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マクガフィンの行方  作者: 阿久井浮衛
Epilogue

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25/26

4

 松本君の回答に鳴海さんは嗤いを潜め訝し気に見返していたが,


「君もそう考えていることが分かって良かったよ」


 と憮然とした声で言い残すと部室から立ち去った。


 残されたわたしは呆気なく帰っていった鳴海さんを意外に思う一方,突如得体のしれない隣人と化した松本君から離れ出入り口へにじり寄る。


 大丈夫,まだわたしが来てから10分と経っていない。外からはテニスサークルの学生達の声が聞こえてくる。大声を出せば助けを呼べるし,松本君もそのリスクは分かっているはずだ。


 思わず,ぎゅっと肩から提げたバッグの持ち手を握った。


 松本君は鳴海さんの出ていった出入り口に目を向けていたが,ふぅと溜め息を吐くと部室のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ始めた。


「出頭してくれるみたいで良かったね。少なくとも,鳴海さんが刑期を終えて出てくることになったとしても僕達の身の安全は保証されたと言っていい」


 え......どういうこと?


 表面的には微塵もそんな風に見えなかったけれど,本人としてはそれなりに緊張していたらしい。肩の荷が下り口調が明らかにそれまでより砕けている。発言の真意が分からなかったこともあるけれど,一仕事終えてリラックスしているかのような態度に拍子抜けした。


「......松本君は,意識があるかどうか確かめるために,人の首を切ったりなんてしないよね............?」


 逡巡して後,恐る恐る確かめる。すると松本君はキョトンとした顔を見せた後,これまで見たこともないくらいに破顔してみせた。


「あはははははっ!! そうか,まだ全容が分かっていなければ,僕は異常な考えに取りつかれた殺人鬼に共鳴するマッドサイエンティストの卵に見えるわけか! あはははっ! いいね,傑作だ!! うわ熱っ!」

「......そんなに笑うことないじゃん」


 精々いじけた風に聞こえるよう唇を尖らす。けれど内心の安堵を悟られても構わないと思えるくらい,自分の懸念が杞憂であったことに胸を撫で下ろしていた。極度の緊張から解放され,ふらふらと寄りかかるようにして椅子に座る。全身から力が抜け到底立っていられそうにない。松本君は零れたコーヒーをティッシュで拭いながら,やっとのことで笑いを噛み殺した。


「ええっと,どこから説明すればいい?」

「いや,何もかもだよ。鳴海さんが殺害に及んだ動機は,切断された頭部に意識が宿るかどうか確かめたかったからというのは本当?」

「いいや,完全な出任せだよ。φ理論は知っている風だったから,多分僕の話と併せてでっち上げたんだろう。そもそも菅さんの遺体から頭部が切断されたのは,一ノ瀬さんが殺害してしまった後だ。切断前に完全に事切れている訳だから,ギロチンで斬首した直後のリニエールやポーリオとは条件が大きく異なる。万が一死後しばらくの間意識が保たれることがあったとしても,今回はそれを確かめるには時間が経ち過ぎているし,意識の有無を確かめたいだけなら首を斬る意味もないね。脳活動を測るための機材もないし,表面的な観察だけでは得られるものは全くないよ」

