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妖探偵 九条桐乃  作者: 宮城まこと
カイコ編
3/6

第三話

 目を覚ますと同時に、俺は自分の身に起きたことを漠然と思い出した。

 アレは一体何だったのか。

 どうしてまだ父親の車の中にいるんだ。まさか夢の中で夢を見ていたのだろうか。

 いや、それは有り得ない。

 五感に訴えかけてくるものは、現実と相違ないものだった。それは前回でも同じことが言えた。今見ている世界が現実だという説明になっていない。

 いま、この状況が現実であると確信が欲しい。また目が覚めたら車の中だなんてまっぴらごめんだ。

「母さん。今日、哲平とキヨちゃんが家に来るって話し知ってる?」

 夢では哲平とキヨちゃんが引っ越し先の家を訪れた。俺に一切断りなく。まず初めに確認しなければならないのは、これだ。

「いや? そんな話知らないけど。もしかして今日二人来るの?」

 これで、母が俺に黙って二人に住所を教えてサプライズで俺を驚かせようと計画しているわけではなくなった。ならどうして二人は新居を知っている。


 次に神社のことだ。

 二人は執拗に神社に上がっていこうと誘ってきた。誰も一言もあそこの上に神社があるとは言っていない。まるで、階段の先に焼き爛れた神社があると知っているかのようだった。

 俺はスマートフォンの画面を点ける。

「!!」

 時刻は八時四十五分。

 また同じ時刻。これもまた夢なのか。それとこも今度こそ現実なのか。混乱のるつぼに突き落とされてしまいそうだ。

 落ち着け。落ち着くんだ。

 今俺が置かれている状況が現実という確証も、夢だという確証も無い。馬鹿らしいかもしれないが、二度も同じことが起きれば、空恐ろしくもなるだろう。

 夢に覚える日が来るなんて。

 鼻で笑うことも出来ない。あの転がり落ちた石階段の感触と痛みが、瞼を閉じるだけで突き刺すような鮮烈な感覚で蘇る。そして今が嘘かも知れないという虚無感。気が付けば、俺の身体は小刻みに震えていた。


 どうかまた夢でありませんようにと、小さく祈ることしか許されない。

 下唇を噛み震えたままでいると、いつしか車はあの新居に到着していた。

「おっ! 待ってました!」

「長旅ご苦労様です!」

 驚くというよりも、困惑した。新居の前に到着を喜ぶ哲平と労をねぎらうキヨちゃんが待っていたのだ。

「え……?」

 自分たちよりも先に新居に着いている。前回の夢では、到着してから現れたはずだ。引っ越しで物事が億劫になっている俺を元気づけるために。

「さーっ! 引っ越し手伝っちゃいますよ! 他の荷物はどこです?」

 キヨちゃんに急かされ俺は車を降りた。彼女はトランクに積み込まれた荷物を率先して手に持つ。この明るさと親切心が服を着て可愛くお目化しているような振る舞いは、初恋の人で間違いない。

「え? まだトラックが来てない? それなら樹のやつとここ散策に行っても大丈夫ですか?」

 持ち前の強引さで哲平は、呆然としている俺をよそに父と母に連れて歩く約束を取り付けてしまった。

「おっ、俺はいいや……」

 震えを気取らせないために大袈裟に手を振って申し出を断ると――背筋に悪寒が走る。


「せっかく俺とキヨちゃんが来てるのに、そりゃねぇだろ」

「どっか体調でも悪いの? 私たちと遊べは一発で治っちゃうよ!」

 この二人には着いて行ってはいけない。前回突き落としたのは姿こそなかったが、この二人に違いないのだ。何年も一緒にいて、勘違いをするわけがない。考えたくはなかったが。

 目の前にいるのは、彼らの姿をした何者か。

 姿や言動がどれだけ瓜二つだろうが、事情を抱える俺を無理矢理どうこうしようとはしなかった。寄り添って、同じ歩幅でいてくれるはずだ。

 やはり、あいつらはキヨちゃんと哲平ではない。ここから逃げなければ。



 甘言を振り切るため俺は全力で走り出していた。

 足の裏を通して全身に伝わるコンクリートの硬さ。次第に土の感触へと変わっていき、春だというのに薄ら寒い風がいやらしく頬を撫でる。

 のどかな田園風景。鼻孔を掠める土の香り。それ以外は何もない。逃げる場所も無く、助けを求める人もいない。正常な人間は自分だけなのかと閉塞感と焦燥感に擦り切れそうになってしまう。

 誰か。誰かいないのか。俺をここから連れ出してくれ。もういやだ、助けて。助けてくれ。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 夢中に、がむしゃらに走ったおかげですぐさま息を切らした。両手を膝について顔を垂れ流れる汗を地面に染みさせる。強張った身体を無理に動かしたせいで、予想以上に疲れが足に来ている。

