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お品書き(短編集)  作者: 桐生真琴
5/13

5.アダムとイブはここからはじまる

不思議な話。猫と男の子の話。

僕には、親友が一人いる。

ちゃんと言うと、一匹。灰色のエジプシャンマウという猫。女の子で、僕が『妹が欲しい!』とお母さんとお父さんにお願いしたら、小学生になるお祝いで七歳の時に家族になった妹でもある。でも僕は親友だと思ってる。いつも一緒にいるから。ちなみに名前はイブだ。

ずっと一緒にいるので、イブは僕のことなら何でも分かってくれる。僕が暇だなと思った時にはボールを持ってきて遊ぼうと誘ってくるし、寂しい時や泣きそうな時はそばにいてくれる。とても賢い猫だ。

寝る時もいつも一緒で、僕が寝ようとするとイブはベッドの中に入り込んで眠る。

そんな賢い猫のイブが、僕のそばに今ぴったりといるのは、僕が泣きそうだからだった。

「イブ……」

ゆっくり撫でると、丸い目を細めてニャアと鳴いた。

「もうやだ。仲間外れにされるし。学校行きたくないよ」

いつも相談相手はイブだった。人見知りで友達も少ない僕は、親分に目をつけられた。

クラスの一番体が大きい男子は親分と呼ばれて恐れられている。僕は何もしていないのに、いつものように休み時間に本を読んでたら、親分は何かが気に食わなかったらしくて、その本を取り上げられてビリビリに破かれた。いつも話をしてくれる友達はみんな、親分が怖くてそういう時僕を助けてくれない。

大切な本だった。この間おじいちゃんが買ってくれた本だったから。

「それに、今日僕は誕生日なんだよ」

小さく息を吐いて、僕は撫でていた手を止める。

「なのに……今日、お母さんもお父さんも仕事で遅くなるって。だから、冷蔵庫にあるご飯先に食べててって。僕の誕生日なのに。お父さんたちは仕事の方が大切なんだ」

だんだん目が見えづらくなって、ぽたっと涙が落ちた。鼻水も出てきて、ぐすぐす鼻をすすると、イブは僕の膝に小さな手をかけて、僕の止まらない涙をペロペロと舐めた。

「もう僕なんて……いない方が、いいのかな」

学校ではいじめられて。お父さんもお母さんも、僕じゃなくて仕事の方が大切で。

涙をごしごし手で拭う。うう、と思わず声が出た時、見えづらい目の隅っこでイブが動いた。ぴょんとテーブルに乗っかる。テーブルの真ん中には、僕のおやつ用に、みかんとりんごが出してあった。

いつもイブは食べ物が出してあっても、勝手に食べたりしない。だから置いてあってもいつもなら大丈夫なんだ。

だけど、イブは勢いよくりんごにかじりついた。僕は驚いて、ダメ! って言ったのと同じくらいに、大きな風が吹いて、思わず目をぎゅっと閉じた。

窓は開けてなかったはずなのに、と思ってゆっくり目を開けようとしたら、ばしん、という音と同じに頭に激痛が走った。

「いたい!」

「そりゃ痛いでしょうね!」

聞いたことのない女の子の声がして、驚いて涙が乾いた目を開けて見てみると、やっぱり知らない女の子が目の前に立っていた。僕より大きいその女の子は、多分僕よりお姉さんだ。灰色のワンピースを着ていて、美人で見惚れちゃうけど、その顔は僕を見てなぜかむすっとしている。なんで怒ってるんだろう。

「えっと……誰ですか?」

「あなたの妹兼親友のイブ!」

「え?」

そう言うと、イブと言っている女の子は、僕の目の前でしゃがむ。むすっとしたままで僕を睨んでいる。こわい。

「武島大地、今日で十歳。今好きな女の子はクラスで一番人気のユキちゃん。最近嬉しかったことはユキちゃんが消しゴム拾ってくれたこと」

「ちょ、ちょっと待って!」

女の子の前で手を振ってみる。なんで、なんで知ってるんだ!

「なんで、知ってるの? それは、イブしか……」

イブにしか、言ってないことだ。

この間ベッドの中で、眠る前に話したんだ。イブに。その時イブはニャアとしか言わなかったけど。

お母さんやお父さんには恥ずかしくて言える訳がない。なのに、何でこの子は知ってるの?

「……本当に、イブなの?」

ゆっくり、確かめるように言うと、女の子はにっこり笑った。笑うと、さっきと違って本当にかわいい。

「ようやくわかった? 大地」

「でも、なんで? イブ、猫だったのに!」

「さっきリンゴ食べたから」

僕の前であぐらをかいたと思ったら、イブはテーブルの上からリンゴを持ち上げる。僕の前にずいと出されたリンゴには、小さな噛み跡があった。見せたその後にすぐ口元に持っていって、イブはガリっとリンゴをかじった。

「猫はあんまり皮ごとリンゴ食べるのはダメなんだけど。大地にムカつきすぎてリンゴ食べちゃったじゃん」

「僕そんなに怒らせた? ていうか……猫って、リンゴ食べたら人間になるの?」

みんな知ってる、世の中じゃ当たり前、常識なのかな。猫ってそういう生き物だったの?

