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マクガフィンの行方  作者: 阿久井浮衛
Chapter 3

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13/26

2

「僕は応接間から鳴海さん,一ノ瀬さん,土井さんが出ていくのを見送った後,一度自分の部屋へノートパソコンを取りに戻りました。時間にして精々5分程度だったと思います。その後約20分応接間で執筆作業を進めていました。それから鳴海さんが入浴を終えたことを知らせに来たので,再度自室に戻り着替えを持って浴室へ行きました。シャワーだけ済ませ応接間へ戻ったのが更にその20分程後で,原口さんにここへ来るよう呼ばれるまでは作業を進めていました。応接間にいた間は常に和田さんはじめ誰かしらと一緒でしたが,浴室への行き来なども含め1人でいる時間帯が計30分弱あったことは確かです」


 今日初めて会った岡部を殺害する動機や部屋を密室にする手段はさておき,30分は犯行が可能か否かで言えば厳しいラインのように思える。敢えて自らにも殺害できた可能性があるような言い方をしたのだろうけれど,それでも一ノ瀬さんの顔色を見る限りまだ気持ちと頭の整理に時間が要りそうだ。


「......わたしは基本的に応接間にいました。応接間を出たのは松本君が戻ってきた後,高杉さんと共に一ノ瀬さんを呼びに行った時です。1人になったのは一ノ瀬さんに鳴海さんと松本君達を呼びに行くよう言われた時だけで,5分もなかったと思います」


 これで言うべきことはほぼ言い終わったのだけれど,奏ちゃんに抱えられる高杉さんの姿を見て付け加えた。


「アリバイという意味では,ほとんどの時間は奏ちゃんか高杉さんのどちらかと一緒でした。高杉さんは松本君が戻ってから岡部さんの部屋へ行った時に,奏ちゃんは一ノ瀬さん達が応接間を出た後ノートパソコンを部屋へ取りに行った時に1人になったけど,多分数分程度だったよね?」


 目を合わせると,奏ちゃんは不安そうな顔をしながらも頷いてくれた。


「……僕らは応接間を出た後ずっと僕の部屋にいたよ。原口さん達が呼びに来て以降はもちろん,どちらかが1人きりになる時間はなかったね」


 松本君に調子を合わせた甲斐があったのか,一ノ瀬さんも自らのアリバイを主張した。ふと見ると,いつの間にか一ノ瀬さんの手は土井さんの手を握っている。


「……残りは僕ら2人か」


 薄々こうなる流れを予感していたのか,鳴海さんは小さく溜息を吐いた。


「僕の場合,アリバイはほぼないな。誰かに目撃されたのは入浴後松本君に声をかけた時くらいか。後は自分の部屋で作業を進めていたよ。その作業分のデータがパソコンに残っているけれど,そんなものはどうとでもできるし,誓って殺人に関与していないと主張するしかないね」


 鳴海さんはいっそ開き直ったのか淡白に言い切る。自ずと,視線は菅へと集まった。


「……ずっと部屋で寝てたよ。それの何が悪いんだよ」

「ただ何をしていたか確認したいだけだ。お前だけが疑われているわけじゃないんだし,そうカリカリするなって」


 言葉数を重ねたことで多少は気が解れたのか,ようやく一ノ瀬さんがいつもらしい調子で菅を諫める。その様子を漫然と見ていた奏ちゃんが,何かに気付いたのか不意に声を上げた。


「松本先輩,さっき密室を断言しましたけど岡部さんが持っていた鍵を使った可能性もあるんじゃないですか」

「いや,多分その可能性は低い」


 何故か松本君は少し困ったように眉根を寄せた。


「というか,複数人を殺害するつもりなら,それだと第2第3のターゲットに警戒心を持たせるだけだから都合が悪いんだ。各部屋の鍵はその部屋のみにしか使えず,犯人がその鍵を使わない限り密室を形成できない=殺人を犯すプランがないとすれば,全員が誰の呼び出しにも応じず引きこもってしまえばいいだけだ。もちろん密室以外の方法で犯行を企てているのかもしれないけれど,それだって今後複数人で行動して相互監視を常態化すればほぼ無効にできる。いずれにせよ室内に鍵が残っているかどうかは確認する必要があるけれどね」


 松本君のこの説明に,わたしは内心首を傾げる。


 それならば何故,いくらそれができるといえ鍵を使わずに態々密室を形成したのか。密室殺人の最大の利点は殺人を自殺や事故に見せかけることだろう。動機に不自然さが残るとはいえ岡部の死を自殺に見せかけることもできたはずだ。それなのに偽装せずそのまま立ち去った理由は何か? それに,どのような方法であれ被害が発覚した段階で相互監視に陥ることは予測できたわけだから,その後切れるカードは少しでも手元に残しておきたいはず。犯人の立場からすると例え鍵を使わずに密室を形成できたとしても,トリックを見抜かれるリスクを考えればやはり岡部の部屋の鍵を使わない手はないように思える。少なくとも,鍵だけが密室を形成できた犯人の唯一の手段でないと判断する根拠はないように思えるけれど。


