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マクガフィンの行方  作者: 阿久井浮衛
Chapter 1

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4

「はぁ,そうですか……ってええぇっ!?」


 漫然と相槌を打ちかけた奏ちゃんは,一瞬間を置き無遠慮に驚く。大仰なリアクションは普段からだけれど,今回ばかりは無理もないように思えた。声にこそ出さなかったものの,わたしもまじまじと高杉さんを見返す。


 パーマをかけているのかふわっとウェーブしたセミロングの髪は,かなり明るめのアッシュベージュの色調と相まって軽く柔らかい印象を作り出している。元々目鼻の輪郭がはっきりしているおかげだろう,やや濃いめのメイクも本来の顔立ちが持つ魅力を引き立たせているし,オフショルダーにガウチョパンツという服装も彼女の雰囲気と合っている。土井さんがフェミニンでかわいい雰囲気なら,高杉さんはきりっとした美人といったところか。少なくとも男性との出会いの機会に恵まれていることだけは想像に難くない。


「……岡部さんと,お付き合いされているんですか?」

「含みのある言い方だねぇ。ま,気持ちは分かるけれどさ」


 まるで気を損ねた様子もなく高杉さんはからからと笑う。さばさばしたその口調は底意地の悪そうな岡部とは正反対で,わたしと奏ちゃんは顔を見合わせた。


「言ってしまえば腐れ縁よ。出会ったのが高校を出たばかりで何も知らない時だったから,巡り合わせが悪かったのね」


 お姉さんみたいな恋愛はしちゃだめだぞー,と冗談めかしながら高杉さんはわたし達の脇を通り過ぎる。


「一応手綱取るためにくっついて来たんだけれど,それでもあいつ嫌なことを言っちゃうと思う。だから先に謝っておくね」


 高杉さんは唇を「ごめんね」と動かしながら小さく首を傾ける。その仕草一つにしても,厭みがなく艶やかだ。


「いえ……」


 複雑なこちらの心境を知ってか知らずか,高杉さんは曖昧に微笑み階下へ下りていった。


「……うそだぁ」


 呆然と奏ちゃんの口から零れた呟きは,わたしの心持も代弁していた。


「えぇ? あんなに気さくで美人なのに……。絶っ対,釣り合ってないですよね!?」

「こらこら,あんまり人様の関係に口出しちゃだめだよ」


 口では奏ちゃんを諫めたものの,内心全く同じ感想を抱いていた。土井さんへの発言を踏まえる限り,岡部が根本的に女性に対する敬意というものを持ち合わせていない人種であることは間違いない。いくら恋人といえどその態度は中々改められるものでもないだろう。それでは愛してその醜を忘れたのかと言うと,高杉さんの口調からはそれも当てはまらないように思える。


 話している声が聞こえたのか,右手の階段側から数えて1つ目の部屋の扉が開き松本君が出てきた。


「あ,松本先輩。もう荷物解いたんですか?」

「いや,置きっ放しでまだ解いていない。そんなに多くはないし後でも大丈夫だろう」

「随分手前の部屋を選んだね」


 わたしは廊下奥に目を向けた。2階の廊下は階段に対して水平の向きに長い。30メートル弱はあるだろうか。突き当たりの壁には扉が見え,廊下はそこから右手に伸びているようだ。廊下を上から見ると,逆向きのL字のような形をしていることになる。部屋数は左手が3つ,右手が3つ。見通せないけれど,一ノ瀬さんの話を踏まえると突き当りの部屋の隣辺りにもう1部屋あるのだろう。ここから見える範囲で扉が開いているのは4つだ。松本君が今出てきた部屋を除けば,正面と左奥の扉が閉ざされている。


「一応,他の空いている部屋もいくつか確認してみたんだけれどね。基本的な間取りは共通しているみたいだったから。左手の部屋はどこもベランダに通じているらしい。天体観測したいならそちら側がいいんじゃないかな」

