第一王子のやり直し 2
第一王子はカローナに関する報告書を見て絶句した。
カローナの交友関係よりも異常な事態が記載され、第一王子はこの後の授業を遅らせるようにトネリに手配を頼む。
顔を顰めている第一王子に報告書を渡され読んだトネリも茫然とする。トネリは念のため馴染みの使用人仲間から情報を集め裏を取ると事実はさらに酷いものだった。
トネリの報告を聞いた第一王子は急ぎ足で母親の執務室を目指す。
第一王子は第一妃の執務室に入るとカローナが一人でスラスラとペンを進めていた。カローナは匿名で贈られた大量の本を無我夢中で読んでからは与えられる課題に悩まなくなった。全ては本に答えが隠されていた。年々自由時間はなくなったが、妖精に会えないとわかったカローナには王宮で自分の時間はいらなかった。どんなに課題が増えても手を進めるだけ。たとえ与えられたのが課題ではなく第一妃と第一王子の執務でも気にせず、求められることをこなすだけ。カローナに感情は必要なくただ忠実な駒であることが望まれるのに気付いてからは簡単だった。社交デビューで一瞬浮上した気持ちは第一妃の執務室に足を運び日常に戻った瞬間に一気に沈み平坦なものに変わっていた。カローナなりには上出来と思った社交デビューは第一妃の評価は正反対。2年も早い社交デビューを咎める声が囁かれたのはカローナの至らなさと叱責を受け静かに聞き流していた。カローナは第一妃と向き合うよりも書類と向き合うほうが楽だったが決められた時間に終わらなければさらに叱責を受けるので集中して必死に手を動かす。カローナは王宮での自分の時間は不要でも、家には早く帰りたい。遊んであげられない妹に眠る前に本を読んであげる約束をしていた。カローナが帰るまで眠い目を擦りながら待っていそうな妹のためにも必死で手を動かしていた。
第一王子は顔を上げないカローナの机に積み上げられた書類の山に手を伸ばすと全て第一王子と第一妃にあてられた執務だった。
カローナは顔を上げると顔を顰める第一王子が書類を持っており、慌てて立ち上がり礼をする。
「頭を上げよ。いつもか?」
ゆっくりと頭を上げたカローナは不機嫌な王子の意図がわからない。それでも戸惑いを隠して笑みを浮かべる。
第一王子は微笑み首を傾げるカローナにため息を溢し自分の名前の書類を弾いて、手に取ると書類の山が三分の一ほど減った。
「あら、どうしたの?」
第一妃は散歩から戻るといつもは呼び出さないと姿を見せない愛息子の姿を見て微笑みかける。
「母上、どうしてカローナに私達の執務が?」
「王妃教育よ」
「私よりも量が多いですが」
第一妃は一瞬だけ眉を吊り上げ扇で口元を隠して微笑む。
「あら?王妃とはそういうものよ。話なら晩餐で」
「カローナを連れて行っても」
「カローナは駄目よ。まだ今日のお勉強が終わってないもの」
「わかりました。失礼します」
第一妃は笑みを浮かべて第一王子を見送る。息子の矜持を傷つけないために、息子よりも優秀なカローナに第一王子の名前で執務をさせて評価を上げているのは教えたくなかった。
カローナは第一妃の機嫌が悪くなったのに気付き、第一王子の背中が見えなくなったので、椅子に座り任された執務を再開する。多忙なカローナは分刻みのスケジュールであり今日のノルマがまだまだたくさんある。叱責を受ければ書類に向き合う時間が減るので、できるだけ早く仕上げないといけないと焦るカローナは書類の山が減っていることには気づかなかった。
第一王子は妃教育はわからないが自身の執務が母親のもとにあるのはおかしいと思い、国王の執務室を訪ねる。王族への執務を振るのは国王と宰相なので二人に聞くのが一番早いと。
「父上、お聞きしたいことがあるんですが・・」
