第一王子のやり直し 1
たくさんの評価、ブクマに感想をありがとうございます。
たくさんの人の目に触れ楽しんでいただき感動しています。
第一王子の幸せになるお話が読みたいとありがたい言葉をいただき、感謝をこめて1話のつもりが、想像以上に長くなってしまいました・・。たぶん3話か4話位で終ると思います。どうしても王子殿下が頼りなくて・・。
パラレルであり境遇が変わるので、性格も物語の雰囲気も変わってます。格好良い王族は出てきませんが、ご都合主義の第一王子とカローナの(たぶん)幸せなお話を許していただける方だけ読んでいただけると幸いです。
朝日が差し込み一人の男が短い人生を終える瞬間だった。
いつもはどんなに声を掛けても消える黒髪の少女が振り返る夢を見た。顔はぼやけて見えない。
都合のいい夢でも会いたかった。あの赤い瞳に見つめられ、共にいた頃に戻りたかった。先を歩くのではなく、足を止めて常に隣で守りたかったと帰らぬ少女を想い一筋の涙を流して息を引き取った。
ローブを着た少女が輪廻に戻る前の魂に手を伸ばした。少女にとって、なぜか懐かしい魂の色を持つ魂を両手で包み込み記憶を覗く。
一人の少女への後悔と絶望と羨望を抱え狂ってもなお、王族としての務めを果たした元王子。
覚えたての新しい魔法を試したい少女は、呪文を唱え本を作る。そして本を開き魂を落とした。魂が本に吸い込まれ、少女がパタリと本を閉じると本が消えた。
少女は魔法の成功に笑みを浮かべて姿を消した。人に迷惑をかけてばかりの気まぐれな少女が起こした数少ない善行だった。
****
昨日まで空を覆った雨雲が消え、サンサンとした太陽が姿をみせ、澄んだ青い空に白い雲、主にとって大事な日に晴れた空を窓から見上げて笑みを浮かべた少年はぐっすり眠る主に声を掛ける。
「殿下、起きてください。殿下、」
耳に馴染んだ声に目を開けると第一王子の目には温和な笑顔の少年が映る。
「どうぞ」
第一王子は少年に差し出されたお盆の上にある氷水の入ったグラスを見て、ゆっくりと起き上がると体の軽さに驚く。お盆の上のグラスを受け取り氷水で喉を潤し、冷たさに目を見張る。少年が差し出したお盆に第一王子が空のグラスを置いた。
「おはようございます。朝食の準備が整っております。第一妃殿下は陛下と食事を共にされると承っております」
第一王子の目に映る部屋は王宮の自室とそっくりだった。第一王子は何度か瞬きをして、独特の影の薄さを持つ見覚えのある少年を見つめ口を開く。
「トネリか?」
第一王子の侍従であるトネリは様子のおかしい4歳年下の主に優しい視線を向ける。今日は第一王子にとって大事な日。緊張とは無縁の不器用な主に温和な笑みを浮かべたまま優しく問いかける。
「はい。どうされました?」
第一王子にとって王宮の自室に懐かしい面影。目の前のトネリといつも側にいたのは、
「カローナは!?」
「カローナ様はマグナ公爵邸です。準備を」
第一王子は本能のままに枕もとの剣を持ちベッドから飛び出す。窓を開け、夜着のまま颯爽と外に出て行き全速力で駆け出した。
「殿下、どちらに、そのお姿は、殿下!?」
第一王子は奇行を呼び止めるトネリの声は耳に入らず最短距離で厩を目指していた。
トネリは慌てて第一王子の服を持ち厩に行くと第一王子の愛馬はすでにいない。第一王子はお忍びの予定はトネリにいつも話していた。護衛も連れずに夜着のまま飛び出した第一王子の奇行を周囲に知られてはまずい。トネリは飛び出した主には追い付けないので、騎士の詰め所に訪ね騎士の友人に第一王子の極秘の捜索の手配を頼む。
捜索を友人に任せたトネリは第一王子から預かっている銀貨を使い、各所の口止めに回る。