リンゴをむしゃむしゃ食べているイブに向かって首をかしげると、大きなため息をつかれた。

「普通の猫は何食べても猫のままだよ。わたしは、偶然にも、エジプシャンマウで、イブという名前になって、飼い主が大地だったっていう、全部条件が揃ったから、リンゴ食べたら人間になれるのよ。数分だけだけど」

「条件? どういうこと?」

 僕がまた同じようにそう聞けば、イブは面倒くさそうに頭をかいた。またイブはリンゴをかじると、ごくんと飲み込んでから、食べかけのリンゴをこんこんと叩いた。

「だから、アダムとイブよ。アダムは大地で、イブはもちろんわたし。二人はリンゴを食べて知恵を得た。そこから倣ってだと思うけど、猫のわたしも知恵を得て、人間になれるってことじゃないかなって理解した。普通はありえないことだけど、自分がこうやって人間になってるから、信じるしかないじゃない?」

「アダム……と、イブ?」

 早口に言われたイブの言葉に僕の頭が追い付かなくて、ただイブの顔を眺めていた。ふと聞き取れた単語だけ声に出して言ってみる。するとイブはそんな僕の顔を見て、また大きなため息をついた。

「本が好きなのに、そんなことも知らないの? 明日にでもアダムとイブについて調べなさい」

それで、とイブは小さな声で言うと、半分食べたリンゴをテーブルに置いた。それから僕を見たイブは、何の前触れもなく急に僕のほっぺたをつねった。

「いたい!」

「痛くしてるの。わたしがリンゴ食べる前の言葉。あれ、なに? 寝言?」

つねられたまま、僕は何を言ったか思い出していた。僕は何を言ったんだっけ? 何を言ったかなんて、そんなすぐに思い出せない。

そんな僕の考え何てお見通しみたいで、

「いない方が良い、って言ったでしょ」

 イブは僕の両方のほっぺたをつねったまま、そう言った。僕は痛くてだんだん涙目になってきた。

「あ。……うん。だって」

「だって、とか言わない」

「いたいってば!」

ぎゅ、っと強められたほっぺたをつねるイブの手を払うと、イブはまだむすっとしている。僕はつねられたほっぺたをさすりながら、もう一回首を傾げた。

「だって。クラスの子にはいじめられるし、お母さんやお父さんだって、僕の誕生日を忘れてるし」

「被害妄想もいい加減にしなさい」

ヒガイモウソウ? 急に難しい言葉が出てきて、なに? と思わず言うと、え? と少し笑って言った。そろそろ馬鹿にしはじめたな! 少しむかつく。イブだって、本当はそんなに年だって変わらないはずなのに。むしろ僕の方がお兄ちゃんのはずなのに。なんで、いろいろ知ってるんだろう。

「明日からちょっと難しい本読みなさい」

「言われなくてもそうするよ!」

で? とそっけなくイブに言ってやると、僕が怒ってるのが分かったみたいで、イブの眉毛と眉毛の間にシワが寄っている。

「そう、大地に良いこと教えてあげる」

「え? 良いこと?」

「そう。まずひとつめ。親分が何で大地の本を破いたのか」

イブは人差し指を立てて、僕の前に出す。改めてじろじろイブを見てしまう。指の先まで人間だ。

すると、銀色の長い髪を揺らしてイブは首を振るものだから驚いた。

「今さら、じろじろわたしのこと見ないの!」

「ご、ごめん」

「もう。時間無いから言うけど、親分はきっと、大地と仲良くなりたいのよ」

イブの意外な言葉に、つい黙ってしまう。なんで『本を破かれた』のに、それが『イコール仲良くなりたい』ことになるんだろう。

「なんでそうなるの。親分は」

「この間、大地、親分に絵褒められたんでしょう?」

この間? そう聞いて、思い出した。この間って言っても、半年くらい前だ。

図工の時間に絵を描いた。桜の花の絵だったんだけど、それが綺麗だって、親分は笑って褒めてくれた。確かに、親分が笑って褒めるなんて珍しくて、イブに話したのを、なんとなく覚えている。

でもその半年後には、親分と僕の関係が、こんな風になるなんて……

「大地、多分誤解してる。親分は、絵をうまく描きたくて、絵がうまい大地と本当は仲良くなりたいんだよ。だけど仲良くなるのにはどうしたらいいのか、親分はわからないの。親分って前からみんなに恐れられてるんでしょ? 親分は、取り巻きを作ることは簡単にできるけど、きっと友達になる方法を知らないの。まあ、大地も知らないみたいだけど……」

最後の言葉はいらない。僕はむすっとしてみせると、イブは僕を見て笑った。

「それに、親分は仲良くなりたくて話しかけようとしても、大地はいつも本ばっかり読んでいるから、話しかけるチャンスもない。そんな大地にイライラして、親分は本を破いちゃったんだと思うよ」

