10.コバルトブルーの境界線
故郷を離れる話。
静まり返った世界に、わたし一人が息をしているようだった。
そこにはわたしの踏みしめる足音と、息遣いだけ。
遠くでカラスが鳴いている。合唱を繰り返す。
風が吹く。草木の揺れる音がする。
いつもなら子供の声でうるさい保育園も、忘れたように静まっている。
いつもは騒がしい公園や、人が行き交うスーパーの前だって。
その“いつも”を忘れているようだった。
ずいぶん前に行ったきりだった、丘の上に登っていく。緑のカーテンもとい、緑の屋根でも作ろうとした骨組みだけのものに囲まれた、腐食寸前の木製のベンチに座る。
白んだ空が、ゆっくりと、わたしに告げる。
コバルトブルーの空の境界線が、「マダだ」と言っているように、そんな白みとせめぎあっている。その景色を、眺めていた。何を考えるでもなく、ただただ、目に焼き付けるように。
ただ、ただ、目に焼き付けるように。
小さい頃この丘でよく遊んだ。
騒いでいたらここで休んでいたお爺さんに怒鳴りつけられたし、変なお兄さんに声をかけられたこともあった。あれは危なかった。ふう、と息を吐けば、完全にコバルトブ ルーは消え失せて、その代わり、白みと、薄い青が登場する。
誰かに呼ばれた気がした。でも、振り返らなかった。そこにはきっと、その頃の小さなわたしがいた気がする。わからないけれど。
立ち上がる。夜が明けてしまったのなら、もう行かなくてはいけない。
「さようなら」
小さく呟いて、わたしにしか聞こえていないその声で、言った。
夜が明ければ、そうして町は動き出す。車が待っていましたとばかりに唸って通り過ぎる音。カラスの他にも目を覚ました虫や小鳥がさえずる。保育園を開ける音。ラジオ体操が響く公園。スーパーのシャッターが開く。
そんな音に埋もれて、わたしは小さく息を吐く。
この町を出るということは、センチメンタルになるくらい、それはそれは私には大きなことだった。イメージ的にはマリッジブルー。マリッジしていないけれど。
小さなわたしは言いたかったんだ。これでいいのかと。
これでいい。これがいい。そう言い聞かせていたのか、本当に納得していた答えだったのか、わからなくなってしまったから。夜明け前、家を抜け出して、生まれてきてからわたしが見ていた世界を見渡したくなった。
夜明け前がちょうどいい。息をする、土を踏む、そんな音だけがわたしを研ぎ澄ます。
これでいい、これがいい。完全に白と水色が混ざった色の空を見渡して、思った。
この町は、あまりにも、いつも、「いつも」している。その“毎日を繰り返している”ことが、悪いことだと言ってしまえばそれはそれだけれど、今のわたしには、繰り返してくれる方が、有難いように思った。いつでも滑り込んで、まるでそこから一瞬も抜けていないように、戻れると思えたから。
立ち上がる。ゆっくり息を吐いて、確かめるように。
「さようなら」
丘を降りる。また、戻ってきたら。わたしは、ここに来るんだろう。