神様は人間になる
人間という生き物は実に面白い生き物だと俺は思っている。
ここは天界。
ありとあらゆる生き物が住まう現世……世界から外れたこの場所では常命を持つものには理解できない側面も見えてくることがある。
とくに人間種と呼ばれる生き物は他と比べて優れた知性と創造力を持っており、それ故に全知全能の神である俺でさえ思いつかないような行動、概念を生み出している。
それは例えば、“文化”である。
“文化”はあらゆる生き物の中で唯一、人間種だけが扱っているもので知性のない、創造力のない生き物では決してたどり着けない領域だ。
ひとつの世界の中では人間種の能力は大したものではないように思える。
しかし、数百、数千とある世界の中で人間種はそれぞれ独自の“文化”を生んでいた。
科学技術が発達した世界もあれば、魔法が発達した世界もあり、はたまた自然と共に暮らす世界もある。
そう、腐るほどにある世界の中で唯一、人間種だけが無数のパターンの発展を遂げていくのだ。
まれに人間種が現れない世界もあるがそのどれもが人間種と同じような高みへとたどり着くことはない。
はっきり言ってつまらない。
俺にとって人間は飽きない、飽きさせてくれない、面白い生き物なのだ。
だから、俺は仕事の合間を見計らってとある計画を遂行することにした。
「よし、ユーティ」
「はい、なんでしょうかゼウス様」
「俺ちょっと人間になってくるわ」
「えと、なにをおっしゃられているのでしょう……私には意味がわかりかねますが」
天使の中でも最高位の権限を持つユーティ・セラフィムが珍しく驚いた顔をする。
無理もない。全知全能の神であるこの俺が人間になりたいと言っているのだ。
いくら、長年の付き合いとはいえ、ユーティが驚いても仕方がない。
「意味なんて必要か? 俺はなりたいぞ、人間になりたい! 人間になって面白おかしく暮らしたいんだ」
「はぁ、面白おかしくですか……神としての仕事をほっぽり出して遊び倒すと?」
予想どおりユーティは冷たい目線を俺へと向ける。
天使の中でも最古参である彼女は神である俺の扱いは意外とひどい。
仕事の話はある程度俺に対して礼儀を尽くしてくれるのだが、少しプライベートな話をすると一転、彼女は俺を虫けらのように扱う。
「別にいいじゃないか。もう36万……いや、1万年と4000年前から働き詰めだぞ、100年くらい休んだっていいだろう」
「よくありません。ゼウス様に休まれると数多ある世界の運営が滞ってしまいます。ただでさえあちこちでクレームが発生しているというのにこれ以上悪化しようものならラグナログになってしまいますよ」
「ラグナログ……ユーティならそういうと思った」
パチンッ――
指を鳴らすとあら不思議、床から青いマントを羽織った老人が文字通り生えてくるではないか。
「ゼウス様、これはいったい?」
「こいつはオーディン。俺の古き友人の神族だ」
「ユーティ殿、ワシがゼウス殿の代わりに世界の運営を行いますゆえぜひ、ゼウス殿に休暇をお願い申し上げます」
そう、俺は人間になるためだけにいろいろな仕込みをしてきたのだ。
オーディンを呼んだのも俺の代理をやってもらうためだ。
「いえしかし、いかに神族といえどゼウス様の代わりには……」
「問題ないさ、オーディンは過去にラグナログを経験したことのあるんだ。それに100年だけっ! 100年だけだからっ!! お願いします!!!」
最終必殺技である土下座を披露すると彼女は観念したように口を開いた。
「かしこまりました。100年だけですよ」
「よし、やった! これで念願の人間になれる!」
神にだって時には長期休暇が必要なのだ。
「ほっほっほっ、そうと決まればワシはさっそくゼウス殿の仕事を始めるとしますわい」
「オーディンよ。よろしく頼むぞ」
「お任せあれ!」
『アディオスじゃ!』とオーディンは再び床の中へと潜っていった。
昔少し話しただけの関係であったが意外と気さくな奴だ。
オーディンなら100年くらい俺の代わりは務まるであろう。
「よし、そうと決まれば準備を――」
「ゼウス様、ひとつよろしいですか」
テンションMAXでさっそく準備に取り掛かろうとしたが、ユーティに呼び止められる。
「なんだ」
「お分かりだと思いますがあえて忠告いたします。人間の器に神としての力は収まりきれません。すなわち、神の力を封じるということになりますがよいのですか」
「構わん……ってか、神の力ホイホイ使うなんてヌルゲー……いや、クソゲーはこっちからご免被る」
俺が神としての力を残したまま人間になれば、一瞬で世界を滅亡させることもたやすい。
だから、神の力を抑えるという話は俺にとって願ってもないことだ。
「かしこまりました。オーディン様の件も含めてゼウス様が本気で人間になりたいということですね」
「ああ、さっきからそうと言ってるだろう」
「でしたら、ひとつ……いえ、ふたつだけ条件を出してもよろしいでしょうか?」
「条件? まぁ、いいだろ……聞くぐらいならな」
俺に不利な条件なら飲む必要なんてないからな。
「ひとつ、向かう世界は私に『異議あり!』……まだ、言い切っていませんが」
「おいおい、ユーティ。行く世界を決められないってそりゃ『母さんにゲームを買ってくるように頼んだら間違えて違うゲーム買ってきた』じゃねぇか! ぷ●ぷよしたいのにテ●リス買ってくるような間違えなんてあってはならんぞ」
