神園学園代四十八代目学長「秋元充」
「…しぃっ!」
「っとぉ、危ないねぇ」
蛇の子の振るう拳が、僕の頬を掠める。
幸い、毒の様なものは恐らく無い。
そもそも、毒を使うなら、もう少し武器の攻撃範囲を伸ばすはず。
僕は叉白君がどういう子かは詳しく知らないけど、恐らく、彼は結果主義者な気がする。
現に、三人とは少ないながらも、僕が苦手な近距離力押し型、楠さんが苦手な接近戦撹乱型、それを補助できる遠距離からの攻撃型。
彼が何処から情報を得ているかは分からないけど、こちらの弱点を知っていて、それに合わせる様な敵を送り込んでくる。
戦術としては当たり前だけど、“対人”なんて久しぶりだから大事な事を忘れてたよ。
「っ、感謝、するよっ!」
「!」
躱しざま、体を捻り、回し蹴りをお見舞いする。
体重を思い切り乗せた渾身の一撃は、恐らくその辺の妖くらいなら体ごと飛ばす威力を持つ。
それは相手の顔に当たるが、そこで違和感に気づく。
“硬い”。
まるで、岩でも蹴ったかの様で、蹴りを放った足が少し痺れている。
それに、相手方も特に痛がっている様子は無い。
人の頭くらいなら容易に吹き飛ばせると思ったけど、僕も鈍ったね。
「…全く、貧乏くじをよく引くね」
口から漏れ出た言葉は、自虐だろうか。
今一度、服を着直し、気を引き締める。
地を二度蹴り、相手の姿を、眼中に収める。
良かったよ、相手が“蛇で。
この場には生徒も居ないし、思い切り戦える。
時折り、聞こえることがある。
楠溟楽。千年という途轍もない時間をかけ編み出した彼女の術は、今や、神ノ国に並ぶのも無しと賞賛される程で木神と呼ばれている。
美戸棗。若齢二十三にして、氷蘭皇制高等術士教育学園の学長を任される程の実力者で、雷神の異名の通り、雷を扱えば右に出るものは居ない。
渦巳海哉。海に面し、神ノ国唯一の外国からの出入り口となる“海祗港”の総管理人で、海から上がってくる妖をその拳と漁業の様な術で蹴散らす。
その三人と肩を並べる程、僕は戦えるだろうか?
つい先日、龍笠と戦ってみて分かった。
大分僕は衰えた。
事務仕事に追われ、体を動かすことすらままならぬ日々。
たまの休日も、返上して厄介事の後処理。
お陰で、随分と体が鈍った。
「…それじゃ、アンタには手伝って貰おうかな」
「…!」
さて、凡そ十年ぶりの殺し合いだ。
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行けるか…?既にさっきので足が震える程疲弊してるんだけど。
腰の自刀に手を添え、何か敵が動けば即座に切れる体制に入る。
ズ…という音と共に、地が揺れ動く。
空から響く異音に、耳を貸す暇は無く、眼前の敵を見据える。
楠さんは術力で。
美戸は保有力で。
渦巳は腕力で。
あの時代は、術力はもちろん。
他にも何か自分だけの強みがないと生きていけなかった。
だから、僕も鍛えた。
“眼”を。
元は、何の変哲も無い普通の目。
凡そ十五年間、学生の頃から鍛えた自慢の眼。
眼に霊力を集中させ、敵の霊力の流れを観る。
いまは、肩から腕にかけて、濃い霊力の流れが見える。
それと、足先に。
先ほどの戦闘からも察せるが、恐らくこの子は術が使えない。
それは他の二人も例外では無い。…と思う。
それに、先ほど飛んできた術は、何か印から発せられたものだろう。
「…全く、めんどくさいね」
蛇にどれほどの技術力があるかは知らないが、印の開発、行使は相当な練度を持つ術士でないと行えない。
霊力が上手く付着しなかったり、肝心な所で暴走したりと失敗事例は枚挙に暇がない。
使わせてもらうよ、帳野。
目に薬品を落とし、息を吸う。
薬品の効果により、約十分の間、僕は眼を閉じる事は無くなる。
刀を抜き、逆手に構える。
相手が肉薄するのを確認次第、足に力を込め、駆ける。
地が抉れるほど、強く踏み込み、相手の右腕を切り落とす。
直ぐに相手に向き直り、攻撃に備える。
女はそれでも怯む事なく、左腕一本で拳撃を打つ。
肩を入れて放つ拳は、先ほどよりも攻撃範囲が伸び、左腕を掠める。
一瞬の痺れと、目眩。恐らく毒だ。
「…参ったね。毒耐性は付けてないんだよ」
幸い、傷が浅かったのか理由は定かでは無いが、目眩も痺れももう無い。
手は問題なく開くし、足だって同じ様に動く。
体が問題なく動く事を確認し、敵に向き直る。
「…温まってきたよ」
心なしか、先程よりも世界が遅い。
久しぶりになるこの姿。
刀を投げ捨て、少し身の着を着崩す。
大きく息を吸い、久しぶりに使う術を発動する。
「…行くよ、“蛇”」
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女は、困惑していた。
先程迄とは打って変わり、足の速度、切れ味、威力とその全てが跳ね上がったこの男に。
秋元充。年は三十八。
性別は男で、少しずぼらな所がある。
妖や対人はここのところからっきしで、“火付け”には丁度いい。
それが、私たちの頭の発言だった。
蛇穴さんが襲うのは楽と言っていた。
幾つか私達にも勝機があると。
嘘じゃ無いか。
女は疲弊していた。
腕を切り落とされ、術は悉く躱され、ならばと放つ打撃も、全て避けられる。
遠方から聞こえる音も、恐らく味方が殺されている音だろう。
目の前に立つ男は、あの激動の時代を確かに生き抜いた男なのだ。
……それがどうした。
元々碌に生きて碌に死ねる様な生まれじゃ無いんだ。
ならばせめて、一つでも多く“あの御方”に情報を──
その女の首がするりと落ちると共に。
──その女の思考は、そこで途切れてしまった。