第一王子は王子の中で武術に一番熱心で、騎士達の訓練場に頻繁に足を運ぶ。王子の中で唯一騎士達に混ざり、懸命に訓練する姿は心象も良く第一王子は武官に人気が高く支持を集めていた。第一王子の高慢な性格はさらに高慢な将軍に師事する騎士達には微笑ましくさえ見えていた。そのため、第一王子の奇行を目にした警備担当の騎士達は銀貨を渡すと笑いながら口止めを了承してくれた。
トネリは口止めの手配を終え、騎士達の報せを待ちながら第一王子の不在を隠す相談をするために文官の友人を探す。
主の生母の第一妃に知られ、自分が叱責を受けることよりも、第二王子に知られ挑発の材料にされるのは避けたかった。
第一王子と第二王子は仲が悪く顔を合わせると兄弟喧嘩が始まるのは王宮の常識である。いつも挑発するのは第二王子。だが静かに語る第二王子より怒気を声に含ませ高慢な口調で応戦する第一王子の姿に全て原因は第一王子と囁かれる。喧嘩をするのは第二王子を支持する文官達の前なので噂の回りも速く第一王子への批難の声が強くなる。どんなに否定しても第一王子専属で第一王子に拾われたトネリの言葉は誰も信じない。トネリにできるのは、二人を会わせず挑発材料を作らないように気を付けることだけだった。
第一王子はマグナ公爵邸を目指していた。
馬で疾走している金髪にマグナ公爵邸の門番は条件反射で門を開ける。第一王子は馬を降り、勢いよくマグナ公爵邸の扉を開ける。
カローナは久しぶりにゆっくりできる朝だったのでイナナと手を繋いで朝食に向かう途中だった。勢いよく開いた扉から見える金髪に驚きを隠し、イナナの手を解き礼をする。
第一王子は真っ黒な髪を見て駆け寄り礼をするカローナの肩に手を置いた。カローナの目がゆっくりと開き赤い瞳の色を見て、第一王子はかがんで視線を合わせる。
焦がれた色を見つけて、頭を下げるカローナの頬を震える両手で包みこみそっと顔を上げさせた。
「カローナ、すまなかった。私はそなたに、酷いことを」
カローナは第一王子の弱った声と行動に驚きながらも平静を装い微笑む。
「殿下、どうされました?」
第一王子は自分を見つめる赤い瞳と呼ぶ声に目頭が熱くなり、泣きそうな笑いを浮かべ、ずっと伝えたかった言葉を口にする。
「カローナ、私は一度もそなたを頼りないと思ったことはない。そなたが婚約者で良かった。ずっと謝りたかった」
カローナは第一王子にずっと疎まれていると思っていた。6歳のカローナは第一王子の傍にいる令嬢達には家柄以外は敵わず、能力も劣り、容姿も、全てにおいてふさわしくない。第一王子と挨拶以外で話すのは令嬢に囲まれる王子と飲むお茶の時間だけ。王子にふさわしくないカローナは疎まれるのも相手にされないのも当然と受け入れていた。
カローナが第一王子とマグナ公爵家で会うのも、ここまで近い距離で言葉をかけられ、触れられるのも初めてだった。
見たことのない第一王子の様子に戸惑いながら、王族の言葉は絶対であると第一妃の教えを思い出しても正しい対応がわからない。そして第一王子の顔が誕生日を共に祝えないと伝えた時の妹の我慢して精一杯笑う顔にそっくりで視線を逸らせなかった。
「殿下、どうされました!?襲撃ですか!?」
執事に報告を受けたマグナ公爵は剣を片手に部屋を飛び出し階段を慌ただしく駆け降り、見つめ合う二人に近づいた。第一王子は緊迫した声を聞きカローナから視線と手を放して、マグナ公爵の強張った顔を見た。
温厚で穏やかなマグナ公爵が緊迫した空気を纏う様子に、第一王子は我に返り苦笑する。10年間伯爵を務め、臣下の常識を知った王子は、先触れのない早朝に王子がマグナ公爵家に夜着のまま駆けこめば、襲撃等を疑われているのがわかり、首を横に振る。
「非常識な訪問を謝罪をする。どうしても、カローナの、」
マグナ公爵は落ち着いた声で謝罪する王子らしくない姿に驚きながらも、緊迫した状況でないと気付き安堵の息を吐く。
カローナは高慢な第一王子が謝罪する姿にさらに戸惑う。それでも言葉を濁した第一王子の意図に気付いて得意の笑みを浮かべた。
