人生の中間点を過ぎて振り返ってみた
1970年代の小学校工作で 流行ったと思われる木製小物入れ
箱自体は出来上がっていて 天面や側面に彫刻刀で模様を彫っていき
ニスで仕上げるだけの 作った本人以外には価値を見出すことが
難しい 大雑把な仕上がりの茶色い木箱が ホコリを被って眠っていた
何回かの引越しで だいぶ 子供時代のものは処分してあって
アルバムや文集など 黒歴史遺産は 綺麗さっぱり片付けてあったはずだった、、、
のにである。。。orz
よりによって 赤面もののラブレター数通
どこの お花畑野郎が書いたんだっていう ポエム
バスガイドさん 口説いて 誕生日プレゼント送った返事の手紙 等々
出てきてしまったのである
蓋を開けるまで封印してあった遠い記憶が
蘇るのに 時間は必要あるわけなく 封筒の差し出し人欄を見て
変な汗が、、、 若かったな 俺 (笑)
1980年当時 中学生だった俺たちのもっぱら通信手段は
文通だった ノート交換もクラスメートとはよくやったな
明星とかで文通希望欄から 同い年くらいの子探して 熱烈なやりとりを
繰り広げてたのを 読み返してみて 誰これ?ってくらい引いてる自分がいる
高校生くらいのころ
ジャッキーチェンファンクラブ会報に 京都の子の友達募集メッセージを
見つけて 3年くらいは文通してた
実は その子のお父様が 知恩院のお偉いさんで のこのこ 京都に遊びに行って
危うく お寺の小僧にされそうになったり おばちゃんに 日大附属高に通っていることを
冷たく 本当に冷たく 突き放すように 「釣り合わない」と言われ 心が折れたのを
覚えている