女子短大と中学校
前回の続き。
女子短大と中学校・・
ここは昔の高等女学校と国民学校高等科が戦後に改組された学校で、
前者の場所には、私立の学校法人が女子短大を設立。
後者の場所には、地元の自治体が公立中学校を設立した。
2つの学校は、戦時中に陸軍工廠の分工廠になっていた。
授業は行わず、生徒たちは勤労奉仕に駆り出され、
「お国のために」主に弾薬
の製造に従事させられた。
1945年(終戦の年)の正月明けに、この地域は米軍の空襲を受け、
住民の大半が死亡。
陸軍工廠の、2つの分工廠もB29に直撃され、
働いていた生徒たちと監督の教師、陸軍将校は全員が死亡。
米軍は事前に詳細な地図を作成して、
戦争遂行に直結する施設の壊滅・殲滅をねらっていた。
(続く)