国王と宰相は武術に夢中で執務室に顔を見せない第一王子の訪問に驚きながらも快く迎え入れる。
第一王子には王族には先触れを出すという習慣はなかった。
国王と宰相は第一王子に王妃教育に自分達の執務も含まれるのかと問われて顔を見合わせる。話を聞き、社交界デビューしてもまだ幼いカローナに執務を任せるのは本人の希望でもやりすぎだった。国王は第一妃と第一王子の過去の執務を調べさせた。1年以上前からカローナが処理した書類が見つかり、最近では第一妃の執務の半分と第一王子の執務の半分がカローナにより処理されていた。
国王は第一王子の執務より重要性の高い王妃の執務をカローナがしていることに頭を抱える。第一妃はカローナの教育を始めてから機嫌が良く第二妃との盛大な争いも起こしていなかった。
カローナが処理することで第二妃に執務の不備を指摘され、第一妃が反発し口論する姿が減っていた。
「陛下、いかがなさいますか?」
「カローナは妃が気に入っている・・・」
国王は穏便にすませたい。
第一王子は悩んでいる国王の顔を見て頷く。
「父上、ばあ様にカローナを預けます。せっかくなので、じい様に師事して参ります。公務は今まで通りに。妃教育に母上の執務は要らないなら、そちらは父上達でお願いします」
「殿下、お待ちを」
「許可は自分で取ります。それでは」
第一王子は思いついたらすぐに行動するところは成長しても変わらず、宰相の声に足は止めずに退室する。
妃教育に必要ないことがわかれば充分だった。
毎日王宮に通い母親の執務室で妃教育を受けるカローナのスケジュールは第一王子より過酷なものだった。カローナは王宮で第一妃の執務室から一切出ないと報告書に記載されていた。執務室を出るのは王子とのお茶会の時だけ。
休憩時間はほとんどなく食事やお茶の時間さえ作法の授業。カローナの年頃の頃は王子は自由に遊んでいた。自分に優しい母親でも任せたくなかった。幼いカローナが執務に取り組む姿は異常に見えた。
第一王子は先代国王夫妻に手紙と面会依頼の使いを出して、カローナの書類から抜き取った執務を始める。10歳の第一王子だが実年齢は29歳。与えられるものは簡単な内容だけなのですぐに終わった。
しばらくして教師が訪問し授業を受け終わり、マグナ公爵夫妻に面会依頼の使いを出す。
第一王子は夕方になり帰宅するカローナを送るために第一妃の執務室に迎えにいく。その後にマグナ公爵夫妻と面会する予定だった。
「カローナ、自身の立場をわきまえなさい!!高貴な血が流れていても、貴方の立ち位置は王族の下なの。王族に不満を、まして任された執務を婚約者に任せるなんて恥を知りなさい」
第一王子は響く声に足を早めて執務室に入るとカローナが眉を吊り上げた第一妃のヒステリックな言葉の嵐を受けていた。第一王子は母親の豹変に目を見張り驚く。第一妃は第一王子に気付かずにカローナに甲高い声でキツい言葉を浴びせる。
第一妃は宰相から話を聞いた第二妃にカローナに執務を任せたことへの嫌味を言われていた。第二妃はカローナの勤勉さを褒め、教育が大変なら自身にも執務を回していいと微笑みながら無能な第一妃を罵っていた。第一妃だけは第二妃の言葉の真意に気付き怒りを覚えても国王と大臣が傍にいたため、微笑みながらカローナの希望と言え妃教育に力をいれすぎたと反省し第二妃の言葉に感謝するフリをした。第一妃にとって第二妃の言葉を受け入れるのは屈辱だった。
そして鬱憤の矛先は告げ口をしたと誤解されたカローナに向かっていた。
第一王子はカローナへの理不尽な叱責の嵐に顔を顰め口を挟む。
「母上、落ち着いてください。私はカローナに何も」
第一妃は愛息子に気付き、扇子を開き口元を隠して吊り上げた眉を下げ、微笑みながら優しくたしなめる。
「口出しはやめなさい。妃教育に必要な」