「殿下、何かご用でしょうか?」
第一王子はカローナの見慣れた貴族の笑みに顔を顰める。第一王子の好きな顔でも、第三王子に笑いかけていた顔と違っていた。
「顔が、見たかった。辛いことはないか?」
カローナは第一王子の眉間の皺と聞いたことのない優しい声に戸惑い、困惑していた。それでも、本音や不満を口に出してはいけないという第一妃の教えを優先し得意の笑みを崩さない。
「ありません。お気遣いありがとうございました」
綺麗な礼をするカローナを第一王子はじっと見ていた。
「お姉様、お時間がありませんよ。恐れながら、殿下、お姉様はこれから」
最愛の姉との時間を邪魔し、姉を困らせている第一王子をイナナが睨んでいた。
カローナはイナナの不敬に焦り、落ち着かせようと肩に手を置く。それでも睨むのをやめないイナナに意識して冷たい声を出す。
「イナナ、不敬です。控えなさい」
第一王子は咎めるカローナを見て苦笑する。昔の第一王子ならわからなかったが、臣下としての生き方を学んだ第一王子は違った。臣下にとって王族がいかに絶対的な存在でどんな横暴も表面的には不満なく叶えてもらえる立場にいることを。
「カローナ、不敬にせん。イナナ、最後まで申せ」
カローナは第一王子の言葉に口を閉じる。聞こえる穏やかな声に怒気を含んでいないのだけが救いだった。幼い妹が不敬罪で裁かれることを避けたいカローナは厳しく咎めるフリをした。カローナはこれ以上王子の機嫌を損ねないように、妹が余計なことを言わないように願いながら王子に静かに従うことを選んだ。
すでにカローナは第一妃の教育により、声で感情を読み取る能力を身につけていた。そして相手の考えを読む癖も。
「お姉様は身支度に時間がかかります。お迎えにくるには早く、相応しくないかと」
イナナには姉の願いは届かない。
淑女教育が途中のイナナは第一王子を眉を吊り上げて睨んでいた。大好きな姉を困らせたり悲しませることはイナナにとっては重罪であり、姉を取り上げる王家も嫌いだった。
「殿下、お食事がこれからでしたらご一緒にいかがですか?」
イナナの苦言を朗らかな笑みを浮かべたマグナ公爵夫人が遮り、第一王子に近づく。
カローナは第一王子の視線が外れたイナナを宥めるように頭を撫でる。王子の許しがあっても王族に叱責は恐ろしすぎた。イナナの不機嫌な顔が笑顔に変わって、一安心すると母親が第一王子に朝食に誘う光景に目を丸くする。
元皇女のマグナ公爵夫人にとって第一王子は単なる子供であり、王族への気遣いも一切の遠慮もない。マグナ公爵夫人を嫌う第一妃の所為で二人は公式以外で面識はなかった。
「殿下、朝食は大事ですよ。成長期なら尚更」
皇女でも嫁いだら公爵夫人であり王族への不敬は許されないと教えられていたカローナは母親を真っ青な顔で見上げる。
第一王子は朗らかな笑みで強引に誘う夫人に断るのも失礼かと頷き、張り付けた笑みを浮かべるカローナの前にゆっくりと手を差し出す。
「このような格好ですまないが・・・」
気まずい顔をする第一王子に伸ばされた手に、カローナの行動は決まっていた。どんな状況でも第一王子の心のままに従うだけである。カローナは恐怖を隠して得意の笑みを浮かべてそっと手を重ねる。
「光栄です」
第一王子は重ねられた小さい手に夢でも再び握れた手が嬉しくてたまらず無意識に笑みをこぼした。極上の笑みを浮かべた第一王子にカローナが目を丸くして、慌てて貴族の笑顔を纏い直したのに気付かなかった。
マグナ公爵夫人によりマグナ公爵とイナナはすでに移動していた。
第一王子の朝食の席はカローナの隣に用意された。カローナは父が上座に座っているのに、戸惑いながらも母親の笑顔を見たら何も言えずに、自分をエスコートした後に躊躇なく隣に座った第一王子に笑みを浮かべたまま怯えていた。食欲が一切なくなり、真っ青な顔で運ばれてくる料理をただ見つめた。
