水泡霜霧 其の伍
カチ、コチ、と。
ただただ、無機質な時計の針の音が部屋中に響く。
卓袱台を挟んで向き直り、ただ二人の、何とも言えない時間が続く。
彼は何かが気になるのか、私の部屋を見渡しては何かを考えている。
壁に掛けてある家具がある訳でもなし、可愛い装飾を衒ったものも無い。
本当、女の子の部屋とは思えないほど色の無い部屋だ。
「…お茶、注いどくね」
トポトポと、彼の目の前にある湯呑みにお茶を注ぐ。
彼はこちらに目配せした後、湯呑みを持ってそれを飲む。
ただそれだけの動作に私は何処か安心感を覚えた。
何処か老婆心の様なものを憶えながら、私はただ彼を見つめていた。
「…あの」
そんな時、突然、彼が口を開いた。
その表情は、何かに怯えているような物だった。
こちらを見る目には、最早恐怖の様な感情も見て取れた。
「どうしたの?」
できるだけ優しく、可能な限り優しく。
何故か、彼の前だと少し張り切ってしまう。
「…何でそんなに俺をみるんですか」
「……………………………ごめん」
彼を見るのに夢中になってた様で、少し彼を怖がらせてしまった様だ。
私としては無論そんな気は一切無いのだが。
まぁ確かに、歳上のよく知らない他性の人にまじまじと見られたらそりゃ困惑もするか。
「…ほんと、何の訳でも無いよ」
「……そうっすか」
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そんな微笑ましい出来事から一転、私は今火中に居る。
彼が帰って数刻後、十傑一の常識人、室呂から連絡があった。
何でも、空幹町の直ぐ側、具体的に言えば半里程の距離に、妖が出現したらしい。
掴んでいる情報は少なく、人型、何か鋭利な武器の様なものを扱う、という事のみ。
正直、それは本当に妖か?と問い返したかった。
実際ここ数百年の記録では、人型の妖は“全く”確認されていない。
いつもの、山羊の様な妖や、猪の様な妖だと高を括っていた。
楽に終わると、そう思っていた。
あの報告が耳に入るまでは。
『鳴渡響 片腕ヲ損傷ス』
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正直、術士が何処かしらを欠損するのは珍しく無い。
両腕が無い元術士や、片足片腕が無い術士だって居る。
ただ、それに共通して言える事は、単騎で敵に、妖に相対した運のない者という事。
仲間を待ったり、気配を消し、妖から見つからない様にする事だって出来る。
彼は、まだそんな初歩的な事も知らぬうちに、特異な妖とあってしまったんだ。
私や、二位が到着する前に、彼一人で約数分戦ったらしい。
彼の体は特別だ。
現神ノ国に、僅か三人しか存在しない“音”使い。
その価値は凄まじく、炎の術士や氷なぞ、代わりにすらならない。
音の価値は高い。
そんな彼の片腕が、何とも知らぬ妖にもがれた。
悔しく、そして、心の奥底で。
ありがとう、と、未だまみえない妖に感謝していた。