「カローナは私の妃になります。私が責任を持ちますよ。母上であっても、」
第一妃は口を挟み反抗的な第一王子に眉を吊り上げる。
「貴方、何を、母に向かって」
今まで第一王子は第二王子に負けないこと以外で特に指摘を受けなかったので反抗する必要がなかった。美しく微笑み王族としての教えを話す母が豹変しても、譲れないものは譲らない。
「私はカローナの婚約者です。父上が母上を一番大事にして、どんなことからもお守りするように、私もカローナにそうあらねばなりません。たとえ母上であっても。では、母上、失礼します。カローナ、」
第一妃は第一王子に国王が一番愛し、なによりも大事にしているのは正妃である。正妃は国王に一番愛された称号と教えていた。たとえ寵妃がいてもそれは、表向きであり事実は違うから騙されないように。第三妃が籠妃なのは真に愛する第一妃を守るためと教えていた。
後宮の争いをほとんど目にしなかった第一王子は信じていた。
じっとしていることが苦手な第一王子の子供の頃の遊び場は訓練場で後宮にいることはほとんどなかった。
第一妃は愛息子の反撃に無理矢理笑みを浮かべ、カローナに冷たい視線を向ける。
カローナは冷たく睨む第一妃と手を差し出す第一王子を見比べ、迷うことなく第一王子の手を取る。カローナにとって国王陛下の次は第一王子の命令が優先であり、第一妃はその下。
第一妃の癇癪に慣れているカローナは叱責されても、冷たく睨まれても動揺せず、王族、とくに婚約者に望まれる行動をするだけである。
第一王子は張り付けた笑みを浮かべたカローナの手を繋いで、馬車までエスコートする。馬車に乗り込み二人っきりになると頭を下げた。
「カローナ、すまない」
カローナは第一王子の行動に目を丸くして息を呑む。王族に頭を下げさせるなど不敬であり第一妃に知られれば叱責ですむかわからない。震える手を握り動揺を隠して笑みを浮かべる。
「殿下、恐れながらどうか頭を上げてください。至らないのは私です」
「母上はいつもああなのか」
頭を上げた第一王子にほっとしたカローナの安堵は一瞬だった。
カローナは王族への不満は許されないので、笑みを浮かべて小首を傾げて無言を貫く。二人の親子喧嘩はカローナの許容範囲を超えていたができることはない。第一王子を大事にしている第一妃が荒れ、当たりが強くなり書類に向かう時間が減るのを覚悟して気を引き締めるだけである。
第一王子は無言で微笑むカローナと動揺していなかった侍女達を見て察した。王子達の喧嘩を見れば家臣は慌てる。侍女が動揺しないのはいつもの光景だからと。
第一妃がカローナを激しく叱責するのは腹心の侍女の前のみ。知っているのは独自の情報網を持つ妃達と仕える侍女だけのためトネリや第一王子の腹心でも調べられなかった。
「カローナ、明日は迎えにいく。ばあ様に会うから付き合え」
「恐れながら明日は第一妃殿下が」
「それは私が調整する」
「かしこまりました」
カローナは頭を下げる。第一王子の命令が優先であり、心の中でばあ様って誰と疑問に思ったのは口に出さない。
第一王子はカローナを自室まで送り、マグナ公爵夫妻に面会した。
「殿下、どうされました?」
第一王子は頭を下げる。
「今までカローナが私や母上の執務をしておった。また母上にも冷遇されていた」
マグナ公爵は目を丸くし、マグナ公爵夫人は窘める顔をして口を開く。
「殿下、頭を上げてください。王族が簡単に頭を下げてはいけません」
「だが」
顔を上げ、眉を下げて、後悔した顔をする第一王子を見てマグナ公爵夫人が驚きを隠して微笑む。高慢な視野の狭い第一王子の成長に。
「殿下、過ちは正せます。それにカローナが口に出さなかったのならあの子にも非はあります。ご用件は謝罪でしょうか?」
