聖ヴィクトリーノ
「Got it.」
音も無く、大柄な男が俺の背後に回っていた。
「… Sorry, it's part of my job.」
刃物が頬を掠め、血が滲む。
後ろに飛び退くが、すでに小柄に回り込まれていた。
小柄が打ち抜いた拳を腕で受けると、嫌な音がした。
「…Checkmate」
後方には小柄、前方には大柄、まさに挟み撃ちという状況で。
俺は無意識に笑っていた。
人は、ある一定量の痛みやらなんやらを受けると、それを平気にしようとするらしい。
弁財先生からの受け売りだが、今の俺がそうなのだろう。
「…why, Why are you smiling?」
「あ〜、あ、あ、あ、あ…」
声を調整する。
探せ、探せ、目の前の二人に効く音を探せ。
勝機はそこにしかない。
喉を潤せ、目を乾かすな。
指先に力を込めろ、四肢に力を張れ。
思い切り食いしばれ、腹に力を入れろ。
そして、脳を一瞬たりとも休ませるな。
笑え、笑え、笑え、笑え。
嗤え、嗤え、嗤え、嗤え。
内に或る物を、解き放て。
「…!?」
血の塊が口から飛び出す。
思い切り咳き込み、胸に手を当て呼吸を整える。
なんだ、さっきまでの俺は、まるで、まるで別人の様に──
「Where are you looking?」
「──back off!」
前方から、大柄な男が突貫してくる。
俺にはそれが、ひどく遅く見える。
やけに、踏み込む音が鮮明に聞こえる。
周りが静かになって、音がほとんど消える。
何かを喧伝していたしたの奴らの声も。
後ろで何かを叫ぶ小柄の声も。
囀る鳥も、無く動物も、吹く風も。
全てが、無音に感じる。
無意識に、俺は両指を合わせていた。
形としては、鳥籠みたいな感じだった。
それは、室呂先輩から“何があっても使うな”と釘を刺された技…だった気がする。
「Lottalewughva!」
小柄な奴が何かを叫んでいる。
大柄な奴が何かに気づいて逃げようとしている。
「音壊」
刹那、学舎が大きく揺れた。
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「…ヴィクトリーノ様、午後からの会議ですが」
「ヴィクトリーノ様、来月の催しについて…」
「ヴィクトリーノ様!お茶に合うお菓子を作り──」
吐き気がする。
どいつもこいつも腹に一物隠して俺に会いにくる。
例えば、最初のやつは俺の部下でもなんでもない。
少しでも油断すれば俺を殺しにくる。
二つ目のやつは、権力争いに巻き込まれた被害者だ。
自分の一派の物を飲ませるため、弱みでも握りに来たんだろう。
最後のは最悪だ。
毒でも入っているかもしれないし、単純に気持ち悪い。
何より、善意からやっているから余計タチがわるい。
「ヴィク!」
「…!リィーヴィ!」
ここでただ全幅の信頼を置けるのが、二人だ。
ルゥーヴァとリィーヴィ、俺の幼馴染だ。
俺の方が一つ歳上ではあるが。
リィーヴィ、マトリィーヴィ。
小柄ながら、神使としては十本の指に入ると俺は思っている。
その鋼鉄より硬い体はほぼ全ての攻撃を弾き、敵には致命の一撃を叩き込める。
本人としてはあまり戦いが好きではないらしい。
まぁ、そこは俺も同じだ。
「…何かあったのか?」
いつもの天真爛漫を絵に描いたようなリィーヴィとは違い、顔からは血の気が引いているように見えた。
それに、今も俺の服を千切らんばかりに引っ張っている。
「はっ、そ、そうなんだ!ロッタが!ロッタが!」
「!何かあったのか!?」
泣きじゃくりながら、俺の服を引っ張り何処かへと連れて行こうとするルゥーヴァを抑え、手を引いて連れて行ってもらう。
余談だが服は5センチほど伸びていた。
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「…首尾は?」
「…上々かと」
学舎の奥、隠された部屋で、一人の生徒と誰かが話していた。
生徒の方は、仰々しい椅子に腰をかけ、教師の様な装いの方はそれに跪く形だ。
「…これで、あの留学生も終わりね」
それは、見るものが見るものなら絵画として残しておこうと決意する程の美貌で、だがその下にドス黒い本性を隠したような、凍える様な目をしていた。
「それと、妹の件はどうなってますの?」
「…今日も部屋からは出ておられない様子で…」
ほんの少し柔らかくなった雰囲気と声が、また凍えるようなものに戻る。
「…何を考えているのかしらね、あの子は」
空間にこだましたその問いに、答えるものは一人もいなかった。




