稲月鈴〜拾壱〜
『月ィ…!』
「そんな怖い顔すんなよ、三席さんよ」
おちゃらけた様子で、昨日とは似ても似つかぬ言葉を乱立させる。
恐らくこちらが月の本性、相手に絡みつき、地獄の底まで引っ張っていく月の『本当』の姿。
『何故お前が鳴渡の中、然も思考の内に居る!?』
「…話すと長ぇぜ?律儀なあんたにゃ、『毒』かも知れんしな」
『…話せ』
「けっ、おもしろくねぇなぁ!もっとバチバチになってくんなきゃなぁ」
心底面白くない。とでも言わんばかりに、こちらを見、呆れたかの様な仕草を見せる。
こちらからすればあまり面白い物でも無いが。
「…あの少年、確かぁ、鳴渡、だっけ?」
『鳴渡がなんや』
「いい子だよなぁ、どこか儚げでよ、『惹かれる』んだよ、守ってあげたくなる、つうの?」
何を言っているんだ?コイツは。
『惹かれる』?『守ってあげたくなる』?
「おっかねぇな、まるで般若だ」
癪だが、月の声で正気を少し取り戻す。
掌には血が滲み、既に抉れ、爪には血肉が付着していた。
「それに『ここ』が、どこか忘れたか?」
『ちっ…!』
「そ、愛しの愛しの鳴渡くんの思考の中、もしあんたと私がここで暴れりゃどちらかが死ぬ前に鳴渡くんが逝っちまうだろうなぁ」
そう、ここは鳴渡の思考の中、つまり、鳴渡の中枢。
もしここでコイツと殺し合い何かしたら、間違いなく被害被るのは鳴渡、次点で私。
やり合ってもこちらに得は無い。
「それに、『対戦相手』には万全でいて欲しいしな」
『対戦相手やと…?「選抜」か!』
「そ、丁度私の相手が鳴渡くんなんだ、万全で居てくれなきゃ」
──────つまんねぇだろ?
『分かったわ、んで、何でここに居ったんや』
「…言わなきゃ駄目か?」
『駄目にきまっとるやろ、腹割れや』
月はあちらこちらと目線を飛ばし、両の指先を擦り合わせ、『堪忍』した様に何かを考えている。
「この間よ、駅前で…鳴渡を一目見て、何つうか、こう」
『歯切れが悪いの、しゃんと話せや』
「…惚れちまったんだよ!」
…は?惚れた?誰が?誰に?
「生きてきてよ、月の使命ってのに縛られて、私にゃ自由が無かったんだ、好きでも無ぇおっさんと結婚させられて金毟るだけ毟って、飽きたらポイ、そんな事を繰り返すのが月の使命だと、クソみてぇな親に叩き込まれた、それで」
────────こんなに、ねじ曲がっちまった。
「あいつはそんな私でも『綺麗』と言ってくれた、醜く穢れた私を『綺麗』だって、『美しい』とまでは言われてねぇけど」
『…』
「今まで浴びせられた言葉のどれよりも、陳腐で、薄くて、でも、暖かった」
月が、言葉を並べていく、それは鳴渡に対する良い物と自身に対する悪い物をごちゃ混ぜにした様な、なんとも薄気味悪い言葉だ。
「だから、あいつ、鳴渡よりも強え事を、鳴渡自身に叩き込んでやる、そうすりゃ、鳴渡だって」
──私を好きになる。
「そして、選抜の終わった後、鳴渡に告白するつもりさ」
『…は?」
「あいつは──」
耳に、入ってこない。
月が、鳴渡に告白する?…駄目や。
「で──『…一ついい事教えたるわ』あ?」
『鳴渡は私の物だ、手出しはさせん、クソダヌキ』
全力の、純粋無垢で、混じり気の一つも無い『殺意』。
『オキツネサマ』の威を借りるようで情け無いが、『オキツネサマ』自身も狸が嫌いやし、快く貸してくれる。
『出ていけ!二度とここに来るんじゃ無い!』
「ぐうっ、ごあっ!」
────────────────────
「がはっ!」
「へ?」
「鳴渡!離れや!」
後方に居る鳴渡に『下がれ』と言霊を放つ。
突然、自分から昨日会った女が出てくるんだ、驚かない訳がない。
「二度と鳴渡に近づくな!」
「…ちっ!」
木の葉一枚を残し、月は消える。
その木の葉を燃やし、塵とこの世に残さない。
「…稲月、先輩」
「…、…"響"」
この一ヶ月間、鳴渡を名前で読んだことは無い。
無論、苗字呼びで事足りるからだ。
「…ごめんな、先輩、失格や…」
「大丈夫です、少し怖い…かったですけど」
鳴渡がこちらを見る。
ドクン、と『何か』が脈打つ。
それは次第に大きく、深く脈打つ様になり、鳴渡にも聞こえるのでは無いか、と心配に成る程の音。
耳の良い鳴渡だ、きっと、いやほぼ確実に聞こえている事だろう。
「先輩?大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫や、それよりも、鳴渡」
──こっち、来てくれんか?
「?、はい」
「も少し寄って、肩ぁ貸してくれ」
「は、い」
鳴渡に噛み付く。
歯形が出来る様に、『コイツは私の所有物だ』と周りに喧伝する様に。
「っ痛ぅ」
「…ごめん、落ちるわ…」
──ガクンっと、海に落ちる様に思考、感覚が消え、目の前が暗くなる。
──────────────────
「んぅ、…むぅ…」
なにか蒸し暑い物に包まれ、寝苦しさで目が覚める。
毛布か何かを被り、敷布団で寝ていた様だ。
それと、何か良い匂いが…
「あ、起きました?」
「な、鳴渡!?な、なんで…」
部屋戸を開け、鳴渡がこちらに顔をだす。
制服しか見た事の無い鳴渡の格好だが、意外と様になっている。
「ここ、俺ん家ですから…」
「は…っ!は、はぁ!?な、鳴渡の家!?」
どうやら鳴渡の家で寝ていたらしい。
じゃあ、この布団は…
「すんません、俺用の布団しか見つかんなくて…」
「じ、じゃあ、これは…」
鳴渡が普段使ってる匂いのたっぷり染み付いた…
ん?
「鳴渡、なんかコゲ臭いで?」
「へ?…あ!し、失礼します!」
鳴渡が何かを思い出したかの様に途端に顔を引っ込め、何処かへと消える。
…まさかあいつ料理できんのか?
「い、いや、それよりも…」
体操着や、制服などの比では無いほど、濃く染み付いた匂い。
知らず知らずのうちに吸い込んでしまい、その虜になる。
「一回だけなら、ばれへんはず…!」
毛布に顔を埋め、思い切り鼻で息を吸う。
「…あっ?」
ほんの数瞬、何か別の所に飛んだ様な、妖と闘う時の比では無いくらい、心臓が早鐘を打つ。
「はぁっ、はぁっ」
ドクドク、と昂った心臓が全身に血を巡らせる。
頭はすでに沸騰済み。
「先輩、お粥焦がしちゃいまして…」
「あ、ああ、そう、なんか」
「露店で、梅粥買ってきたんで、それを…」
「鳴渡ぃ…」
「それ、食べさせてくれへんか?」
「…へ?」