「廊下を曲がった先にも部屋があるんだよね」

「1つだけ。埋まっているみたいだけれど」

「うーん,どこにしましょうかね?」


 奏ちゃんは松本君の部屋の反対側,左手一番前の部屋を覗き込む。広さは約5メートル四方で右手にベッド,左手の壁際にはドレッサーとクローゼットが設けられている。ベッドの脇にはサイドテーブルがあり,引き出しに鍵が収められているというのはこのテーブルのことだろう。照明はペンダントの他に,ブラケットが2つと卓上スタンドが1つ置いてある。カーテンは深い臙脂色で,全体的に落ち着いた雰囲気だ。部屋の奥手には大窓があり,その向こうにベランダとコテージ前の景色を望めた。


「わぁ,素敵。わたしここにしようかな」


 奏ちゃんは部屋に踏み入ると窓を開けてベランダに顔を出す。その間松本君は自分の部屋に錠を下ろし短く言った。


「下りて食材運んでおくよ」

「あ,うん。わたし達もすぐ行く」


 頷くと松本君は一足先に階段を下りていく。奏ちゃんの方はというと,どうやらこの部屋に泊まることを決めたらしく,ベランダに出て隣室の方へ進んで行ってしまった。


 奏ちゃんの隣の部屋に荷を解くと,わたしはデジカメを片手に廊下へ出た。いくつか空いている部屋の中を伺ってみたのだけれど,松本君が言っていた通り部屋の間取りはほとんど同じらしい。廊下や各部屋の様子など資料用の写真を一通り撮り終えてから,奏ちゃんに声をかけ共に階下へ下りた。


 階段を下りホール側の扉から応接間の様子を伺うと,既に大量の空き缶や空き瓶の類いは片付けられていた。一ノ瀬さんと土井さんはもちろん,高杉さんや松本君の姿もない。


「どこにいるのでしょうね?」

「キッチンじゃないかな。そろそろ夕飯の支度をした方がいい時間帯だろうし」

「キッチンの場所はどこでしょう? 勝手に歩き回るのは気が引けるんですけど」

「あー,確かにねぇ」


 迷いながらも応接間を正面玄関の方へ抜ける。キッチンが食堂から離れた場所にあるとは思えなかったし,食材を運び終えていないなら先にそちらを手伝うのが良いように思えたからだ。


 ちょうど応接間を出た時,正面玄関の扉が開いた。


 てっきり松本君か一ノ瀬さんあたりだろうと思い振り返ると,そこには見覚えのない男性が立っていた。ほとんど無表情だけれど,眼鏡の奥の少しだけ見開いた目から向こうも驚いていることが伺える。紺のポロシャツがところどころ濡れていた。


「あ,えっと......わたし達はQ大ミス研の者なんですが,一ノ瀬さんのお知り合いですか?」

「......まあ,知り合いと言えば知り合いになるのかな」


 その人は何故か苦笑いを浮かべ,大仰に肩を竦めてみせた。その仕草の意図が読み取れず,必死に参加者リストから候補を探る。


「えと,K大の頃一ノ瀬さんと同期や後輩だったりした方ですか?」

「あ,いや。どちらかというと僕はミステリ同人Fの方かな。事前に名簿貰ってない?」


 そう言われてわたしはほとんど反射的に「ああ!」と頷くと同時に,彼が苦笑した訳にも理解が至った。主催のサークルとはいうものの,同人Fからの参加者は一ノ瀬さんを含めて3人だけだ。またわたし達と同じくQ大の学生でありながら学外サークルに所属しているということもあって印象に残っていた。名前は尋ねるまでもない。


「じゃあ,あなたが……えっと」

「呼び捨てでも何でもいい。今年K大からこっちの院に移ってきたばかりだから,Q大生って意味では君達の方が先輩だろうし」

「……鳴海さんは,一昨日から滞在しているんですか?」


 それでも,さすがに目上の人相手に呼び捨てはまずいだろう。そう考え敬称は省略しなかったのだけれど,言葉通り呼び方などどうでもいいのか鳴海さんはふいとホールの方を見遣った。


