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マクガフィンの行方  作者: 阿久井浮衛
Chapter 3

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16/26

5

 恙なく入浴を終え応接間に戻ると,松本君はノートパソコンを開き執筆を再開していた。


「こんな状況で良く書けるね」


 感心半分呆れ半分に伝えると,松本君は伺うようにちらりと一瞥を返した。


「お互い様って言うとまた甲斐性がないと怒るんだろう?」


 だからそういうところだって。


「そうへそ曲げないでよ。それにほら,見張り番の役得だってあったでしょ」


 と,湯上りで頬を上気させた奏ちゃんと土井さんの腕を引くも,興味なさ気に肩を竦めるだけだった。


「まぁ,周囲に気を張り続ける必要がある分,おかげさまで酔いは醒めたかな。予想していたよりも進捗は遅れているけれど」

「いや,さすがに今回は原稿上げなくても誰も責めないでしょ」


 と話を繋ぎつつ時計を伺う。時刻は24時54分,入浴から40分が経過している。わたしは松本君に気付かれぬよう,ランドリーバッグを持つ手を一応後ろ手に組んだ。


「......特に何も起きてない?」

「ああ。一ノ瀬さん達は2人共出てきてない。僕が気付かなかっただけかもしれないけれど,上の階も特に変わった様子はないね」


 どうせバラバラに行動するなら,さっさと部屋に戻って休みたいな。と松本君は欠伸する。わたしはその言葉にどう返したものかと一瞬黙ってしまった。


「もう大丈夫だよ,原口さん」


 答えあぐねるわたしに,土井さんが優しく言った。


「気を遣ってくれてありがとね。でも,もう大丈夫。わたしももう気持ちは落ち着いたし,彼もいつまでも感情的でいるタイプじゃないから」


 どうやらすっかり見透かされているらしい。けれどその健気さは却ってわたしの不安を煽った。


「......本当に,大丈夫ですか?」


 わたしが気にかかっているのは菅の言い洩らした台詞だ。初めは何のことを言っているのか見当がつかなかったが,落ち着いて思い返すとそうとしか思えない。


 あれは,大学時代の一ノ瀬さんの彼女のことを言っていたのでは?


 わたしでも思いついたのだ,土井さんが気付いていないとは思えない。しかも,菅の言い方だと一ノ瀬さんはまだ......


「......うん,大丈夫」


 それでも,土井さんは気丈に頷いた。不安はちっとも和らがなかったけれど,その言葉にたちまち何も言えなくなる。


 これ以上踏み込まないで欲しい。そう言われた気がした。


「............そろそろ部屋に戻るね......すぐそこなんだから,そんなに心配そうな顔しないでよ」


 どうしようもなさそうに土井さんはそう苦笑する。わたし達は何も返せず,ただその背中が一ノ瀬さんの部屋へ向かうのをただ黙って見送ることしかできなかった。


「......僕らもそろそろ休んだ方がいいかもね」

「その前にちょっと時間いい? 事件のことで話があるの」


 欠伸を噛み殺す松本君を,わたしは憤りにも似たやるせなさを持て余しつつ遮る。この感情が自身に向けられていると思ったのか,松本君は少し驚いた表情を浮かべた後神妙そうに頷く。


 わたしは一ノ瀬さんを待っている間に考えていた推理を話した。


「......うん。まぁ,そう考えることもできるね」


 話し終えたわたしに,松本君は歯切れ悪く一応は同意する。思っていたよりも芳しくない反応に,何か見落としているだろうかと不安が擡げた。


「そんなに的外れだった?」

「いや,そんなに的外れではないと思う。ただ,暗黙裡にいくつかの前提を設けていることに気付けていないんじゃないかな」

「前提?」

「そう。物理的に犯行可能な状態か否かという点に立ち返って事件を整理する考え方には僕も賛成だ。だけどその時に必要なのはできるだけフラットな視座を保つことだ。例えば原口さんは百合の花の犯行予告と岡部さんの殺害が同一人物によるものと想定しているけれど,僕はまだ断定できないと思う。別人の場合何らかの推理ゲームと聞かされて協力したのかもしれないし,そもそも殺害とは無関係の可能性も否定できない」

「単純にゲームと犯行の対象が重なったってこと? でもそれだとゲームを仕掛けた人は名乗り出るんじゃない?」

「本当に無関係であることをどうやって証明する? 余計な疑いを招くくらいなら,黙って保身を図るのが人情ってもんさ。少なくとも犯行予告時のアリバイがあるからと言ってそれが直接殺害への関与を左右することにはならないはずだ。それに複数犯の可能性だって現時点では排除すべきでないと思う」

「......土井さんを疑っているんですか!!?」


 少し考え込み,奏ちゃんは驚き松本君の顔を凝視する。全く頭になかった可能性に虚を衝かれたけれど,確かに岡部が殺害された時行動を共にしていたのは一ノ瀬さんと土井さんだけだ。土井さんの様子を見る限り,とてもそうとは信じられないけれど。


「いや,そういう意味じゃない。複数犯と言っても全員で殺害に及んだ場合のみを指しているんじゃないよ。例えば殺害と密室の形成は別で行われたと考えれば,時間的な制約が緩くなるよね? だから別に,アリバイのない時間帯が重複していなくても共犯の可能性は十分考えられる」

