10話 黒霧 前編 (改)
俺が暮らしている王都には、他の国にはない変わった場所がある。それは催し用の神殿のことだ。
神殿は、俺が生まれるよりはるか以前からある物で、一階の広間には、神の姿を模したと言われている像が安置されている。その広間は主に、王族が婚姻や子を生んだ時に神へと報告する場として用いられるもので、王族と極一部のものを除いて立ち入りが禁じられていた。王族の一員である俺も、像を見たのは数えるほどしかなかった。
一方で、広間への扉を通らず、階段を上った先――二階はというと、年に一度以上は訪れていた。その理由は様々だが、総じて言うと催し物を行うためだった。
そんな二階には、いくつかの部屋があり、その内の一つがバルコニーに面していて、そこから国民たちに向けて演説や習わしなどを行うことになっていた。そして、何事もなければ、俺が次に訪れるのは戴冠式の日となるはずなのだが……。
俺は、朝から机に向かって執務をこなしながらも、二つの事柄について懸念していた。そのうちの一つは、父王が病に伏せていること。そして、もう一つの懸念はと言うと、俺の兄にあたる第一王子についてだった。
俺はこの国の第二王子なのだが、兄とは昔から仲が悪く、何かと邪険にされてきたのだ。その発端は、母上が俺を産む時に亡くなったのが原因らしいが、今となっては思想の違いによるものへと変わっていた。
扉を叩く音が聞こえてきたので、入室を許可すると気心の知れたメイドが入ってくる。
「失礼します。殿下、お茶をお持ちしました」
「ありがとう。早速いただくよ」
俺は差し出されたお茶を口にした後に、年若いメイドへと顔を向ける。
「いつ飲んでも君の入れてくれるお茶は美味しいね」
「ありがとうございます」
「ところで、最近なにか変わったことはあったりするかな?」
「最近……ですか?」
「ああ」
「そうですね。最近ですと、戴冠式が近いこともあって城下町が凄く賑わっているんですよ」
「そうなのか。それはぜひとも、この目で見てみたいものだな」
「機会があればぜひ、見てみてください!」
メイドは、楽しそうな表情を見せたあとに、顔色が暗くなっていく。
「どうした? 何か困りごとでもあるのか?」
「えーっとですね。殿下……戴冠式は問題ない……ですよね?」
「ああ、今のところ問題は起きてはいないな。陛下の容態が気になるところではあるが……」
「あ、いえ、陛下の容態も気にはなりますが……」
彼女の言いたいことは、どうやら兄上が何かしでかさいないかと言うことだったようだ。今のところ、兄上は暗殺などの物騒な動きを見せていないので彼女を安心させてあげる。
「兄上は、今のところ大人しくしているそうだから安心していい」
「そうなんですね。それでは、殿下の戴冠式楽しみにしてますね」
彼女はそう言いながら、明るさを取り戻した。
彼女には安心していいと言ってはみたものの、実は一つだけ気になる報告を受けていた。それは、薬師を呼ぼうとしているということだった。もしかしたら、父上の病を直して、その功績で自身が王になろうとしているのかもしれない。
だがしかし、父上が存命ならばその野望も叶うことはないだろう。兄上はあまりにも民のことを無下にしすぎるのだから。
俺は執務を終えた後、城の外へと出るために隠し通路がある中庭へと向かっていた。
久々に城下町へと出るが、孤児院の皆は元気にしているだろうか。などと考えていると、中庭を警備している兵士に呼び止められる。
「殿下、執務はもう終わったのですか?」
「ああ、朝の内に一通りはな」
「そうですか。流石は未来の賢王と称えられるだけのお人、仕事が早いですね」
俺を小さい時から知る兵士が、冗談を言ってきた。
「知ってるだろう? それは賢いからではなく人々の感謝からきている言葉だということを」
「ええ、勿論存じ上げていますよ。陛下が床に伏せられてしまってから尽力していることも、年々治安が向上していることも含めて全てをですけどね」
兵士は、さらに付け加える。
「それと、これから城下町へと赴こうとしていることもです」
「流石だな。貴殿の先読みの力こそ、賢王と呼ぶのにふさわしいかもしれないな」
冗談を言うと兵士が噴き出す。と同時に俺も噴出した。
「殿下は冗談がうまいですね。妹がこちらに来るかもと言っていたのを予測してましたね」
「ああ、当然だろう。何年の付き合いになると思ってるんだ」
朝にお茶を届けにきたメイドはこの男の年の離れた妹であり、よく妹の自慢を聞かされていたのだ。
「ところで、殿下。今日もお一人で行かれるのですか?」