「くそっ」

 もっと離れなければ。追ってくる可能性がまだある。どこまで逃げても安全とは言えない。

 ……たとえ、偽物であったとしても親友の二人を疑い、突き放す行為は後味が良いものではない。もしこれが本物だったらと過るだけで腹底から疲労と吐き気がせり上がってくる。

 鉛のように重い足を動かし、ろくに舗装されていない道を進もうとすると、冷たい感触に足を掴まれ地面に顔面から倒れ込む。


「っ!」

 視線を上げると、荘厳な山々が俺を見下す。

「どうして逃げるの? 私たち元気づけに来ただけだよ?」

 うしろからキヨちゃんの声がする。

「嘘つけ! お前はキヨちゃんじゃない!」

 俺が身体を翻し後ずさりしながら叫ぶと、彼女は憐れむ目で見つめ返してきた。そんな目で俺を見ないでくれ。

「我慢しているから疲れちゃったんだね。ごめんね、色々と気づいてあげられなくて」

 彼女は膝を折り、ぎゅっと優しく汗ばむ俺を抱きしめた。

「一緒にいようよ。そうすれば、面倒なこと考えなくてもいいんだよ?」

 胸の潮騒が乱される。彼女のすべてが俺を包む。このまま融けてしまえば、きっと面倒なことや、したくないことはしなくてもいいのだ。

 明日のことなんか……考えなくても良い。

「そう……明日のことなんか気にしなくても良いの。頷いてくれさえすれば、私が連れて行ってあげる。明日が来ない場所に」

 彼女が糸になって繭にでもなっているのか、とても心地いい。ずっとここにいたい。思考が鈍り始める。


「寂しくないようにしてあげる。頷くだけで良いんだよ? そうすればキミが望む私になってあげる。恋人にだって」

 最後の一言で、俺の失いかけていた自我が溢れ出る。

「やっぱり……お前はキヨちゃんじゃない! 離れろ!」

 キヨちゃんは、あんなことをいう子じゃない。俺が好きになったあの子は誰よりも優しく、誰よりも哲平を好きだった。

「酷いよ。私、哲平よりキミのことが好きなのに」

 彼女の悲しむ顔がずきりと胸に刺さる。

「だっ、誰か助け――」

 ちりん。

 鈴が鳴った。俺以外まともな人間がいないはずのこの世界で。

 そうだ、あのとき腕を掴んで制止してくれたのは、鈴の音を鳴らして現れた面をつけた彼女だ。唯一、このおかしい世界で助けの手を差し伸べてくれるのは、あの人しかいない。

「その方から離れなさい。貴様が易々と触れて良い人間ではないのです」

 凛とした声の方向に視線を向けると、きつねの面をしたあの人が立っていた。


「その面! 覚えているぞ! 私を封印した忌まわしき一族!!」

 面の人の姿を見た途端。一転して慈愛の塊だったキヨちゃんから、怒りが籠った言葉を垂れ禍々しい気がにじみ出ている。

「二度目はない。その方から離れなさい」

 面の人がもう一度語気を強めてそう言うと、彼女は大人しく俺からずるずると離れていった。

 否、従うしかないのだ。彼女の底知らぬ力がそうさせているのだと、理解するのに時間はかからなかった。

「去れ!!」

 あの人が怒号を飛ばすと、キヨちゃんを模した何かは朝霧のように消え失せた。

 俺はその様子をあんぐりと口を開けて見つめていた。まるで夢のような経験は、かえってこの世界がまだ夢の中であると痛感させてくれた。

 顔の冷や汗を拭いながら、おそるおそるきつねの面を見上げた。

「手を取って」

 彼女はすっと手を差し出す。

「す、すいません。助かりました」

 お礼を言いながら俺は彼女の手を取って立ち上がる。

「貴方が、真城(ましろ)(いつき)さんで間違い御座いませんか?」


 呆けた顔でそうですと答えた。だが、彼女は俺の名前を何故か知っていた。この事実は、俺の身体を強張らせ身を竦めさせてしまった。失礼だ、せっかく助けてくれたと言うのに。

「怖がるのも無理はありません。大丈夫ですよ。少なくともいまは安全です」

 彼女は俺の手を暖かく握り返した。この温かさを持つ人間をこれ以上疑うことは出来なかった。

「私は、九条(くじょう)桐乃(きりの)と申します。率直に申し上げますと、貴方を助けに参りました」

 九条桐乃と名乗る彼女は、面に隠された真っ直ぐな瞳で嘘偽りない言葉とともに、この可笑しな世界から助けに来たのだと告げた。


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