「じゃあ,鳴海さんは嘘吐いたってこと? 何で? それに本当の動機は何? というか,さっきのやり取りは何だったの?」


 矢継ぎ早に質問したのだけれど,松本君はすぐには答えず一口コーヒーを啜る。それから更に数秒考えを巡らせるように宙を見つめてから,重々しく口を開いた。


「......一般的に,遺体の首を切断するメリットは何だと思う?」

「それは入れ替われるからでしょ。犯人が既に死んでいると思わせることで,自由に動ける立場に身を置ける」

「そう,実際には生きているが死んだと思わせるのが一般的な首の切断による入れ替わりトリックだ。けれど今回の場合鳴海さんは僕達に,犯人である一ノ瀬さんが自身が死んでいると見せかけ実際には何か企んでコテージのどこかに潜んでいると思わせたかった。つまり入れ替わった人物が生きていると思わせるためのトリックだった。だから高杉さんを殺害し,暴行を加えることで精液を遺体に残した。2人は一卵性なんだろうね。精液にエピジェネティックな装飾が起こり得るのか専門外の僕には分からないけれど,通常のメチル化に基づくDNA検査でも一卵性双生児を識別するにはかなり厳しい条件を満たす必要があるしコストもかかる。状況が明らかに一ノ瀬さんが犯人であると示しているならそこまで精密なDNA検査は実施されない確率が高いと判断したから......と,警察には自供するつもりだろう。動機は跡継ぎとして育てられてきた兄への嫉妬と,父親に諦めさせることで自身がその立場に挿げ替えられることを目論んだから。そんな風に説明するんじゃないかな」

「松本君の言い方だと実際は違うってことなんだよね。何でそう考えるの?」


 右手で眉間を掻きながら松本君は言い淀む。体感では随分時間が経ったように思われるけれど,実際は1,2分くらいだろうか。快活な声が遠く聞こえる,どこかのどかにさえ思える空気の中,松本君は再び口を開いた。


「......成り行き上話すけれど,正直本当は君と和田さん,土井さんには隠し通すつもりだった。気分のいい話ではないし,特に女性にとってはショックが大きいと思ったからだ。だから,これから話すことは2人には黙っていてほしい」

「う,うん」


 厳重に念押しする松本君に気圧されながら頷く。深刻な面持ちで松本君も頷き返した。


「一ノ瀬さんのかつての恋人である中西さんという方に,肉体関係を迫っていたのは岡部さん達ではない。中西さんの自殺の原因となったのは,鳴海さんの方だったんじゃないか。僕はそう考えているんだ」

「えっ......」

「だってそうだろう? 高杉さんの口振りでは一ノ瀬さんと中西さんが交際していた当時,既に岡部さんと付き合っていることが伺えた。恋人を差し置いて脅迫というリスクを冒してまで性交渉を持とうとするだろうか? 菅さんに関してもそうだ。一般的に見てルックスは悪くない部類なんだから適当に遊んでいた方がリスクは低い。それに土井さんは一ノ瀬グループ会長である大仁氏と顔合わせを済ませているんだろう? これは穿った見方かもしれないけれど,大仁氏側が風俗嬢でないが一ノ瀬さんが執着したかつての恋人に似ている土井さんで満足できるなら,世間体も悪くなく妥協できるラインだと判断したから家柄は問わなかったと解釈できる。大学の同窓が告発のため大企業のグループ会長にどこまで接近できるだろうか? 先に述べた推測が妥当なら,大仁氏は中西さんの容貌が確認できる画像を見ているはずなんだ,身内による告発と考えるべきじゃないか?」

「......一ノ瀬さんは,弟の仕業とは知らず岡部さん達を憎むことになった? ......いや,そう仕向けられていた?」


 自分の顔からさっ,と血の気が引くのが分かる。先程までとは違う理由で怖気を感じた。じっとしているだけで汗が噴き出す時季だというのに指先が震える。


 そういった職業からようやく足を洗うことができた,実の兄の恋人に肉体関係を強要した? それを拒むと実家に告発し自殺に追い込み,その責任を第3者に擦り付けた?


 あまりにも傲慢で冷酷な振る舞いに,最早怒りを覚えることすらできなかった。その時点で殺人を犯しているようなものだし,結果として無関係な高杉さん達3人を死に追いやっている。一ノ瀬さんも報われないし,中西さんや土井さんのことを思うとあまりにもやるせない。


「鳴海さんが岡部さん達と当時面識があったかどうかは定かじゃない。ただ同時期同じ大学に通っていたんだ,兄弟間で事情を察せられる程度のやり取りはあったんじゃないかな。だから一ノ瀬さんに共犯を申し出ることができたし,首なし遺体を発見した時容疑を誘導できた。あの時の岡部さん達の口振りから中西さんの事情については把握していたことは確かだろうけれど,高杉さんの反応を振り返ると脅迫については全く知らなかった可能性が極めて高いね」


 淡々と外堀を埋めていく松本君の説明を聞きながら,次第に薄ら寒さを覚え始める。さすがにここまで状況が定まってくれば,その可能性に思い至らない訳にもいかない。

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