第一王子がマグナ公爵邸で食事をするのは初めてだった。並ぶ料理は王宮で用意されるものとほとんど変わらないがカローナだけはスープとフルーツだけだった。
カローナは第一妃により厳しい教育を受け、社交デビューで醜聞は許されないとプレッシャーをかけられ、日々食欲が落ちていた。第一王子はカローナの顔色が悪いことにようやく気づく。
「カローナ、具合が悪いのか?」
マグナ公爵夫人が心配そうな王子に朗らかに笑う。
「緊張して、食事が喉を通らないのです。初めての公式の場でのお披露目ですから。自分で決めたのに、この子ったら」
「お姉様が一番可愛らしいから大丈夫ですよ!!私とお母様と三人で選んだドレスを着たお姉様は妃殿下にも負けません。世界で一番」
「イナナったら、」
第一王子はスープを口に運びながら、イナナとマグナ公爵夫妻がドレスで盛り上がる会話を聞いていた。カローナは無言で笑みを浮かべながらゆっくりとスープを口に運び無理矢理流し込んでいた。誰一人カローナが恐怖に襲われていることに気付かない。
「カローナお嬢様、王宮より使者が」
カローナは執事に声を掛けられゆっくりと立ち上がる。不安でも王子の接待は両親に任せ王家の使者は最優先で迎えるという第一妃の教えに従う。カローナは王子に礼をして、両親に退室の挨拶をして足早に出ていった。
席を立ち第一王子に礼をして退室したカローナを第一王子が追いかけた。
「第一王子殿下からカローナ様に贈り物です」
「ありがとうございました」
カローナは笑みを浮かべて、贈り物を受け取り執事に使者のもてなしを命じる。第一王子が使者の言葉を聞いてカローナに近づく。
「カローナ、中を開けてくれぬか」
「かしこまりました」
カローナが箱を開けると紫色のドレスが入っていた。第一王子は贈った記憶を忘れていたがカローナが社交デビューで紫のドレスを纏い大人びた化粧をしていたのは覚えていた。イナナ達が桃色のドレスの話で盛り上がっていたのを思い出し、顔を顰める。
「カローナ、すまぬ。手違いだ。それは預かる」
「え?」
第一王子は困惑を隠して微笑むカローナの手から箱を取り上げる。
マグナ公爵家の執事に案内されたトネリが第一王子に近づき一礼した。
「殿下、こちらにお召しかえを。そちらは?」
「私もわからぬ。これを知っておるか?」
トネリは第一王子から渡された箱を受け取り中身を確認しても、見覚えなく贈り物の手配も頼まれていなかった。
「いえ、私は存じませんが」
「そうか。それはいらん」
第一王子はドレスへの興味を失いトネリから渡された上着に袖を通した。
カローナは状況がわからないが、第一王子の夜着姿を見て最優先は着替えと気付き、王宮の使者に口止めするように執事に命じる。
「殿下、お部屋にご案内します」
「ああ」
第一王子はカローナに手を差し出すと、カローナは戸惑いを隠し笑みを浮かべて手を重ねる。カローナは初めてのお披露目よりも第一王子の態度の変化と家族の不敬に戸惑いも怯えも隠し笑みを浮かべてエスコートを受け部屋に案内した。
「カローナ、準備に行くがいい。また後で迎えにくる。邪魔したな」
「かしこまりました」
カローナは苦笑する第一王子に礼をして退室し自室に戻り、控えていた侍女のポプラに困惑した顔を向ける。
「ポプラ、殿下がおかしいんだけど、医務官が」
「お嬢様は準備です。殿下がお一人でいいと仰せです。時間がありません」