「……細かい話は後で伺うことにして,室内を検めたいのですが入っても大丈夫ですか?」

「ああ,もちろん」

「いえ,そうでなくて僕だけ入っても大丈夫ですかという意味です。自分が犯人だとは言いませんけどアリバイが不確かなわけですし,疑わしいと思う方がいるなら一緒に入って監視してもらって構わないのですが」

「ああ,そういう……」


 一ノ瀬さんは力なくそう呟き,思案している風に指で顎を摩った。


「あまり大勢で踏み込むのもまずいなら,多くても2,3人ってところか。取りまとめだし僕も入るとして,菅はどうする? できたらお前にも来てもらいたいんだけど」

「俺!? 何でだよ?」

「できるだけ立場が異なる方が共犯の可能性を潰せるからだ。今日初対面の相手と手を組むとは考えにくいだろ」

「……分かったよ。その代わり何もやらないからな」

「十分だよ」


 渋々頷く菅を宥めるように,一ノ瀬さんは力なく微笑むような顔をした。この2人のやり取りの隙に,松本君はわたしの方へ寄ってきて短く耳打ちした。


「2人を監視してくれ」


 その言葉に気を引き締め頷いた後,その裏に隠された意図に気付きはッとした。松本君も,岡部の鍵が使われた可能性を完全には捨てていないのだ。だから態とそのことに言及せず,犯人が鍵を戻すのか確かめようとしている。


 固唾を飲むわたしに構わず松本君は一ノ瀬さんと菅に念を押す。


「原則室内のものには触らないでください。どうしても触れる必要がある場合はハンカチなどを使い直接触れることがないように。遺体には譬えハンカチ越しでも絶対に触れないでください」

「触んねぇよ,好き好んで入るわけじゃなし」

「僕も基本写真を撮るくらいに留めます。いくらでも僕のことを監視していただいて構いませんが,不審な動きを制止しようとする時でも室内のものには触れないように気を付けてください。……では,入ります」


 確かめるように2人の顔を見比べていたかと思うと,いっそ不用意と思えるほど松本君はあっさり室内に足を踏み入れた。菅はこれにぎょっとしたが,一ノ瀬さんに促され警戒するような面持ちで後に続いた。


 松本君は先ず,ハンカチを取り出しカーテンを捲り窓の錠が下りているか確かめた。室外のわたし達にも見えるよう窓の脇に退けるほどの徹底ぶりだ。だがいずれの窓も閉じられており,錠も下りていた。そこで次に,岡部の遺体へ近付き写真を撮り始めた。初めに角度を変えながら全身を撮影すると,次は傷口を順に撮りだした。レンズの先を追うのに耐えかね一ノ瀬さんと菅に目を向けると,2人共入室したはいいもののどう振舞うべきか分からないようで遺体から目を背けただただ立ち尽くしている。


「ああ,鍵ありましたね」


 目線を戻すと,松本君がベッド脇のサイドテーブルからハンカチ越しにこの部屋のものと思われる鍵を摘まみ上げていた。これで,犯人が鍵を使わずに密室を作れることがほぼ確定したわけだ。


 その後松本君は写真撮影と並行してテーブルの引き出しやクローゼットの中を簡単に検めた。どちらかというと写真を撮る方に重きを置いているらしく,様々な角度から執拗なほど時間をかけてデジカメのシャッターを切っていた。


「……一先ずはこんなところですかね。異存なければ部屋を出たいのですが,何か調べておきたいことはありますか?」


 部屋に入って1時間弱は過ぎただろうか。松本君の言葉に一ノ瀬さんと菅は黙ったまま疲れたように首を横に振った。


 部屋を出ると松本君は扉を閉め,しばらく思案気に破壊された錠を眺める。


「できれば物理的に封鎖してしまいたいのですが,精々ガムテープか何かで留めておくのが関の山ですかね……。この部屋への立ち入りは禁止ということでお願いできますか?」


 遺体の横たわっている部屋に好き好んで立ち入る者などそうはいまい。誰も異を唱えそうにないのを見て,松本君は次に一ノ瀬さんに目を向けた。


「では,警察へ連絡を。他の皆さんは一ノ瀬さんが戻ってこられるまで応接間で待機してもらいたいのですが,ご協力願えますか」


 松本君を除くその場にいた全員,最早言葉を発する気力すら残っていなかった。これまで険のある態度を固持していた菅ですら岡部の遺体を目前にし気圧されてしまったようで,力なく項垂れ応接間へと向かう最後尾に並んだ。

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