「謝罪もだが、カローナをばあ様に預けたい。妃教育は母上に任せたくない」
「あら?妃教育でしたら私が致しますよ。でも王太后様にはお顔を覚えていただいたほうがよろしいですね。カローナの教育は妃殿下から私に返してもらってよろしいですか?」
「ああ。すま、」
マグナ公爵夫人はイナナを嗜めるときと同じ顔をしたため、第一王子は謝罪しようとした言葉を止める。
「殿下、謝罪よりも頼りにしていただくか感謝していただければ嬉しく思います。臣下の心を掴む言葉選びも王族として大事ですよ」
「感謝する」
「はい。お任せください。皇女の名にかけてご満足いただけるように育てあげてみせますよ」
マグナ公爵夫人は皇女である。どんな国に嫁いでも困らないように厳しい妃教育を受け、教養も礼儀も全てにおいて妃達に負けない自信があった。公爵夫人なので分をわきまえて大人しくしているだけだったが第一王子を見ながら、教育の必要さを実感していた。マグナ公爵夫人には後宮に誇り高い王族がいるとは思えなかった。目の前の第一王子もぼんくらな貴族にしか見えない。
第一王子はマグナ公爵夫人からの晩餐の誘いは断り、先代国王夫妻に会うために馬を走らせた。
先代国王夫妻は王都から馬で3時間ほどかかる邸に隠居していた。
先代国王は武術を愛し、物理での解決を好んだため家臣達が必死に宥めて穏便な政策を進めてきた。唯一の救いは直感が優れていたこと。
もともと王太子は現国王の兄王子だった。兄王子が不慮の事故で亡くなり現国王が後を継いだ。兄王子は武よりだが母の厳しい教育のおかげで文武両道に育った。現国王は熱血指導の怖い父親が苦手で宰相に懐き文官寄りに育っていた。先代国王はやる気がないなら放置した。やる気のない王子を指導するよりも騎士達を指導する方が国益になった。物理で解決を好む王にとって精鋭騎士を育てるのは最も優先すべきことだった。
現国王の即位と共に先代国王夫妻は隠居した。
先代国王と現国王は方針の違いが激しく、家臣や民へ混乱を招くことを恐れて政治から手を引いた。その代わり先代国王は定期的に王宮騎士達を邸に招き指導している。
先代国王夫妻は騎士の育成に力を入れながら余生を楽しんでいた。夫の暴走を止め続けた王太后もようやく落ち着いた生活が送れて安堵していた。息子には優秀な家臣がついているので大丈夫だと心配していなかった。脳筋の夫でも治まる国なら最低限の常識さえあれば問題ないと信じていた。
先代国王夫妻と第一王子は隠居してからは関わりがなかった。
第一王子が関係を持ったのは伯爵時代。廃嫡になった第一王子が任された伯爵領は寂れているだけではなかった。孤児や浮浪者が溢れ、賊も多かった。そんな場所を任された孫を助けようと動いたのは国王の母親の王太后。第一王子が伯爵を継いで4年後に先代国王夫妻は亡くなったが、軌道にのるまで、騎士の派遣と資金援助をしてくれた祖母に感謝していた。第一王子に臣下としての態度を教えたのは王太后だった。
先代国王夫妻は突然訪問した孫に驚きながらも快く受け入れる。手紙の面会依頼にいつでもどうぞと返したが、当日の夜の訪問は予想外だった。
先代国王は第一王子の婚約者を守る力が欲しいという言葉に力強く頷く。
王太后は話を聞いて国王と第一妃に呆れた。そして第一妃に任せられないという第一王子の言葉に心の底から同意した。
婚約者に選ばれてきちんと教育を受けた第二妃と違い第一妃は妃教育をほとんど受けていなかった。妊娠中の第一妃には最低限の妃教育しか施せず第二妃がフォローを申し出て、息子が了承したので口出しをしなかった。
王太后は第一王子の話を最後まで聞き、幼女が気性の荒い第一妃の叱責のはけ口にされているのが容易に想像がつき心の中でカローナに謝罪した。
そして第一王子にカローナへの妃教育の手配を約束した。