カローナは鬼気迫る顔をする侍女のポプラに促され、最後の磨き上げの準備に連行された。全身を気合いをいれて洗われたカローナは薔薇の花びらの浮かぶお湯につかりながら、ぼんやりとしていた。本番の前にすでに心労で疲れ果てていた。そして第一王子の訪問が第一妃に見つからないように祈った。知られれば叱責を受けるのはカローナ。第一妃と3年も向き合えば、叱責される誘因をある程度は心得ていた。カローナは相手の思考を読み、向けられる感情に敏感なのは気性の荒い第一妃とカローナを潰そうとする意地悪な令嬢達のお陰で磨かれた能力だった。心労で黄昏はじめたカローナはポプラに声を掛けられるまでずっとお湯につかっていた。
第一王子は着替えをすませ、マグナ公爵夫妻に挨拶をして王宮へ馬を走らせていた。今日が婚約披露なら用意するものがあった。
「トネリ、カローナに贈り物を用意しておらん。手配を」
「かしこまりました。どのようなものを?」
「何が喜ぶだろうか」
「お菓子や縫いぐるみですかね。まだ幼いカローナ様には装飾品や花束は早いでしょう。妹君と共に楽しめるものなど」
「カローナ好みの菓子と縫いぐるみの手配を頼めるか?私の支度にトネリはいらぬ」
「かしこまりました」
トネリはいつも自分に世話をされていた第一王子の様子の違いに戸惑いながらも、命令を叶えるために動き出す。
第一王子は用意された服を身に付けながら考えていた。
鏡に映る自身は子供の姿。顔を見たカローナも幼い姿だったのを思い出した。
都合のよい夢かと苦笑し、それでも焦がれた瞳を向けられ、触れられた。小さくて幼いカローナを思い出し夢の中でも辛い思いをしないように今度こそ守ろうと拳を握って決意を固める。
第一王子はずっと後悔していた。何も気づかずに傷つけた婚約者。それでも帰ってきてほしいと願うのをやめられなかった。カローナが側にいないのは悪い夢だと思いたくても、何度目を醒ましてもカローナはいない。現実に気づくと罪悪感に襲われた。それでも、傷つけ去ったカローナがいないとわかっても面影を探すのをやめられなかった。伯爵として民を豊かにするために務めを果たすのは王家に生まれ王子の義務。苦しんでいる民や荒れた土地と向き合っていると時々懐かしい面影を見つけた。いつもお茶を淹れ、静かに佇み微笑むカローナの幻を。カローナが甘い香りのお茶が苦手な王子のためだけにブレンドして用意したお茶を飲む時だけが満たされる瞬間だった。
第一王子は数人の家臣を呼び寄せ、カローナの予定と公務と交友関係を調べるように命じる。
第一王子が指示を出し、しばらくするとトネリがお菓子と二匹の兎の縫いぐるみが詰められたバスケットを持ち顔を出した。
「殿下、こちらを贈り物に」
「感謝する」
第一王子は馬車に乗り込み、マグナ公爵邸に向かう。
マグナ公爵邸では桃色のドレスに身を包んだ緊張して顔色の悪いカローナが座っていた。
「お姉様、可愛らしいです。きっと世界で一番、イナナも一緒に行きたい」
「イナナのほうが可愛いよ。ありがとう。イナナのドレスは一緒に選ぼうね」
カローナは無邪気な笑みを浮かべるイナナに笑みを返す。イナナの笑顔のためにもカローナは頑張らないといけない。醜態を晒して、婚約破棄されれば次の候補はイナナであり、カローナは可愛い妹に辛い思いはさせたくない。王宮という冷たい世界は見せたくなかった。
第一王子の訪問の報せにマグナ公爵夫妻とカローナとイナナが礼をして迎える。
愛らしい装いのカローナに第一王子は笑う。
「よく似合っておる。カローナ、祝いだ」
カローナは第一王子からバスケットを渡され首を傾げる。
バスケットの中身は可愛らしい兎の縫いぐるみと美味しそうなお菓子。以前、誕生日に贈られた縫いぐるみを受け取り、第一妃に叱責を受けていた。優先すべきは第一王子であるが、素直に受け取るのは躊躇われた。
「恐れながら殿下、これはいただいてもよろしいんでしょうか?」
「ああ。カローナへの贈り物だ。イナナと揃いの兎は気に入らんか?」
カローナは二匹の可愛い兎を見て口元が緩んだことに気遣き慌てて貴族の笑みを浮かべる。
「妃殿下にお許しいただけるでしょうか?」