「だけど!」

そんな、本を破くなんて、酷いことしなくてもいいじゃないか。そう続きを言おうとしたら、肩を叩かれた。にっこりイブは笑う。

「明日、本破かれたの悲しかったってちゃんと言ってみなさい。親分の取り巻きがいない時に。きっとちゃんと謝ってくれるわ」

「……ねえ、イブの言うことが違ったら?」

「そしたら……」

僕の言葉に、うーん、とイブは考えると、その後すぐに嫌そうに僕を見た。渋々といった様子でイブは口を開く。

「違ったら、明日ご飯抜きでいいわ。そのかわり、もし正解だったら、あれが食べたい」

「アレ?」

「ピンクと白のやつ」

ピンクと白? なんだろう? と首を傾げる。さっきまで難しい言葉を言っていたイブも、その「ピンクと白のやつ」という食べ物の名前は分からないらしい。

「一回だけ食べたの。大地も好きなやつ。確か……お正月に」

「お正月……あ!」

イブの言う「ピンクと白のやつ」が思いついて、思わず僕はちょっと嬉しくなって、にやにや笑ってしまう。するとイブも分かった? と少し嬉しそうだ。

「かまぼこ! かまぼこだ。そういえば、お正月だからってお母さんが、イブにもお正月を味わってもらおうって、少しだけ切ってあげたんだ。そんなにおいしかった?」

「あれ、おいしかった! カマボコっていうんだ……それ食べたいの」

約束ね、と笑ってイブは言ったかと思えば、今度は指を二本立てて、僕の前に出した。

「それで、ふたつめ」

「ふたつめ?」

「お母さんとお父さんが、誕生日忘れてるって?」

僕の頭に手を伸ばすと、イブはそのままポンポンと叩く。

イブはどこかをちらりと見たと思ったら、あっち、と呟いて、僕の頭から手をどかすと、その手で冷蔵庫を指差して、その後僕の部屋を指差した。

「見てみなよ」

イブは立ち上がるけど、僕はイブが言ったことにあまり意味が分かっていなくて、その指をぼーっと見ていた。すると、イブは僕の左腕を掴んで、無理やり立たせた。ぐいぐい引っ張るその手は猫とは思えないほど力が強い。

キッチンに入る。食器棚の奥にある冷蔵庫の前に立つと、イブは僕の背中を押した。何も言わないイブを見ると、なんだか少し怒っている。

嫌々、言われた通り冷蔵庫を開ける。僕の感じ方のせいなのか、なんだか少し冷蔵庫のドアが重たい。

「……え」

冷蔵庫を開けると、真ん中の段に白い箱。よくよく見ると、その白い箱の表には、

『大地へ おめでとう。今度ちゃんとみんなでお祝いするからね。その時は大きなケーキを用意するから、お楽しみに!』

と書かれていた。冷蔵庫をゆっくり閉じる。その時には、ドアはとても軽く感じた。イブの方を振り向こうとすると、また左腕を掴まれて、引っ張られる。ぐいぐいと引っ張られて着いた先には、僕の部屋の扉があった。

イブは、勝手に僕の部屋の扉を開ける。待って、と言う僕の言葉も聞かずに、僕を部屋の中に押し込んだ。

そうすると、僕の目に映ったのは。僕の部屋の窓際にある勉強机。そこにいつもは無い、青い包装紙に水色のリボンがかかった、大きな箱があった。

「お母さんとお父さんは、忘れてなんていないよ」

その箱に近づくと、水色のリボンとは対照的な、赤い何かがあることに気が付く。手を伸ばすと、かさりと音がした。リボンと箱の隙間に挟んであった小さな赤いカードを手にすると、ゆっくり開いた。

「仕事に行く前に、お母さんもお父さんも言ってたよ。『今日は大地の誕生日なのに、大地を一人にしてしまうから、イブ、祝ってあげてね』って」

イブは僕の隣に立つと、僕が開いていたカードを覗き込んだ。カードには、

『大好きな大好きなダイチへ 誕生日おめでとう! 今日は、一緒にお祝いできなくてごめんね。今度の土日に、誕生日会をやろうね。大きなケーキでお祝いしよう! ――パパ、ママより』

と書いてあった。お母さんの字だ。それを大切に閉じると、イブが僕の頭を触って、なでた。僕はイブを見る。そこでようやく、僕がイブより身長が低いことに気が付いたけれど、今はそんなことはどうでもよかった。僕はイブを見上げると、イブに向かってにっこり笑った。

すると、イブも同じように笑う。

「大地、誕生日おめでとう」

「ありがとう!」

イブにギュッと抱き着くと、また強い風が吹く。目をぎゅっと閉じると、耳元で小さく聞こえた。

「わたしのこと、大事にしてくれてありがとう。これからもよろしくね」

腕の中にいた人間のイブがいなくなって、僕の腕が大きく空振りした。その勢いで僕はしりもちをつくと、隣でいつもの猫の、イブがニャアと鳴いた。

「もしかして……イブ、僕のこと祝ってあげてねって言われたから、人間になってくれたの?」

イブの頭をなでると、イブはにゃあ、としか返事をしてくれない。でもお母さんとお父さんの言う通りに一人の僕を唯一祝ってくれたイブを抱えると、ぎゅっと抱きしめた。

明日はもしかして、かまぼこが食べれるかもしれないね、イブ。


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