「ああ、そのつもりだが……。それがどうかしたのか?」
「いえ、戴冠式も近いし何かあったらと思いまして……。それに万が一殿下の身に何かあったらこの国は……。っと失言でしたね」
「ふむ。何者かが襲ってきても負けるつもりはないが、分かった。用心しておこう。それとさっきの失言は聞かなかったことにしておく。では行ってくる」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
俺は兵士と別れた後に、中庭の隅にある彫像へと向かった。その彫像の裏には石畳に偽装した跳ね上げ式の隠し扉があり、そこから地下通路へと下りることが出来るためだ。
「相変わらず暗いな」
地下へと下りると暗闇が広がっており、明かりなしにはまともに歩けたものではなかった。故に、用意していたランプをかざしながら突き進む。
「魔法が使えればいいのだがな……」
俺には魔力というものがないらしく、魔法で明かりを灯すことが出来なかった。そんな俺とは対極的に、兄には魔力があり水魔法の才能まであった。時々、そんな兄の力が羨ましく思ってしまう時があった。
長い道を進んでいくと、二股に分かれている分岐路へとたどり着く。この分岐路は、神殿と城下町にある商会、それぞれに続いている道であり、今回は商会へと続く左の道へと突き進んで行く。
しばらく歩いていると、行き止まりが見えてきて、もうすぐ商会が近いことを示しめていた。
報告では聞いているが、商会の連中は元気にやってるだろうか。
商会へと繋がる梯子を登っていき、倉庫へとたどり着く。
今いる商会は、表向きは普通の商会となっているが、実は秘密裏に国が運営しているもので、他国の情勢などを探るためのものとなっていた。
「ぼっちゃん、今日もいらしてたんですね」
倉庫を歩いていると商会の一員、もとい偽装した兵士が声をかけてきた。
「ああ、さっき来たところだ。このあと少し出かけてくる」
「了解です」
俺は商会の者と別れた後、変装をして商会の外へと繰りだした。
メイドが言っていた戴冠式の影響はどれほどのものかと思いながら、町をぶらつくが、予想を上回る賑わいを見せていた。
(これほどのものとは……実際に見てみなければ分からないものだな)
戴冠式の準備などで、城下町に出るのは先月ぶりとはいえ、町はすっかりと様変わりしていた。数多の店には、戴冠式に因んだ物が並び、道には飾り付けなどもされているところがあったのだ。
「これは、土産によさそうだな」
俺は、焼き菓子屋で気になるものを見つけたので中へと入る。
「いらっしゃい」
「店主、この王冠のような焼き菓子を四つほど頂きたい」
「これですね。以前からあったのですが、戴冠式が近い影響か、今一番人気になってるんですよ」
「そうだったのか」
てっきり戴冠式に因んだものだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。私の知見は、やはり俗称とはほど遠いいようだ。
「ありがとうございました」
店主から釣りと二つの紙袋を受け取り、店の外へ出ると昼食時になっていた。
(もう昼時か。どこかで昼食を済ませてから孤児院へと向かうとするか)
歩み始めようとすると、俺の目に困っている女性の姿が映り込む。
困っている民を、見捨てる訳にはいかないなと思い、声をかけにいく。
「失礼、お嬢さん何かお困りですか?」
「え? えっと、困りごとと言いますか、探し物が見つからないと言いますか……」
『淡い水色の髪』の女性から、何とも歯切れの悪い答えが返ってきた。
「良ければ俺に言っていただけませんか? 何か協力出来ることがあるかもしれないですし」
「そうですか。ではお言葉に甘えさせて頂きますね。この王都に『小麦粉と塩を練りこみ、細長く切った後に茹でたもの』を出す飲食店はありませんか? 以前、別の町で食べた物が美味しかったので、本店はそれ以上なのではと思って探していたんです」
「確か別の町にも出店したと噂になっていた店が、その様な物を作っていると聞きましたね」
「そ、それです!」
女性は、目の色を輝かせながら言った。その店の料理は、目を輝かせるほどうまいものなのだろうかと思い、興味が湧いてきた。
「それなら、俺も昼食がまだなので直接案内しますよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
俺は、彼女がご所望の店へと案内した。
「ここですね」
「ここが本店……」
俺たちは店の中へと入っていく。
「いらっしゃいませ、本日は二名様ですか?」
「そうです」