第一王子はカローナの反応に首を傾げる。
「母上がなにか言っておったか?」
「はい。縫いぐるみは王族の婚約者の持つ者に相応しくないと」
第一王子はそんな教えを受けていない。そして王族として相応しくない物を各々が持っているのも知っていた。
「気にせず好きな物を持てばいい。第二妃殿下は蛇を飼っておる。公さえしっかりしていれば咎められん」
「かしこまりました。ありがとうございます」
カローナは第一王子の言葉に安堵してバスケットに手を伸ばした。
「カローナ、贈り物を喜ぶのは後にしなさい。そろそろ行かないと、」
「イナナ、あとで一緒にいただこう。それまで預かってて。行ってくるね」
優しく笑うカローナにバスケットを渡され不機嫌な顔で姉と王子とのやりとりを眺めていたイナナはニコッと笑い返し両手を伸ばして受け取る。可愛らしい縫いぐるみと笑顔のイナナの組み合わせにカローナの頬が緩みニッコリと笑う。
「はい、お待ちしてます。お気をつけていってらっしゃいませ」
「カローナ、私が傍にいるから心配いらん」
「そうよ。カローナ、殿下にお任せしなさい。緊張には慣れしかないわ。それに私達もいるわ」
カローナは気を引き締めて第一王子の差し出す手にゆっくりと手を重ね微笑む。どんな言葉を受けても緊張は抜けない。それでも可愛く笑うイナナを守るために頑張らないといけない。
馬車の中で第一王子はカローナの手をずっと握り考え込んでいた。隣で微笑むカローナが緊張しているようには見えない。化粧され、頬紅を塗られた顔の下は今朝見た青白い顔なのかと思いながら見覚えのある顔のカローナを見つめた。
「カローナ、具合が悪いなら教えよ」
「お気遣いありがとうございます」
「私は王子だ。何があろうと守る」
「殿下?」
「信じられぬよな。すまぬ。今日は私に任せればいい」
カローナは第一王子の神々しい黄金の強い瞳に見つめられ、戸惑っていた。それでも、第一王子が嘘をついているようには思えず、ずっと繋がれた温かい手に笑みを溢した。許されなくても第一王子の隣にいることを歓迎される令嬢達が少しだけ羨ましかった。
「ありがとうございます」
第一王子はいつもとは違う柔らかい笑みに一瞬目を見張り笑みを返した。
自分がカローナを見ていなかったのに気付いた。いつも笑みを浮かべて寄り添っていた少女は幻だった。たくさん傷つけた大事な婚約者。自分が傍にいればまた傷つけるかもしれないと思いながらも繋いだ手を放したくなかった。そして幻でも切なくても、見慣れた笑みに胸が熱くなるのを止められなかった。
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会場に入ると第一王子とカローナは視線を集める。初めて社交界に足を踏み入れる第一王子の婚約者のカローナは注目の的だった。金髪の美しい王子にエスコートされる可憐な幼い令嬢に会場の視線は釘付けになる。会場で一番小さい外見に似合わず、カローナの洗練された美しい所作に貴族達は感嘆の声を上げていた。
檀上で堂々と自己紹介と婚約披露の挨拶を終えて、第一王子の隣で祝いの言葉を受けながら、聡明な言葉選びと上品な笑みを浮かべる様子は王子の婚約者として相応しいと称賛された。
また第一王子と軽やかなステップを踏み踊る仕草は絵画の天使と妖精のようで美しいものを好む貴族達には高評価だった。
それでも慣例を変えて、2年も社交デビューを早めた事情を理解できる貴族はいなかった。
第一王子と共に選んだドレスを着ていないカローナに一部の令嬢達は絶句していた。似合わないドレスを着て、高いヒールの靴につまずき醜態を晒し、いつもの淑やかな笑顔が崩れるのを楽しみにしていた。
一人の令嬢が第一王子の隣を独占するカローナに笑みを浮かべて近づく。
「このたびはおめでとうございます。マグナ様、殿下からの贈り物はどうされました?」