いつの間にかたくましく成長した孫を見て、自身の息子の悪癖を受け継がないように願う。逃避癖があり、後宮の争いに胃を痛めても息子に同情の余地はない。妃を迎え入れると決めた本人の自業自得である。
自分の息子に任せれば、心の平穏のためにカローナを差し出す可能性もわかっていた。頼もしい兄王子の下で甘やかされて育った現国王は流されやすい。そして稀に欲のためなら他人を犠牲にする自分勝手な悪癖があると気づいたのは兄王子が亡くなってからだった。
****
第一王子の強引な動きと策は第二妃にとって余計なことだった。第二妃の描いているシナリオに初めて狂いが生まれた。先代国王夫妻は隠居し介入しないと読んでいた。
第一妃の心象が悪くなり、手駒に裏切られた姿は愉快でも、第一王子の強い後ろ盾が増えるのは避けたかった。
国王は両親に弱く今後のカローナの妃教育を第二妃が引き受けると言っても首を横に振った。どんなに説得しても無駄に終わり、
隠居しても影響力も発言力も強い王太后が第一王子の味方につくのは避けたいのに第二王子とは相性が悪かった。
第二妃は自身の駒を思い浮かべながら、白蛇に手ずから鼠を食べさせ飲み込む様子を眺めていた。
***
母親に新しい教師に会えるわと楽しそうな笑顔で送り出されたカローナは第一王子に連れられ馬車に揺られていた。
「殿下、どちらに」
「これからカローナの教育は母上ではなく、ばあ様とマグナ公爵夫人に任される。母上は多忙ゆえ、カローナまで手が回らない」
「かしこまりました」
カローナは第一王子の言葉に頷く。社交デビューから第一王子の態度の違いに戸惑い、馬車に乗っても握られている温かい手を静かに見つめる。
馬車が止まり、第一王子のエスコートで降りると広大な草原が広がり、小さい邸宅が何件か建っていた。カローナは第一王子に手を引かれてゆっくりと歩く。そよ風がふわりと吹き、花びらが風にたなびく様子を見てカローナはにっこり笑う。多忙だったカローナにとって風を感じたのは久しぶりだった。
「おお、来たか」
剣を手に持ち勢いよく振っている汚れた白いシャツとズボン姿の初めて見る大柄な男にカローナは目を丸くする。
「じい様、カローナです」
第一王子が敬語で話すので身分の高い相手と察したカローナは礼をする。
「お初にお目にかかります。マグナ公爵家カローナ・マグナと申します」
「小さいな。幾つだ?」
「6歳です」
「そうか。じいと呼べ。ここでは礼儀はいらない」
「かしこまりました」
カローナの貴族の笑みを見て先代国王は頭を乱暴に撫でる。
「カローナ、無理して笑わんでいい。子は心のままに過ごせばよかろう」
初めて乱暴に頭を撫でられたカローナは困惑しながらも笑みを浮かべる。
「突然、言われても困りますよ。私はばあやよ。カローナは私といらっしゃい。フィンはじい様と鍛錬かしら?」
カローナは笑みを浮かべながら近づく貴婦人の言葉にさらに困惑する。
第一王子の名前はフィリップ。王族の名前は神聖なものとされ王族以外が口にすることはほとんどない。第一王子は朗らかに笑う祖母に笑みを浮かべ、カローナの手を解き、かがんで視線を合わせる。
「カローナ、大丈夫か?」
「お気遣いいただきありがとうございます。私は」
ずっと張り付けた笑みを見せるカローナを先代国王が抱き上げ肩に座らせる。
「え?」
「カローナ、その顔は止めよ。婚約者の前では特にな。貴族の顔は大人になってから覚えよ」
「大人になっても身に付かなかった方の言葉ではありません」
カローナはいつもより高い視界に一瞬だけきょとんとしてまた得意の笑みを浮かべる。突然風を感じカローナの体が宙高くに投げだされる。
「え?」
第一王子は祖父に空高く投げられ落ちるカローナを慌てて抱きとめる。
「じい様!?」
