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お品書き(短編集)  作者: 桐生真琴
6/13

6.包帯

会社の地位の話。

「ケガは大丈夫?」

普段あまり声をかけてこない受付嬢が声をかけてきた。

いつもなら、おはようというあいさつのみで終了。僕はこの受付嬢と同期入社だが、だからといって彼女は賢いのでどうでもいい会話なんてしない。なぜなら、僕はこの会社の一番上の階には近づけないから。まだまだ上へは遠いからだ。彼女は本当に賢い。

それが、フランクな言葉が今日はつけられた。ついでに、首を傾げて、とりあえず、心配そうな顔。

ああ、君の顔は本当にかわいい。この心配そうな顔が見れたなら、「とりあえず」という文章は頭から除外するとして。

「ああ、大丈夫。治りが悪くてさ」

目を向けられていた右手首を軽く上にあげる。そう、と愛想笑い。かわいいからそこも許そう。結局は、人間かわいければ何でも許される。

受付嬢はかわいくなければ意味がない。ただのブスがやったって、誰も寄り付きはしないしブスの案内なんて聞きたくないから。はあ、世の中見た目が九割だな。残りの一割は、金。

エレベーターホールに向かい、いつものように右手で上を示すボタンを押そうとすると、細い指が横から伸びてきて、そっと押してくれた。そちらを向けば、にこりと笑う女性。僕もにこりと笑って、ありがとうと告げる。顔のランクは、聞かないでほしい。

エレベーターに乗ると、その女性は階を訪ねてきた。十三階だと言うと、愛想笑い。その女性は二十階を押した。顔のランクは悪くても、地位のランクは上だった。頭を下げ、視線も下げる。ああ、そうだ。僕の階は中途半端な社員が集まる吹き溜まりだ。

高速エレベーターはあっという間に十三階にたどり着く。耳鳴りがしながら、また頭を下げると彼女は愛想笑いをやめてすぐに閉じた。世の中九割が金か。

せわしなく動き回る人間は、このフロアだけでざっと三十人ほどだ。十四階以上の人間たちが面倒で回してきた仕事の処理だ。こき使われている。

「あ、おはよう!」

そう声をかけてきたのはここに僕よりもこのフロアに長く勤めている男だ。早く上に上がるか、下がるかしてほしい。見飽きた顔だ。僕は愛想笑いした。

「おはようございます」

「それ、まだ治らないのか」

嫌悪を隠しもせず、男は僕の右手首を見る。汚れもせず真っ白な包帯が巻かれた右手首を見せびらかして、笑ってみせた。

「すみません。治りが悪くて」

「もう一か月だろう」

「先生に診てもらってるんですが。手首を無理に動かしているようで」

ふう、とわざとため息をつく男は、そうか、と僕のデスクの方を見た。

「先生は、タイピングしすぎて治りが悪いって言うんだな」

「若いのに、不摂生も祟ってるんじゃないかって言われます」

「じゃあ、すぐにでも彼女を作って、うまい飯を作ってもらえ。とりあえず今日は資料まとめて、上の階まで持っていってくれ。タイピングしなくて済むだろ」

僕の机に向かいながら、男は自分が抱えていた資料をどさりとまとめて僕のデスクに置いた。

「わかりました」

自分の椅子にバックを放り投げると、左手だけで資料を分けだした。


これが十八階、これが十九階、これが二十階。

この一か月でこの資料運びは何回か任されている。そのおかげで、回を重ねるごとに資料を分けるスピードは速くなった。今日はあの男にも腹を立てたし、あのブスな二十階女にも腹が立ったし、何があっても定時で帰ろう。

右手でエレベーターのボタンを押す。乗り込むと、誰もいない。いつものように、まず二十階のボタンを押した。どんどん階下に降りていく作戦だ。

あっという間に二十階にたどり着く。この資料は、「A5」の部屋。この階で一番ランクが高い部屋だ。このフロアはランク別で部屋が分かれている。ごった煮の十三階とは全く違う、静かで、何をしているかわからないフロアだ。

静まり返った廊下を進む。いったいこのフロアに人はいるんだろうか、息をしている音もしない。

たどりついた「A5」の部屋は、重そうな扉だ。左手で資料を抱えて、右手でノックした。鍵が開いた音がしたので、その扉を開ける。

「失礼します」

「どうぞ。資料はそこに置いて」

この広い部屋は、初めて入った。極力きょろきょろとしないように、好奇心を抑えて示された中央の机に資料を置いた。

声がした方を向き、うつむいた視線のまま、頭を下げた。

「失礼いたしました」

二十階以上のフロアは、これがルールだ。フロアに入れば階下の者は目を合わせてはいけない。小さな国でも作りたいようだ。

踵を返して扉の方に一歩足を踏み出すと、

「待ちなさい」

と声で制止された。足を止め、ゆっくり振り返ると、目を上げてしまった。あ、っと息をのむ。

「あなた、それまだ治らないの?」

近づいてきたブスは、僕に愛想笑いする。まさかあの二十階のブスが、「A5」だったとは。僕はもしこのブスが牛肉で出されたとしても食べない。

彼女は賢くないからだ。

「何の話でしょうか」

「ケガ、そもそもしていないでしょう」

私は賢いとでも言いたげに笑うブスは、笑顔さえもブスだ。ただ、言い当てられたことで僕は思わず手のひらに汗をかく。

「なぜか? 朝、あなたはエレベーターホールで右手を使ってボタンを押そうとした。そして、さっきも。左手に大量の資料を抱えてきたんだもの、右手でボタンを押し、右手でこの部屋の重たい扉を開けるしかなかったでしょう。包帯を巻くほどのケガ人が、そんな悪化しそうなことしないわ。とっくに治っているか、そもそも」

近づいて、醜い顔で僕の目を覗き込んで、汚い唾を吐きながら笑った。

「仕事をしたくなくて、その包帯を理由にさぼっているのね」

僕は思わず、右手でその汚いブスの顔にストレートをかました。


仕事をさぼっていた、ケガは嘘、そして目上の者への許されざる右ストレートとなれば、僕の階は急激に下がった。

今どこにいるのか? 楽しい返答を用意してある。

「おはよう。ケガはもう治ったの?」

「君ならわかるだろう」

受付嬢の隣に立てば、賢くかわいい顔で笑う。

「あなた、受付にピッタリよ。イケメンで、賢いから」

「それは、どうも」

やはり世の中、九割金だ。


階が上がれば上がるほど優秀な人間。

それには向かったものは、一番くらいの低い受付に降ろされる。

理由がどうであれ。

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