カローナは第一王子と親しい令嬢が贈り物を知っていても一切疑問に思わず、動揺せずに微笑み返す。
「ありがとうございます。殿下からの贈り物は邸に大事に保管させていただいております」
「年長者としてお教えしますわ。殿下の贈り物を身に付けないのは、婚約者としては・・・」
なだめるような口振りで言葉を濁す令嬢にカローナは困惑しながら返答を考えていた。王子の贈り物でも縫いぐるみを抱えて社交デビューは非常識であり第一王子にも何も命じられていない。初めて目の前の令嬢の意図の読めない言葉に笑みを浮かべて、続きを待つ。第一王子が笑顔で無言で見つめ合う二人に口を挟む。
「王宮には菓子も用意されておる。不満があるか?」
第一王子は成長しても空気が読めない所は変わらなかった。令嬢は頬に手を添え小首を傾げながら、悲しそうな表情を浮かべて第一王子を見つめる。
「殿下、せっかく殿下が用意したドレスを着ないなど殿下のお心を」
「祝いの席に酔いが回ったか。休むとよい。トネリ、」
第一王子は瞳を潤ませ、王子の言葉に羞恥に顔を染めた令嬢を酔いが酷いと勘違いして、トネリに休ませるように視線を送り、カローナをエスコートして立ち去った。カローナは第一王子の言動に驚いても微笑みを浮かべたまま口を挟まない。
社交界で飲みすぎる令嬢、特に王族に指摘されれば令嬢として品位がないと囁かれる。酔う姿を人目にさらすのは令嬢の中では立派なマナー違反である。トネリは礼をして第一王子の命に従い、令嬢を休ませるため別室に誘導した。令嬢が怒りに震えても王子の命令が優先だった。会場の視線が集まっており、王族の前で醜態を晒した令嬢を迎え入れたい家はないため、持ち上がっていた婚約話は取り下げられた。王子の優しさと気遣いが生んだ不幸な事故でも王族を批難し令嬢を擁護する者は誰一人いなかった。
「カローナ、食べたい物はあるか?」
「殿下?」
人混みから離れた第一王子はずっと微笑んでいるカローナを見て、ふと握っている手の冷たさに気付いた。
「挨拶も役目も終わった。あとは楽しむだけだ。今日はもう良い。帰るか」
「殿下?」
第一王子はカローナをエスコートし、国王に退席の挨拶をして会場を後にする。
幼いカローナが中座しても良識ある貴族達は誰も咎めない。また王子のエスコートを受けるカローナに批難を口にする者も。
「お待ちください、殿下、私と一曲」
「カローナと一緒におる」
「かしこまりました」
第一王子は追いかけてきた令嬢に笑みを向けて断る。ダンスを断るのはマナー違反でもずっと冷たい手のカローナを一人にしたくなかった。
カローナはいつもは自分に視線を向けない第一王子の視線がずっと向けられるのがくすぐったかった。そして生まれて初めてたくさんの視線に曝される緊張で震えた手を第一王子が温かく大きい手で包み込んでくれ、寂しくて怖い王宮で初めて一人ぼっちではない気がしていた。
カローナは第一王子に送られマグナ公爵邸に帰り、イナナと一緒に兎の縫いぐるみを抱いて眠った。
退席するときに第一妃は上機嫌な笑みを浮かべており、無事に役目が果たせたと安堵したカローナは久しぶりに熟睡できた日だった。
第一王子はカローナを送り王宮の自室に戻り、カローナのために用意させた椅子を眺めながら昔のカローナの社交デビューと婚約披露を思い出していた。地顔のカケラもない濃い化粧をしたカローナが気に入らなかった。そして気を引きたくて一人にした。不安な顔をさせたのにすぐに戻らず他の令嬢を優先させた。
第一王子はカローナとの接し方がわからない。どうすれば傷つけないか悩みながらうっすらと一つの教えを思い出した。
第一王子は着替えて、剣を持ち訓練場で訓練中の近衛騎士に声を掛けた。
「励んでいるな」
「殿下、どうされました?」
