食を終えると、私たちは家具屋へとおもむき必要な家具を購入した。受け取り自体は明日にしたので、少しだけ時間が余ってしまった。なので、そのまま雑貨屋へと向かう。
二人でそれぞれ好きなものを見て回ろうってことになったんだけど、何故か私たちは同じ商品の前へと来ていた。
「もしかして……」
「欲しいものってさ……」
「「クッション?」」
どうやら欲しいものが被っていたらしい。二人して笑ってしまい、店内には私たちの声が響き渡った。
(馬車に乗ってる時、お尻が痛かったんだよね。まさか、彼まで同じものを欲しがってるとは思わなかったよ)