「そういうことですか......。でも,松本先輩の言う通り役割を分けた場合,密室を作る側はある意味お得じゃないですか? 仮に捕まっても幇助犯として裁かれる確率も小さくないですよね。そうなると殺害の実行犯は割を食うというか,そんな共犯での計画には乗ってこないんじゃないかと思うんですけど」

「それはどうだろう。割を食うことになっても,対象の人物を殺害できる確率を上げられるなら構わないと考えることもできると僕は思う。これも原口さんの推理の前提の1つだけれど,殺害動機は必ずしも提示された情報から類推可能とは限らない。というか,これから誰かを殺害しようと目論む人間が,態々自分が疑われるのに動機を開示する旨味ってある? 少なくとも計画した犯行を完遂するまでは,多くの場合殺意を示すメリットは限定的だと思う。フーダニット,ハウダニットを起点に推理を始めるのには同意するけれど,ホワイダニットは精々ダメ押しの材料として扱うべきだ。実行犯が最もコントロールしやすい情報だから,最も誤った方向へ推理を動かされる要因だからね」

「......じゃあ,松本先輩としてはまだ具体的な考えをまとめる段階にないということですか?」


 物足りなさそうに奏ちゃんは唇を窄ませる。どうも身の危険が迫っていることを忘れ,すっかり推理に没頭してしまっているようだ。松本君は窘めるように薄く笑みを浮かべた。


「人命がかかっているんだ,そう軽々には言えないよ。一応,執筆の傍らタイムテーブル作って状況を整理してはいるんだけどね」


 軽快にキーをいくつか叩くと,松本君はノートパソコンの画面をこちらに見せる。画面にはわたし達が到着して以降の経緯をまとめたスプレッドシートが表示されていた。


 タイムテーブル(敬称略)

 17:25 一ノ瀬,土井,原口,和田,松本計5名コテージ到着。岡部と玄関前で遭遇。高杉,菅は宿泊部屋に,鳴海は散策していた

 17:35 原口,和田,松本は部屋へ各々の荷物を運ぶ。一ノ瀬,土井は応接間の片付け。高杉は原口,和田と遭遇後一ノ瀬達と合流。岡部は厨房から部屋へ移動

 17:45 一ノ瀬,土井,原口,和田,松本,鳴海,高杉合流。松本と鳴海は表に停めた車から食材を搬入後部屋へ戻る。一ノ瀬,土井,原口,和田,高杉は夕食準備

 19:20 全員食堂に集まり会食開始。百合の花が岡部,菅の部屋の扉に貼り付けられる

 20:25 夕食を終え,応接間で歓談。菅は夕食後部屋で休む

 21:30 岡部が部屋へ戻る。その後一ノ瀬,土井が部屋へ戻る。鳴海は入浴,原口,和田,松本,高杉は応接間に残る。松本,和田はノートパソコンを取りに数分部屋へ

 21:55 松本入浴,鳴海は応接間へ入浴を終えたことを告げに向かった後,部屋へ戻る

 22:20 松本入浴を終え応接間に。高杉が岡部の様子を伺いに行く。ノックするも反応なし

 22:30 高杉,原口,一ノ瀬,土井が再度岡部の様子を確認しに向かう。反応なく全員立ち合いの下扉を抉じ開け岡部の刺殺体発見

 23:40 遺体発見現場を検め終える。一ノ瀬は警察への連絡を試み一旦下山,他7名は応接間で待機

 24:10 豪雨のため警察への通報を諦め,一ノ瀬がコテージへ戻る。菅,一ノ瀬,鳴海,高杉は部屋へ,原口,和田,土井は入浴,松本は応接間で待機。現在に至る


「こうして見るとアリバイの有無がはっきりしているね。やっぱり鳴海さんと菅さんが目立つかなぁ」

「菅さん単独での犯行だった場合,犯行予告は自作自演だったことになるよ。二日酔いもそうだけれど,随分と演技派だね」


 松本君の軽口に言葉が詰まる。確かに菅は計画立てたり小技を使ったりするというより,衝動的なタイプのように思える。正直,そこは思い付かなかった点だ。


「まぁ,天候が定まれば明日警察を呼べるんだ。とにかく今夜を凌ぐことだよ」

「それはそうだね。......どうしよう,鍵閉めるだけじゃ不安だな」

「サイドテーブルのような障害物置くか,ガムテープをべた張りするかじゃない? ドアを開けた時に大きな音がなるよう仕掛けておくのも有効だろうね。僕も仮眠程度で済ませるつもりだし」

「そうするしかないかなぁ......」


 もちろん恨まれる覚えはないが,込み上げる不安は拭い切れる気がしない。いっそ起きておくべきだろうか。寝てそのまま目を覚ますことがないなんて怖過ぎるけれど,起きて物音に一夜怯え続けるのもストレスがかかるな。


 この時はそんな風に堂々巡りの考えが頭を占めていたけれど,翌朝わたしは恙なく朝日を迎えることができた。それは犯人が事を起こさなかったからではなく,目的が別にあったからだということを,発見された新たな遺体を見てわたしは悟った。


 犯人の目的,それはどうやら一ノ瀬さんの殺害だったらしい。らしいというのは発見された遺体には首から上がなく,それが一ノ瀬さんかどうか分からなかったからだ。


 遺体の首は切断されていた。

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