近衛騎士はパーティの護衛から外されていたので鍛錬をしていた。時々、訓練場に顔を出す第一王子は今日は来ないと思っていた。
「そなた恋人とはどう過ごしておる?」
近衛騎士はトネリの友人であり第一王子の護衛を務めることも多かったので突拍子のない質問も慣れていた。
「え?いや、あいつは欲がないから、二人でいるだけですかね」
「二人がいいのか?」
「それはもちろん。恋人といるのに、邪魔されたら嫌ですから。殿下にはまだ早いですかね」
「カローナを喜ばす方法も傷つけない方法もわからん」
「二人でお忍びに行きますか?潜んで護衛しますのでカローナ様の御身も必ずお守りしますよ。カローナ様も怖い令嬢達がいない方が安心するでしょう」
「怖い?」
「はい。大人げなくカローナ様に酷い言葉を浴びせる方が多いですから。お可愛らしいカローナ様が人間不信にならないといいんですが・・」
「あれらは友達ではないのか・・・?」
「ありえませんよ」
第一王子は年上の近衛騎士の邪気のない笑いを見ながら、令嬢とカローナの様子を聞くたびに背筋に冷たい汗が流れる。
「殿下!?大丈夫ですか!?」
近衛騎士は額に手を当て苦悩する第一王子に慌てる。
第一王子は自分が勘違いして、呆れるほど何も見えていなかった現実に途方に暮れていた。
友人と思っていた令嬢達が害悪とは知らなかった。
10年間罪悪感と自責の念を抱いていた第一王子はずっと自分がカローナを傷つけたと思い込んでいた。第一王子に通達されていたのは、第一王子へのカローナへの冷遇と大量の執務を任せていたことだった。茫然自失だった第一王子は事実を調べる余裕もなく、第二王子やイナナの回し者しか傍にいなかったため真実を伝える臣下もいなかった。
第一王子を支持する騎士達も遠方に飛ばされ、弟王子達に掌握された王宮で第一王子に手を差し伸べる者はいなかった。
「私は、カローナを、傷つけて、辛い思いを。友人だとばかり・・」
第一王子とカローナは別行動が多いことを知っていた騎士が具合が悪いのではなく悩んで落ち込む王子の様子に気づき笑いを噛み殺す。いつも自信満々な少年王子が落ち込む姿は初めてだった。少年王子の前で狡猾な令嬢達が本当の顔を見せないことも伯爵家出身の騎士はよくわかっていた。
「殿下、全てを把握するなんて無理ですよ。気付いたならこれからですよ。元気出してください」
「カローナを・・」
「殿下、ご命令を」
騎士に試すような視線を向けられ、第一王子は背筋を伸ばす。雰囲気を一変させ極秘でカローナに護衛をつけ、何かあれば呼ぶように堂々と命じる第一王子に近衛騎士は笑って頷く。第一王子の婚約者に護衛を用意するのは簡単だった。婚約者を守りたいと必死な姿は男としてさらに好感を持った。
何を考えているかわからない第二王子よりも、わかりやすい第一王子の側のほうが居心地が良い。目の前に困っている者がいれば躊躇いもなく薄汚れていても手を差し伸べられる第一王子。高慢なのは王族なら当然であり、見方を変えれば堂々として頼もしい。
命を預けるなら堂々と命じてくれる王がいい。
騎士は命を受けたので愛らしいカローナを守るために動き出す。個人的にも美人で性格の悪い令嬢よりも、優しくいつも笑顔の幼いカローナの味方だった。護衛をする騎士達に感謝や労りを告げる令嬢はカローナだけ。
第一王子はトネリに私室と執務室への令嬢達の立ち入りを禁止し、面会を断るように命じた。
トネリは第一王子の命令に安堵の息を隠して頷く。第一王子とカローナとの時間に必ず令嬢達が邪魔をする光景は二人が気にしなくても、非常識に思っていた。
読んでいただきありがとうございます。
第一王子の伯爵時代のことなど詳しいお話はもう少しお待ちください。
番外編のように暗いお話にはならない予定なので安心してください。(第一王子とカローナ以外の幸せはお約束できませんが)次話は少々お待ちください。