「僕は昨晩から。それより,大悟がどこにいるか分かる?」

「わたし達もちょうど探していたところなんです,さっき部屋に荷物置いてきたばかりで。一ノ瀬さん,夕飯の準備するようなことを言っていたので多分キッチンかどこかにいると思うんですけれど」

「そう」


 鳴海さんは短く淡泊に応える。背格好こそ似ているものの一ノ瀬さんと違って声のトーンは低いし,表情の変化も大分希薄だ。随分取っつきにくいというか,会話の間が取りにくい人らしい。眼鏡の有無や表情の明暗などの違いでこうも対照的な印象を受けるものなのかと驚いた。


 言葉に窮していると食堂の奥の扉が開き,一ノ瀬さんと土井さん,松本君の3人が出てきた。土井さんがいち早くわたし達に気付き明るい声を上げた。


「あ,鳴海君だ。戻ってきていたんだね」


 鳴海さんは言葉ではなく,ぺこりと会釈してそれに応じる。いつもこの調子なのか土井さんもそれを気に留める様子はない。


「長いこと歩き回っていたみたいだね,朝から出ていたんでしょ?」

「初めは昼前に戻ってくるつもりだったけれど,オオミズアオとか珍しい昆虫を見つけたせいでいつの間にか童心にかえってしまったみたいです。雨が降り出さなければもっと遅くなっていたかも」

「もう降り出したのか。残りの食材運び込まないとな」


 一ノ瀬さんはそう呟いて,注目を促すように一同を見回した。


「人数も揃ってきたところだしそろそろ夕飯の支度を始めたいんだけれど,皆手伝ってもらってもいい?」

「悪いけれど僕は除いてくれるか? 足手纏いにしかなれそうにないから」

「右に同じく。残りは運んでおきますけど」


 鳴海さんの言に続き松本君も手を挙げる。2人が戦力にならないことは織り込み済みだったのか,一ノ瀬さんは「OK」と苦笑しつつ松本君に車のキーを手渡した。


「鍵締めお願い。食材運び終わったら好きに過ごしてくれていいから。夕飯できたら声かけるよ」

「合宿期間中の食料まとめて買ってきたんだっけ。量多いなら僕も手伝おうか?」

「お願いします」


 松本君と鳴海さんの2人は玄関を出て,ぱらぱらと鳴る雨音の中へと駆け出てゆく。その際垣間見えた外の様子を見る限り,確かに雨脚は止む気配がなく今まさに振り出したばかりといった様子だ。2人を見送ると一ノ瀬さんは「さて」と両手を合わせわたし達に向き直った。


「それじゃあさっそく始めますか」

「キッチンってこの奥ですか?」

「そうだよ。っていうか,そういえばまだちゃんと案内してなかったね」

「お構いなく。あ,勝手に写真撮っちゃっているんですけれど大丈夫ですか?」

「いいよいいよ。好きに見て回ってもらう方が僕も手間が省けるし」


 一ノ瀬さんと土井さんに続き,わたしと奏ちゃんはキッチンへ足を踏み入れた。キッチンは白いタイル貼りで横に長い。奥行きが7,8メートルほどなのに対し,横幅は5メートルはあるだろうか。右手奥には食堂とは別の,おそらくホールに通じていると思われる扉が見えた。2つの扉の間には作り付けの白い食器棚があり,キッチン中央のステンレス製の作業台を挟んで反対の壁際にはコンロ,オーブン,調理台,シンク,冷蔵庫が並んでいる。その冷蔵庫のドアを開き,中を整理しているらしい高杉さんがわたし達に気付き振り返った。


「あれ,残りの食材取りに行ったんじゃないの?」

「鳴海が戻ってきたから,そっちは松本君と2人に任せることにした」

「生もの多い? あの馬鹿,考えなしにビール入れているからスペースないんだけれど」

「取り替えていいんじゃないかな。多分,皆そんなに飲まないよね」


 冷蔵庫を覗き込みながら一ノ瀬さんは食器棚の方を指差す。わたし達は包丁やボウルやらの調理器具を取り出し,夕食の準備に取りかかった。

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