カローナは恐怖で貴族の顔はできずに、瞳から涙が零れる。
「カローナ!?医務官をすぐに」
「フィン、優しく抱きしめてあげなさい。カローナの涙を止めるのは貴方の役目よ」
すでにカローナは第一王子の腕の中。カローナの涙を初めて見て焦る第一王子はどうすればいいかわからず、腕の中の顔を弱った顔で見つめる。
「カローナ、どうすればいい?」
情けない第一王子に王太后が苦笑し、落ち着きを取り戻したカローナは涙を拭って貴族の笑みを浮かべる。
「殿下、お気遣い」
「カローナよ、もう一度」
先代国王の言葉と視線を受けカローナは笑顔で固まる。
「え・・」
「カローナ、ありがとうだけでいいの。婚約者には甘えるものよ」
「殿下、ありがとうございます。もうし」
カローナは笑みは駄目と言われたので穏やかな顔を作り感謝と謝罪を口にしようとしたが視線を感じて途中で言葉を切る。また投げられるのは恐怖だった。
王太后は息をするように貴族の顔をするカローナを見て眉を吊り上げ息子を厳しく叱ることを決めた。
「カローナ、私が貴方に妃教育を教えるわ。今日の課題は1日自由に過ごしなさい。お昼になったら戻ってきなさい。さきにうちを案内しないとね。フィン、お昼にね」
第一王子の腕から降ろされたカローナの手を繋いで、王太后はゆっくり歩き出した。カローナは邸を案内された後、自由にしなさいと一人で庭に残され呆然とする。立ちすくみしばらくすると体を包むそよ風に気づきぐるりと回る。緑か溢れる自然豊かな風景に頬を緩ませ青い空を見上げる。
カローナにとって何も予定のない時間は久しぶりだった。遊んであげたいイナナはいない。カローナは思いきって草原にごろんと寝転びもう一度空を見上げた。本当なら第一妃にに叱責され、書類に追われている時間である。都合のいい夢かもしれないと思いながらゆっくりと目を閉じた。そしてポカポカの陽だまりの気持ち良さに現実を知ってから初めて陽だまりの妖精を思い出した。妖精の言葉の通りカローナのだらだら過ごしたいという夢が叶った日だった。
第一王子は昼食の時間になっても姿のないカローナを探していた。
庭で気持ちよさそうに眠っている姿を見つけ笑みを浮かべて膝を折る。
「カローナ、カローナ」
カローナは呼ばれる声に目を開けるとぼんやり金色が視界に入る。
「サン?」
ゆっくりと起き上がったカローナは金髪の髪を見て、陽だまりの妖精のサンではないと気付く。
「殿下?」
「ああ。食事だ」
「申し訳ありません」
「構わん」
第一王子は頭を下げるカローナに手を差し出し、重ねられた手をそっと引いて立たせゆっくりと歩き出す。カローナは第一王子が機嫌を損ねた様子はないことに安堵し笑みを浮かべて従う。
カローナにとって新しい教師から与えられる課題は不思議なものばかり。
王太后に次の課題は第一王子の前で貴族の顔をしないようにと言われ戸惑っていた。
マグナ公爵夫人と王太后による正しい教育が始まっていた。
週に2回王太后の元にイナナを連れてカローナは第一王子と共に通った。カローナにとって無理難題だが、イナナのおかげでカローナは素の顔を王子の前で少しずつ見せられるようになっていく。イナナは姉と過ごせる時間が増えたのは第一王子のお蔭と両親に聞き、少しだけ感謝し王子を睨むのを止めた。
カローナの教育と同時に第一王子も教育されていた。
第一王子は王太后や騎士達に女心を教わっていた。
伯爵時代に王族の視点は独特なので多くの者の意見を聞き、じっくりと考えることを祖母から教わっていた。そして、人間関係や感情の機微は権力のある貴族よりも力の弱い者達の方がよくわかっているとも。
王子は過去の自分の行動に全て駄目出しを受け、正しい女心を学び始めてからは、他の令嬢達とは必要以上に関わらず、カローナだけを側にいることを許した。カローナの友人でないなら、形式以上に優遇する必要もなかった。
