13.雫の落ちた先
涙の話。
ぽたり、音がする。
暗闇の中で、ただ月明かりだけが、僕の周りを照らしていた。ベッドの上が、青白く光って見える。ただ、そんな世界も、目にまとわりついた涙のおかげでまた見えなくなる。
このやるせない気持ちと、切なさは何だろう。
何か変な夢でも見たんだろうか。眠る前に見た映画は、別に悲劇ではなかった。喜劇だった。じゃあ、なんで、泣いているんだろうか。
自分の姿に訳が分からず、グズ、と鼻をすする。涙をぬぐってもぬぐっても、それは一向に留まらない。
かちゃん、と寝室の扉が開く。見慣れたシルエットが入ってきて、少し安堵したが、また涙で見えなくなった。
「どうした?」
少し慌てた声で、サイドテーブルに何かを置いて、駆け寄ってくる。近づいてきた顔が街の光で照らされた時、眉がひそめられていることに気が付いたけれど、また涙で邪魔をされた。
「わかんない」
「え?」
「気が付いたら、泣いてた」
寝ぼけているんだろうとでも思ったらしい。手を伸ばして、僕の頬に流れる涙を拾い上げた。だが、反対側から涙がまたぽたりと音を立て、ベッドにシミを作る。それを見て、困ったように笑うと、急に抱きしめてきたかと思えば、僕の頭をポンポンと、子供をあやすようにしてみせた。
「泣くなよ」
「そう言われても」
「じゃあ」
離れたかと思えば、さっきのサイドテーブルの方に手を伸ばす。僕の前に出されたのは、コップだった。黒いようなものが青白い光の中で揺らめいたが、これはコーヒーじゃない。かすかに香るのは、紅茶の香りだった。
「飲もうとしてたやつ。これ飲んで。ほっとするかも」
コップを握れば、ほんのり温かい。口につけた瞬間、涙がぽちゃんと、コップの中に入った。あーあ、なんて言って笑って、もう一度僕の頬に手を滑らせて、涙をぬぐう。でもコップの中でまたぽちゃんと跳ねた。
それをお構いなしに、僕は一口口付けた。少しだけ苦く、砂糖をいくつ入れたのか、甘い。その後に追いかけてきたのが、
「……しょっぱい」
「それ、自分のせい」
僕からコップを取り上げると、コップに口づけて、ごくりと飲んだ。月の光のせいで、なんだかそんなありふれた動作でさえ様に見えてしまう。それか、いつも見ない雰囲気に、そう思っているだけかもしれない。
「……あ、本当だ。しょっぱい。これ、涙一粒じゃないね。何粒入れた?」
「わかんない。砂糖は何個入れた?」
「二つ。そんなに甘かった?」
そう、と呟くと、気が付く。涙が止まっている。
顔を上げると、僕の顔を見て笑った。
「これから泣いた時は砂糖二ついれた紅茶を淹れてあげる」
「もう泣かない」
「どうだか」
立ち上がろうとするものだから、僕は思わず服を掴む。うわ、と声を上げたと同時に、コップの中で液体が暴れた音がした。
「ちょっと、こぼれる」
「僕の涙が」
言いたかった言葉をゆっくり飲みこんだ。不思議そうに僕の顔を見るけど、僕は首を振って、服を掴む手を離した。さすがに、これは、気持ち悪がられるだろう。
僕の涙が君の一部になったね、だなんて、口説き文句でも気に入られない言葉だ。
「なに」
「なんでもない」
僕が言わないことを分かって、ゆっくり息を吐く。ベッドから離れていくそのシルエットを止める理由が見つからなくて、視線を空中に這わせると、扉の前で止まった。
「いつも見ない雰囲気だからかな」
「え?」
漏れた息のように、そんな簡単な返答を僕がすれば、ゆっくり振り返ったように見えた。だが、その顔は月の光が届かず、暗闇に溶けて見えない。
「涙が、きれいだな、なんて思っちゃったよ」
僕の返事も聞かず、そう言い残して消えた。その意味を聞かせてほしいだなんて、僕は野暮だろうか。
月あかりを見つめる。薄いカーテンのままの部屋は、もうこのまま、厚いカーテンで遮るのはやめよう。青白い光に包まれた部屋に残されて、もう一粒涙を流す。もう一度泣けば、また甘い紅茶をもってきてくれるのかな。
ねえ。
実は「ねえ」三部作でした。
「ねえ」が多用されている作品。
(「ねえ」、「ディープ、ディープ」、「雫の落ちた先」)
なので、「短編作品」カテゴライズではなく「連載作品」でないと成り立たないので、こういう形になっています。
閲覧有難うございました。