「ゼウス様。僭越ながら申し上げます。F●と間違えてドラ●エでも面白ければ問題ないのではないのでしょうか?」
「ぐっ……たしかにそうだ。過激派ならともかく俺のようなエンジョイ勢にとってF●もドラ●エもどっちも面白いから大好きだ」
「では、ひとつめの条件【向かう世界は私の方で決める】で構いませんね」
「OKだ。しかし、お前の目を疑うわけではないがちゃんとした世界を選べよ」
「承知しております。私も最近はとある世界の小説で勉強しておりますので多少なりは心得があるかと」
「よし、あえてその小説の中身については聞かぬが信じよう」
勉強家の彼女のことだ、おそらく俺が読んたラノベくらいは網羅しているだろう。
「ふたつめの条件ですが、ゼウス様にお付きをつけることをお許しください」
「お付きか……構わんが、そやつも俺と同じように人間になってもらうがよいのか」
「ええ、世界に仕事以外で天使が降りることは因果律に影響がありますので」
因果律。
それは世界を長く保たせるためのバランスみたいなものだ。
世界に存在する生き物や世界の機能などのバランスが悪いとすぐに世界が滅んでしまうのだ。
例えば、とある世界で人間種がタイムマシンなるものを開発してしまったのだが、そのせいで因果律が大きく歪んでしまい結局、タイムマシンが生まれてから約1億年後に世界が壊れてしまった。
本来なら世界の寿命は無限だが、因果律の調整に失敗するとすぐに崩壊してしまうのだ。
因果律はそれくらいデリケートなものでお付きになる者もその世界での人間になってもらう必要がある。
「ミカエル、来なさい」
「はーい、なんでしょうユーティ様……ってゼウス様! ほ、本日はお日柄もよく……」
「かしこまらなくていい」
ユーティ配下の天使ミカエル・アークエンジェルはゆっくりと頭を上げる。
こいつは世間知らずの若い天使ではあるため俺との付き合い方もまだまだ未熟のようだ。
「ミカエル。あなた、明日からここに来なくてもいいわ」
「えぇっ! わ、私……解雇ですか? 明日からニートなんですか? 明日からお母さんとお父さんのスネをかじって生きていけばいいんですか」
「違うわ、ミカエル。あなたには明日からゼウス様のお付きとして人間になってもらうわ」
「わ、私がゼウス様のお付きですか! やったぁ!」
ミカエルはあまりのうれしさにその場でぴょんぴょんとはねた。
やはり、まだ子どもだな。その程度で喜ぶなど天使としては未熟だが、俺にとっては大歓迎だ。
「さて、ゼウス様。これから向かわれる世界ですが、実はもう決めております」
「ほう、早いな。してどのような世界だ」
「世界“アルンテル”でございます。よくあるファンタジー世界といえばおわかりかと思いますが、人間だけでなくエルフやドワーフといった亜人などさまざまな種族が暮らしております」
「文明レベルはとある世界で言う中世ほどで魔法[アリ]、ダンジョン[アリ]、モンスター[アリ]の世界となっております」
「さすがはユーティだ。勉強しているだけあるな」
思った以上にユーティの選択は悪くない。
俺も事前にリストアップしておいた世界782個の中に“アルンテル”は含まれている。
やはり、人間として楽しむならファンタジー世界が一番だろう。
「もったいないお言葉ありがとうございます」
「それがこれから向かう世界か。なんだかワクワクするな」
「ワクワクしていただくのは結構ですが、これからゼウス様の人間としてのお姿を創造いたしますがいかがなさいます」
「なるほど、キャラクタークリエイトか。しかし、せっかく人間になるというのに自分で姿やステータスを決めるのはいささか面白みに欠けるな」
「でしたら私の方で決めさせていただきます……そうですね、15歳の少年という設定で姿とステータスは見てからのお楽しみということで」
じゅるり。なぜかユーティの口元によだれが垂れる。
どうやら、ユーティ好みの設定にされたらしい。
俺の好みと合うのか疑問だが、まぁそれはそれで一興だ。
「ユーティ様、私は!?」
「ミカエル。そうね、あなたにはゼウス様の監……ごほんっお付きとしての役割がありますので普通の人間種ではく亜人にいたしましょう。よろしいですね、ゼウス様」
「好きにせい。そんなことよりも早く行きたいぞ」
「では、ミカエルの設定が終わりました。あなたの姿、ステータスも私のほうで決めましたので向こうについてから確認してください」
「ありがとうございます!」
ユーティによる世界の手配が終わると、さっそくミカエルを連れて人間界へ降りる扉の前へと向かうことにした。
「ではまた、100年後に会おう」
「はい、ゼウス様。素晴らしい休暇を堪能くださいませ」
「ユーティ様、私がんばりますから! 次回の査定よろしくお願いしますね!」
「善処します」
なにげにユーティのミカエルに対する扱いがひどい。
いくら、熾天使だからといって配下の天使をいじめていいものではない。
「では、ゆくぞミカエル」
「はいっ! ゼウス様! 一緒にいきましょう!」
こうして、俺は天使ミカエルと世界“アルンテル”へと降り立った。
これからの100年が楽しい休暇になることを願おうではないか。