カローナの王宮での教育がなくなったため、王子は頻繁にマグナ公爵家を訪ねて面会をした。
イナナの同席も許し、三人でお茶を飲むのは王子の日課の一つ。マグナ公爵夫人の計らいで、マグナ公爵邸に泊まるときはカローナと星空の散歩をする。
いくら勉強しても女心に疎い王子は、教えてもらった内容をトネリに、相談しながら実行していた。トネリは主の致命的な弱点に気付き、侍女達に相談しながらカローナとの仲を応援する作戦を考えていた。鈍感で女心がわからない見目麗しい王子の恋を侍女達は楽しみながら快く協力した。
先代国王夫妻よりカローナへの干渉不要と厳しく叱られた国王は第一妃に自身の執務のみ励むように伝える。また振り分けた執務は国王が王子達に直接渡しカローナのものは第一王子に託した。国王として王子や妃の執務を把握していなかったことも諫められていた。幾つになっても国王は怖い両親には絶対服従だった。
第二王子は外交から帰ると第一王子とカローナの雰囲気が変わり、目を見張る。第一王子に貴族の笑みしか見せなかったカローナが愛らしい笑みを浮かべ、公務以外で王宮で見かける二人は手を繋ぎ、常に一緒にいた。
二人の仲を邪魔するため第一王子の傍に配置した令嬢がいないので、話を聞くと第一王子達に近寄ろうとすると近衛に止められ近づけなくなったと報告を受けた。
王太后達の教育のおかげでカローナと第一王子の関係が変わった。
カローナは第一王子への不信も警戒心もなくなり、強引で言葉足らずでも、優しいことを知った。カローナにとって一番救いだったのは第一王子に疎まれてないことがわかったこと。
最初は第一王子がカローナを追いかけ傍にいた。次第にカローナも第一王子を探し、傍にいるようになった。そのため訓練場では、第一王子が鍛錬するのを木陰で本を読みながらカローナが待つのは日常の一コマだった。
第二王子は第一王子に、笑みを浮かべて近づき第一王子にしか聞こえない声で囁く。
「兄上、剣ばかり奮って余裕ですね。取り柄は剣だけの」
「人には向き不向きがあろう」
「兄上の苦手を補う年下の婚約者がいて」
「私にはもったいないがな、相応しくなるように励まないといかん」
第二王子は挑発に反応しない第一王子に蔑んだ視線を向ける。第二王子に気付いたカローナが立ち上がり慌てて二人に駆け寄る。カローナは第二王子がすぐに第一王子を挑発する癖があるのを知っていたので、喧嘩をさせないように常に気をつけていた。駆け出したカローナに気付いた第一王子がカローナのほうに歩く。
「カローナ、走るでない」
「フィン様、」
第二王子から視線を外しカローナに優しく微笑む第一王子の頭にはもう第二王子はいなかった。第一王子の最優先はカローナが笑顔でいること。
カローナは言葉足らずの第一王子の言葉を理解できるようになっていた。「転ぶと危ないから呼べばいい」と隠れている言葉を拾い、第二王子と喧嘩する様子もないのでニッコリと笑う。
手を繋ぐ仲睦まじい幼い婚約者達を第二王子以外が温かく見守っていた。第二王子は第一王子に手を繋がれ、自身の前で「おかえりなさいませ」と挨拶をするカローナに笑顔で挨拶を返す。
王宮を離れて二週間の間に自身の策の乱れを知り、口元を緩ませる。
シナリオにイレギュラーはつきものだった。第二王子の歪みに気付いている者はこの場には誰一人いなかった。
読んでいただきありがとうございます。
王様とカローナの両親については、次話でもう少し綴る予定です。
第一王子とカローナも次話こそは出番を増やしますので気長にお待ちいただけると幸いです。
どうして、主人公達の影が薄いんだろう。
お付き合いくださりありがとうございました。