俺は、受け答えた後に店内を見回す。昼時もあってかどの席も埋まっているようだった。これは、だいぶ待つことになるなと思った矢先、店長と思しき人物が声をかけてくる。
「これは、お坊ちゃま。お久しぶりです。本日は飲食をなされに此方へいらっしゃったんですか?」
初めは分からなかったが、店長は以前、城の料理人として勤めていた者だった。
「久しいな。店を出したとは聞いていたが、まさかこの店だったとはな」
「知らずに来られたんですね」
「ああ、たまたま出会った此方のお嬢さんが、この店を探していてな」
「なるほど、そうでしたか。では、二階の部屋へとご案内致します」
どうやら、店長は気を利かせて貴賓室へと案内してくれるようだ。
「すまないな」
俺たちは店長の案内のもと、二階にある貴賓室へと入った。
「メニューがお決まりになりましたら、其方のベルでお呼び出し下さい。それでは、どうぞごゆっくりとお寛ぎください」
そう言うと店長は部屋から退出していった。
「あ、あの、こんな豪勢な部屋大丈夫なんですか?」
女性は困惑しながら尋ねてきた。
「ええ、大丈夫ですよ。それと代金はこちらでお支払いしますよ。その代わりと言っては何ですが、旅の話を教えてくれませんか?」
女性はローブを羽織っていたことからも、旅をしてきたのだろうと思い提案してみた。
「そんなことなら構いませんが……。でも本当にいいんですか?」
「気にしないでください。それと、商いをする身としては情報は何よりも価値があるものなんですよ」
「そうなんですね。分かりました」
女性は、まだ納得がいかなそうな顔をしていたが渋々と承諾してくれた。
「さて、話の前に先にメニューを注文してしまいましょうか。部屋の外では、店の方が待っているはずですしね」
「あ、そうですね」
俺と彼女は、それぞれメニューを見る。
「か、海鮮の物まであるなんて! 前のお店ではなかったのに!!」
メニューを見ていたはずの彼女が、驚きの声を上げた。
「ここから南へ行ってすぐに漁港があるからですね」
「あっ、すいません。大きな声を出してしまって……」
彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「ここには、他の方はいないから大丈夫ですよ。それよりメニューは決まりましたか?」
「そうですね。折角ですから、この海鮮の物にしてみます」
「俺もそれにしてみますね」
メニューも決まったので、俺はベルを鳴らして店員を呼んだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「この海鮮の物を二つお願いします」
「畏まりました」
そう言って、店員は退出して行った。
「さて、注文の品が届くまでの間、先程も言いましたが旅の話を聞かせてくれませんか?」
「はい、分かりました。では、お話ししますね――」
彼女は、いくつもの町や村を渡り歩いているらしく、様々な話をしてくれた。その中でも特に興味深かったのが、教会のある町の話だった。
「聖人か……」
彼女も聖人を見たわけではなかったので、詳しくは知らないようだった。だが、俺はその言葉をどこかで知っていた。
以前、王家の秘蔵する本を見たときに目にしたような……。
「こんな話で大丈夫でしたか?」
「ええ、凄く価値のある話でしたよ」
俺は、彼女の不安を払拭するように満足げに答えた。実際、想定していた以上の情報が聞けたので、こちらが頭を下げたいくらいだった。
それにしても、こんなか弱そうな女性が旅とは一体何があったのだろうか。先程の口ぶりから誰かしら同行者がいるのは間違いなさそうだが……。いや、気にするもの無粋か。などと考えているとノックの音が聞こえてくる。
「どうぞ」
「失礼します。こちらがご注文の品になります」
テーブルの上に注文の品が並べられていく。
「ご注文の品は以上になります。それではごゆっくりどうぞ」
店員は、言い終えると会釈をして退出していった。
「それでは頂きましょうか」
「はい!」
彼女は、目を輝かせながら待ってましたとばかりに食べ始めた。
俺も彼女に倣って目の前の料理に手をつけていく。
俺たちは昼食を食べ終えた後、店の外で別れの挨拶をすることになった。
「今日は色々と有難う御座いました」
彼女は、深々と頭を下げながら礼を言ってきた。
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。お陰様で中々に興味深い話を聞くことが出来ました」
彼女と別れた後、俺は孤児院へと向けて歩いていく。